第7話 7日目

「今日もいい天気だっ」

 岩崎くんが高めのテンションで両手を振り上げた瞬間、ぱらぱらと雨が降ってきた。

 なんて間の悪い。太陽は出ているのに。

「ちょっと岩崎くん、そんなこと言うから雨が降り出したじゃないか」

 傘を持っていなかったぼくは意味のない抗議する。

「だいたい君、『今日もいい天気だっ』なんて言うキャラじゃないよね。どうしたの? 流行に乗っかったの? めちゃくちゃ流行っているから乗っかりたい気持ちはわかるけど『今日もいい日だっ。』まで知っている人たぶんそんなに多くないよ」

「やめろ、弄るな。悲しくなってくるだろうが」

「じゃあその悲しみにもありがとうしましょうね」

 きっと岩崎くんは今晩夢で高く飛ぶことだろう。

 パラパラとした雨だったけれど、部室にたどり着くまでの十分間傘無しで打たれ続けたので、ぼくたちはかなり濡れていた。

 部室の鍵を開けて中に入る。

「なんか飲むか?」

 岩崎くんがお湯を沸かしながら聞いてきた。

「んー、暖かいコーヒーをください。あとできたら愛してください」

「その辺の椅子で休んでろ」

 文科系のサークルは雨でも晴れでもあまり活動に関係はないけれど、それでもやっぱり雨の日はテンションが下がる。

 岩崎くんは「雨だしゲームでもすっか」と言いながらゲーム機の電源をつけた。

 最近の流行はバトルロイヤル系シューティングゲームだ。プレイヤーは丸腰の状態で島に降り、島中に落ちている武器や道具を集めて自分を強化し、最後の一人になるまで撃ちあうタイプのやつ。

 ぼくはシューティングゲームが苦手なのであんまりやっていないけれど、岩崎くんのプレイを後ろから見ているのは好きだ。

 彼、ゲーム中ボイスチャットを繋いでいるわけじゃないのに喋り続けるから面白いんだよな。

「ワンダウン!」「後ろ後ろ!」「オイ味方落ちんな!」「まじかー」「やりぃ!」「味方働け」「どこ降りようかなあ」「味方ァ!」「味方?」「オイ味方!」

 たぶん味方のせいにしている人は一生うまくなれないよ……

 と思っていたら、岩崎くんがらんらんとした目でぼくのほうを見て画面を指差した。

「おい! 俺この十戦のキルレが10超えたんだが!」


<『き』るれ10 達成>


 なんかトロフィーみたいになったね。

 キルレというのはまあ、キルレートの略称だと思ってもらったらいい。ゲームによって算出方法は違うけれど、だいたい自分が一回死ぬまでに敵を三回殺したらキルレは三だ。

 バトルロイヤル系は優勝すれば死なないで済むので、一人殺せばキルレは無限へと発散する。まあ数回プレイして全部優勝なんてことはまずありえないので、岩崎くんのキルレ10というのは相当すごい。

 ぼくはすごいねーと褒めながらコーヒーを飲んで窓の外を見た。雨が止んでいる。

「雨、止んでるしちょっと購買行ってくるね。なんか買ってほしいものある?」

「強い味方」

「くたばれ鉄くずめ」

 ぼくが部室を出て大学のメインストリートを歩いていると、目の前から知り合いが歩いてきた。

「ミキタカくん」

「おー、おいっす、いずみ」

 ミキタカ君は同じ学部で、時々課題を見せ合ったりカラオケに行ったりする友達だった。

 ぼくがニコニコしていると、ミキタカくんはそういえば、と言いながら右手で彼の隣の空間を指した。

「こっちが俺の彼女の曜子さん」

 もう一度言おうか。

 右手で彼の隣の空間を指した。

「……は?」

 絶句。そんな言葉が似合うくらいの間抜け面を僕は晒していたことだろう。

 確かにぼくたちは理系なので、女の子の割合が少ない。それについてはぼくも残念だ。

 そのため彼女が欲しい男の子たちは他学部や他大学と交流したり、マッチングアプリを利用したりする。中にはアニメの世界から出てこなくなって「まま~」ってツイートし続けているような輩もいる。

