第14話 14日目

 この壁塗って登れば早いかな?


**

「あ、またコーラ飲んで。骨溶けるよ。飲むならこっちのマイナスイオン入り水素水にしなさい」

「溶けているのはお前の頭だよ」

 水素水はかなり馬鹿にされていた風に思うけれど、マイナスイオンやコーラで骨が溶ける説、コラーゲン配合の化粧品などはかなり世間に浸透していた気がする。

 マイナスイオンって何さ。

「コーラを飲むと骨が溶ける人って、胃腸を通る液体と骨が接するタイミングがあると思っているのかな」

「やめてやれ、多分脳の構造から違うんだ」

「あの頃に流行った説で言うと、ゲーム脳とかもあったよね」

「あったなあああ!」

 岩崎くんが目を輝かせながら手を叩いた。

ゲーム脳。今でこそ、「人は死んでもリセットボタンで生き返る」などの犯罪者思考を指す言葉として用いられているが、もともとは違った。

元々はテレビゲームばかりしている若者の脳は構造が変質してしまい、認知症患者と同じような形状になってしまうと騒がれたことが発端である。テトリスなどのブロックゲームを長期間にわたり恒常的にプレイしていると、脳の一部がスカスカになると、とある大学の教授が唱えたのだ。

大学の教授が真面目な顔で本まで出版したんだ、これは真実に違いないぞ! と多くの親御さんが子どもたちからゲームを取り上げた。賢い人が前頭前野のβ波がどうこう言いだしたものだから信じるのも無理はない。しかし後日、これらはただのデマだと立証された。

しかしそれ以降もゲームをプレイすることによる悪影響という意味で“ゲーム脳”という言葉だけが生き残り、今日に至る。

人を撃ち殺すゲームばかりをしているせいで、現実世界でも人を殺したくなる少年。命の残機が複数あるお陰で自殺しても問題ないと思い込む少女。こういう少年少女がニュースになるたびに、「ゲーム脳になるからゲームをやめなさい」と言われたことのある人は多いと思う。

……多い、よね?

「でもまあ、大学教授が言い出したら信じちゃうのも無理ないよなあ」

「そうだよね。ぼくももし授業で人工地震とか血液クレンジングとか習ったら嬉々としてその噂を流布すると思うもん」

「……」

 ケダモノを見るかのような目で見られた。

 その時、岩崎くんのスマホが鳴った。友達からの電話のようで、彼は「すまん」と一言言ってから電話に出る。

「あ、わかった。すぐ行く。五分後くらいかな」

 と言って電話が終了。どうやら友達に呼ばれたみたいだった。

「理工棟に行く用事ができたから行ってくる。まあすぐ戻ってくるわ」

「あ、じゃあぼくも行こうかな」

 うちの大学は文系と理系の両方が存在している総合大学だ。そしてぼくたちが今いる民間伝承研究会の部室は、文系側の校舎が立ち並ぶサイドに位置していて、理系側に位置する理工棟まではそこそこの距離がある。しかし理系側の購買書店には“なぜか”色々なジャンルの漫画が充実しているので、ぼくは岩崎くんについていって購買へ行き、新刊の様子を覗きに行くことに決めた。

 しかし、この時岩崎くんの言葉に違和感をおぼえた。

 彼、五分後に行くって言った?

 先述の通り部室から理工塔まではそこそこの距離があり、歩いていくとゆうに十五分はかかる。それなのに彼は今、五分くらいで向かうと言った。

 え、走るの? 走っていくの? やだな。だったら未来じゃなくて部室で待ってるよ。

 と思ったら岩崎くんがいきなり壁に向かって右拳を叩きつけた。

「……は?」

 なにしてるの? と言おうとした瞬間、岩崎くんは再び壁を殴りつけた。

 三度、四度。

 ガン、ガン、と拳を打ち付ける。何度も、何度も。

「ちょ、ちょっと、なにしてるのさ!」

 そう言って彼の体を抱きしめて止めようとした瞬間。

 フッと体が浮いた感触があった。ゾワワワと背筋に寒気が走る。

 エレベータ、そう、エレベータが下に降りる瞬間の、あの不愉快な無重力的感覚だ。

 立ち眩み? と思って思わず目をぎゅっと閉じ、再び目を開いた時、ぼくはその景色の変わりように唖然とした。

「え、図書館?」

 ぼくはさっきまで部室にいた。そのはずなのに、今は図書館の前にいた。

 図書館は、部室と理工棟のちょうど真ん中に位置しているので、普通に歩いたら五分以上かかる。

 それなのにどうして? テンパりながらも左右を確認して、これがスタンド攻撃なのかどうかを見極める。けれど当然そんな世界観ではなく、悪意を持った能力者は見当たらなかった。

「えーと、あいつは理工棟302って言っていたっけな」

 岩崎くんは何事もないような顔で登りの階段へと歩き出す。

「……ちょっと、ちょっと待ってよ。岩崎くんこれは何? ぼくたちさっきまで部室にいたよね?」

 そう騒ぎ立てると彼は「あれ、お前これ知らなかったんだっけ」と言いながら人差し指をたてた。

「これがトショカだよ。最近のRTAだと割と必須」

「ト……」

 トショカ?

