第10話 10日目
夕闇に染まる教室で、四人の女子生徒が机を囲んでいた。
机の上には一枚の紙と十円玉。
少女たちは右手の人差し指を同じ十円玉に乗せる。細くて白い指が四本、円陣を組んでいるようだ。
少女たちは試そうとしていた。そう、あの言わずと知れた都市伝説を。
紙には鳥居の絵と、「はい」「いいえ」の文字、そして五十音表が手書きされている。
茶色い髪の毛の、やや吊り上がった目が特徴的な少女が全員の目を見回して言う。
「いいか? 何があっても絶対に十円玉から手を放しちゃ駄目だからな」
三人はこくこくと頷いた。
やっぱりこういう時、あおちゃんは頼りになるなあ。
リーダーシップを発揮する三条蒼乃……あおちゃんの横顔を見ながら、朱音はそんなことを思った。沈みかけた太陽が、彼女のすっと通った鼻筋を照らしている。
教室には他に誰もおらず、あたりに人の気配はない。部活動に励む男子生徒の声が遠くの方から聞こえてくる。
「最後にもう一回、ルールを確認していい……かな?」
翠子が、気弱そうに首を傾げながらおずおずと手を挙げた。
彼女は、不良の気がある蒼乃とは正反対に位置している成績優秀で寡黙な少女だ。話してみると案外ノリもいいのだが、一度ついたイメージをなかなか払拭できないでいる。
「いいぜ! まずは十円玉から指を放さないってこと!」
溌剌とした勢いで机に身を乗り出した少女、橙花はバレー部のエースだったのだが、怪我をしたため現在部活を休止している。
「そうだな」
橙花の勢いを右手で宥め、蒼乃が指を折り始めた。
ひとつ、ふざけ半分では行わないこと。
ふたつ、何があっても、十円玉から指を放さないこと。
みっつ、何があっても、途中で儀式を中断しないこと。
よっつ、一人では行わないこと。
いつつ、決して正体を尋ねないこと。
「いいか? じゃあはじめるぞ」
彼女たちはもう一度顔を見合わせて、力強く頷いた。
『こっくりさん、こっくりさん。どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください』
こっくりさん。
それは日本でもっとも有名な降霊儀式のひとつ。
様々な作品に登場しているため、その名を知っている人は多いだろう。
その正体は狐や狗、狸などの野生動物とされており、漢字でもそのまま狐狗狸さんと書かれる。
降霊に成功すると、四人で固定している十円玉がひとりでに動き出し、五十音表を駆使して様々な質問に答えてくれる。
明日の天気、好きな人、人の弱み。なんだって教えてくれる。
蒼乃は緊張した面持ちで、「こっくりさん、こっくりさん」と召喚の呪文を口に出す。
「どうぞおいでください。もしおいでになられたら『はい』へお進みください」
そしてしばらく待つ。
数十秒が経過する。十円玉は動き出さない。
朱音の背中を冷や汗が伝った。
一分が経過する。十円玉は動き出さない。
そのプレッシャーに耐え兼ね、朱音は思わず手を放したくなった。しかし手を放すわけにはいかない。もし、現在降霊の最中だったら、儀式を途中で放棄したとみなされる可能性がある。
そして三分が経過したとき、ふいに十円玉に力が籠った。
ズズズ。
「っ……」
翠子が無言で全員の顔を見る。四人とも茫然としていたので、誰かが意識的に動かしているわけではないことを理解する。
ズズズ。
そのまま十円玉は『いいえ』のところで制止した。
「いや『いいえ』とちゃうねん!!!」
蒼乃が大きな声で突っ込んだ。
「……あ」
突っ込んだ拍子に十円玉から手が離れた。
バシュ!
その瞬間、蒼乃の姿が消え去った。
「「「……は?」」」
朱音と翠子も驚いたが、それ以上に橙花が声をあげ、勢いよく立ち上がる。
バシュ!