 せめて「俺の嫁」って言ってほしいなあ。惚れた女くらい守ってくれ。

 ただでさえ最近の恋愛事情は多種多様で、生半可な気持ちで首を突っ込んでしまったら「食らえ! Q!」「Qってなにさ」みたいな感じで返り討ちに合うことも多い。

 だからあんまり他人の恋愛事情にとやかく言うのも変な話だとは思うんだけど。

 さすがに虚空を愛するのは、どうかと思うんだよね……

 かつてベルリンの壁に恋をした女性がいたように、物体を愛してしまうのならまだわかる。ぼくだって幼少期は、虹色の大きいバネみたいな形状をした階段を降りていくぐにゃぐにゃのアレに恋をしていたと言っても過言じゃないくらい、あれのことが好きだったし。

 でも虚空はちょっとレベルが高くない?

 ぼくは曖昧な笑みで微笑んで、「そ、そうなんだ。可愛いね」と言った。

 生まれて初めて虚空に向かって可愛いねって言ったよ!

 ミキタカ君は嬉しそうに「そうだろう」と言って去っていった。

 ぼくは茫然としたまま購買に行って、岩崎くんに大学生の強い味方であるエナジードリンクを買っていった。


「ミキタカ君、やばくない?」

 とぼくが学部の友達に言うと、みんな曜子さんのことは認識済みだったそうで「最初は俺たちもそう思ったんだけどな」と言われた。

「最初は?」

「話聞いてると、曜子さんのことがめちゃくちゃ可愛く見えてきてさ」

「……」

 ぼくは頭を抱えた。

 駄目だ、理系男子に未来なんてない。みんな虚空を愛し始めている。

「だー、違う違う」

 理系男子どもは慌てて両手を振る。

「いずみん、曜子さんの容姿は聞いたか? 性格は? 出身とか境遇は?」

「虚空にそんなものはない! 調べてみました、じゃない!」

「ミキタカの話を聞いているとな、まるで曜子さんが本当にいるかのように感じられるんだよ」

 色白な肌にやや吊り上がったぱっちり二重な目。綺麗に染まったショートカットの茶髪はサラサラで、鼻筋の通った整った顔立ちをしている。

 背は低くて、ことあるごとにぴょんぴょんと飛び跳ねて感情表現をする。抱き着くのが好きだから人前で抱き着かれてよく困っているらしい。

 好きなだけ虚空に抱き着かれてください。

 出身は雪国で、今も遠距離恋愛らしく、たまにしか一緒にいられないらしい。ミキタカ君は彼女の家を教えてもらっていないようでそこが不満らしい。だから会うときはいつも彼女から一方的な連絡が来る。

「……」

「な? 妄想の彼女なのに遠距離恋愛の設定まであるんだぜ。その辺のディティールが凝っていて、俺たちあいつの恋愛話を聞くのが結構好きなんだよな」

「ふうん」

「興味なさそうに聞くなあ」

 そのまま学部の友達と別れて岩崎くんにも話をしてみた。

「……お前がそれを見たのって、この前の急に雨が降ってきた日だよな」

「そうだけど」

「……それの正体、狐だよ」

 岩崎くんは頭を抱えて、そんなことを言った。

「狐?」

 ぼくたち民間伝承研究会の部室には、様々な妖怪に関する資料がある。

 彼はそこから『狐の嫁入り』に関する資料を引っ張り上げてきた。

「天気雨……この前みたいな晴れているのにもかかわらず振ってくる雨のことを狐の嫁入りって言ったりするだろ?」

「そうだね、言うかも」

「あれを何でそう呼ぶかについては諸説あるんだが……」

 岩崎くんは本のページをめくりながら仮説をあげていく。

 ひとつ、晴れているのに雨が降っている現象そのものが、何やら狐に化かされているような気がするから。

 ひとつ、狐には不思議パワーがあると思われていたから。

 ひとつ、狐が嫁入りするときの嫁入り行列を人間の目から隠すために降ってくる雨だから。

「まあ本来、狐同士の結婚を見せつけられることを狐の嫁入りって呼ぶそうなんだが、少ない事例ながら狐が人間に嫁いでくるという伝承も残っている。たいていが異形の子どもが生まれたりして不幸な最後に行き着くんだけどな」