 なんだその関西の交通系ICカードみたいな名前。

 どうやら瞬間移動したことについて疑問を抱いているのはぼくだけのようで、というより岩崎くん自身が自発的に瞬間移動を起こしたような返しをされた。

 トショカ……トショカ。

 ぼくはその「〇〇カ」という響きに少しだけ聞き覚えがあった。そして、ひたすらに壁を殴り続ける岩崎くんと、それに誘発される瞬間移動。

 あ。

……図書館ショートカット?

 そんなわけのわからない単語がぼくの脳裏に浮かんだ。


**


 さて、まずはRTAという聞きなれない単語について振り返ろう。

 ぼくは平然を装いながら岩崎くんの後ろについて階段を登っていく。

 RTAとは、リアルタイムアタックの略称で、ゲームをクリアするのにかかる時間を競う競技である。横スクロールアクションを想像してもらうとわかりやすいかもしれない。ああいうのは、初見プレイ時は敵の配置もステージのギミックもわからず慎重に進み、何度か死んでやっとこさクリアすると思うけれど、何度もやるうちに動きが洗練されていき、初見プレイ時とは比べ物にならない時間でクリアできるようになることに疑問は抱かないと思う。

 RTAはそのクリアまでの時間を競う。中には、道中で拾えるアイテムを全部拾ってクリアするRTAや、回復アイテムを禁止したRTAなど、いろいろな制約を課した上でのクリアタイムを競うようなレギュレーションまである。

 その、特殊条件下でのRTAでも特に盛んなものに、“バグあり最速RTA”というジャンルがある。

 文字通り、いかなる手段を用いてもいいから、最速でクリアするというもので、バグを利用してボスを一撃で倒したり、壁を抜けたり、超高速で走り続けたりして時間を縮めるのだ。見ていて大変面白い競技なのでぼくはよく暇な時に見ている。

 座標を誤認させたりカメラワークをバグらせたりとタイムを縮めるための手法は多岐にわたる。

 話を戻そう。

 恐らく岩崎くんはさっき、部室を何度も殴り続けることで座標をズラし、図書館へとワープしたんだと思う。

 どうして部室の壁と図書館が誤認し得る座標位置になっているのかは全く見当もつかなかったが、彼の言葉からそう推察できって待って待って待って!

「岩崎くん? 何をしているの?」

 彼は右足を前に高く上げて、図書館の壁を蹴った。その反動を生かしてバク宙をする。

 するん、と彼の体が壁に吸い込まれていった。

「壁抜け!?」

 ぼくが驚いていると、スマホがビッビーと震えて、特に操作をしていないのに岩崎くんの声が頭に響いてくる。これもゲームの連絡でよくあるやつ!

「お前壁抜けは出来なかったっけ? まあ理工棟に先に行っているよ」

 そう言って一方的に連絡が切れる。

「……」

 おかしい。

 トショカの時からかなりおかしいと思っていたけれど、全てがおかしい。

 なんだ? ぼくは何かおかしな世界に紛れ込んだのか? それともこれは夢か?

 ああ、いや、夢だな。

 ぼくは冷静になった。あまりにも鮮明だったから勘違いしていたけれど、これは夢に違いない。だって現実世界で座標を誤認させるだとか壁抜けをするだとか、あり得ないだろう。

 ふと、理工棟の方に目をやると、岩崎くんが空中をスイスイと泳いでいるのが見えた。

 おそらくシステム側に、“彼は今水中にいる”と誤認させているのだろう。ああやって空中を泳げば、曲がりくねってメインストリートを歩く必要もなかった。

 ふむ、これは夢か。

 だったら、ぼくもああいうめちゃくちゃなことができるんじゃないだろうか?

 そう思いながら図書館の壁を眺める。その壁は、コンクリートでできていて、なんともインクが塗りやすそうな材質だった。この壁塗って登れば早いかな?


「塗って登るって何!」

 ぼくはそこでガバ、と勢いよく身を起こした。

 どうやら眠っていたみたいだ。

 いつから眠っていたのかも曖昧で、どんな夢を見ていたのかも思い出せない。けれど何となく、好きなゲームの世界にいたような気がして心地いい気分だった。

 部室では岩崎くんがコーヒーを飲みながら小説を読んでいる。

 ぼくはまだとてつもなく眠かったのだけれど、椅子に座って寝ていたせいで体中がバキバキだった。

 家に帰って寝るかなあ。

 ぼくの家は大学のすぐそばにあるので、このまま部室で寝直すよりも家のベッドで寝たほうがいい。

 そう判断してぼくは鞄を持った。

「ごめん、眠いから帰るね」

「おー、すげえ寝ていたもんな。ゆっくり寝てくれ」

 手を振って部室を出る。

 大学の門を出てすぐの交差点を右に曲がればすぐにぼくのアパートが見えてくる。

 ふぁああ~、と大きなあくびをしながら目を擦る。眠い。

 ぼくはふらふらとした足取りで家を目指した。

 そんな状態だったので、ぼくは後ろから突っ込んでくるトラックに気付くのが遅れてしまった。

 キキーッという大きなブレーキ音に引っ張られるかのようにぼくは後ろを振り返る。

 その巨大なトラックは既に目と鼻の先まで来ていた。

「!」

 一瞬心が飛び跳ねたけれど、すぐに平静を取り戻す。

 大丈夫だ。こんな風に自分に向かって突っ込んでくる攻撃は、前向きにローリングすればローリング中の無敵時間で躱せる。

 ぼくは落ち着いて、トラックに向かってローリン



<『げ』ーむのう 怖いね>

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