十円玉から指を離した橙花の姿が消え去った。
「くっ……」
朱音は動揺して十円玉から指を放しそうになったのを必死に抑え、翠子と視線を交わす。
“ふたつ、何があっても、十円玉から指を放さないこと。”
蒼乃と橙香は十円玉から指を離したことで、異界に連れていかれたのだろう。そんな推察をした。
「……」
とりあえず、儀式を完遂させるしかない。まずはあたしたちが消え去らないこと。
そしてできればこっくりさんに、二人を返してもらえる方法を聞く。それがこの場での最適解だ。
朱音たちはそう判断して、こっくりさんを継続することに決めた。
「こっくりさん、こっくりさん。もしおいでになりましたら『はい』をお選びください」
次はすんなりと十円玉が動いた。
『はい』
当然だが翠子が作為的に動かしたようには見えない。
つまり今、こっくりさんが降りてきているのだ。
「こっくりさん、こっくりさん。どうすれば二人を返してくれますか」
十円玉が動く。
『お』『し』『え』『な』『い』
「……」
教えろよ! 朱音は心の中でツッコミを入れる。
いや、待て。朱音は思考を止めない。教えない、ということは知ってはいるということだ。
つまり、彼女たちを引き戻す方法はある。
朱音はこっくりさんと問答を続けることを決めた。
「こっくりさん、こっくりさん。明日の天気は何ですか?」
『ぶ』『た』
「小学生がみんな好きな小説!」
朱音はその予想外の答えに、危うく激しいつっこみを入れそうになったが、蒼乃の例を思い出して堪える。そもそもあたしはゾロリ派だしゾロリよりもほうれんそうまんの方が好きだ。
「こっくりさん、こっくりさん。好きな食べ物はなんですか?」
ズズズ。
十円玉が『はい』に動く。
「日本の妖怪がナンを食うな!」
再び朱音は立ち上がる。
くそ……ボケを嚙ますことでツッコミを入れさせ、異界へ連れ去る。それがこっくりさんのやり口だというのか。どんなだよ。
それにあたしはトルティーヤの方が好きだ。
……ナンが好きなのか。じゃあもしナンをプレゼントしたらこっくりさんと仲良くなれるのだろうか?
いまはちょうどナンを切らしているが、もしこっくりさんの好物を抱えていたら、機嫌を取ることができるかもしれない。切らしていないタイミングがあるのか?
「翠子、こっくりさんの好きなものを暴こう。それで二人を返してもらおう」
朱音と翠子は顔を見合わせて、力強く頷いた。
「こっくりさん、こっくりさん。好きなものはありますか?」
ズズズ。
『いいえ』
「……ないのか」
ズズズ。
「!?」
一度『いいえ』へ動いた十円玉は、なおも動きを止めなかった。
『い』『が』
……いい映画。
「いや、『い』『い』『え』を横着するな!」
我慢できなくなった朱音はついに机を両手でバン!と叩いた。
バシュ!
朱音はその場から消え去った。
翠子の脳裏に四つ目のルールが浮かぶ。
よっつ、一人では行わないこと。
「……あーあ、こっくりさんと同数になっちゃった」
翠子は小さくため息をついた。これがamong usなら負けているし、こっくりさんでも負けだろう。
彼女もこのまま同じように消されてしまう。そんな確信があった。
半ばあきらめた彼女は、最後の問答を思い返していた。
いい映画。こっくりさんはいい映画が好きらしい。
しかしいい映画って例えばなんだろう? タイタニックやショーシャンクみたいなド王道の映画? 近未来SFか、ラブロマンスという線もある。
そもそもこっくりさんって、男なの? 女なの?
男だったらダークナイトかインセプションをお勧めしておけば外れはないし、女だったらレオンかブラピの映画を投げていればいいだろう。
映画好きな翠子はそこまで考えて、こっくりさんの正体を思い出した。
そしてそれと同時に、こっくりさんが好きそうな映画にも思い至った。
その映画は、翠子の一番好きな映画だった。
「***********」
異界に連れ去られる直前に、ふとそのタイトルを口に出す。
すると、十円玉が激しく動いた。
『はい』『はい』『はい』
指が持っていかれそうになりながら、ものすごく肯定されていることを理解した。
そっか、こっくりさんも好きなんだ!
彼女は嬉しくなり、正直消えた三人のことを忘れるくらい、こっくりさんと映画談義を交わした。
そして彼女たちは、友達になった。
その結果、朱音、蒼乃、橙花の三人も無事返却してもらえた。
翠子は友達が返ってきたこと、そして、新しく友達ができたことを喜び、そのきっかけを作ってくれた映画にすごく感謝をした。
ありがとう。
ありがとう、『平成狸合戦ぽんぽこ』
<『こ』っくりさん 和解>
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