「つまり岩崎くんは、ミキタカ君が狐に化かされていると言いたいってこと?」

「その可能性があるって話だよ。もし本当に妄想たくましい人間ではなく、そいつにだけ曜子が見えているのだとしたら、天気雨の日にしか出会えないその彼女は狐である可能性がある。俺たちに見えないのは、狐が意図的に姿を隠しているんだろう」

 岩崎くんはそう言って本を閉じた。

「……害はないの?」

「このまま付き合い続けたら、そいつはたぶん不幸になる。けど周りには害がないと思う」

「そっか……」

 ぼくは、ミキタカ君に警告してあげようか迷ったけれど、楽しそうに曜子さんの話をする彼にそんな残酷なことは言えなかった。

 いつしかぼくも、曜子さんが本当に存在しているかのような錯覚を覚えはじめた。


 そんなある日。

 前日に天気雨が降ったある日。教室に行くとミキタカ君が沈んだ顔をしていた。

「どうしたの?」

「昨日彼女と会ったんだけど、もう会えないって」

「もう会えない? 振られたってこと?」

「……お前、民間伝承研究会だよな。馬鹿げた話なんだけど、ちょっと聞いてくれないか?」

 ミキタカ君は半ば強引にぼくを連れ出して、昨日の出来事を話してくれた。

 初めは、家族に止められたからもう会えない、と言われたらしかった。

 でも、好きじゃなくなったわけじゃないんだろう? そう言ってなおも食い下がると、曜子さんはいきなり煙に包まれ、狐へと姿を変えたそうだ。

 ミキタカ君が慌てているうちに彼女は再び人間の姿に戻って、「そういうわけだから、もう会えないの」と言った。

「でもさ、狐だってかまわないんだ。そう思えるくらい、俺は曜子さんを愛していたんだ」

 ミキタカ君が熱弁を振るう。それは曜子さんにも言ったらしく、彼女の瞳には涙が浮かんだそうだ。

「所詮わたしたちは人と狐。同じ道を歩むことはできないよ」

「前例がないだけで、やってみなくちゃわからないだろう!」

 なおも押すと、曜子さんは膝から崩れ落ち、ミキタカ君の体に顔をうずめて泣き出した。ミキタカ君はテンパりながらも彼女の頭を優しくなでて、「どうしたんだ?」と聞いた。

「わたしはもうすぐ死にます」

「え……」

「病気です。狐に伝わる伝染病」

「……」

「というより、わたしは伝染病にかかってから人間を化かすようになったんです。だから君と会ったのもすでに侵されていた後でした」

「なんで……」

「死ぬことが確定したから、いろいろなことをやってみようという気になって、人間を化かしていたんですけど。ふふ、ミキタカさん、わたしに最初にかけた言葉、覚えていますか?」

「運命の人ですか、だっけか。ナンパなんてしたことなかったのに、ふとそう言っちゃったんだよな」

「そうです。ふふふ、わたしは運命でもないし、人ですらないのにね。それで君とお喋りしているうちに……君のことが……」

 獣医に連れて行っても大した延命措置もできないだろう。そして、妖力の関係で天気雨の日しか人間に化けられない以上、これが最後になるかもしれない。だからもう、会えません。

 曜子さんは、泣きながらそう言ったらしい。

 今までありがとう、その言葉を残して去っていったそうだ。

「……」

 ぼくも少し泣きそうになっていた。

 ミキタカ君は泣いていた。

 天気雨の日にしか会えないけれど、天気雨なんてそうそう起こるものじゃない。

「こんな終わり方ってあるかよ」

 ぽつりとつぶやいたミキタカ君の言葉が、耳にこびりついて離れてくれなかった。


「岩崎くん」

「俺は便利屋じゃねえぞ」

「でも、こんな終わり方って……」

「恋愛なんてそんなもんだろ。価値観の相違、より魅力的な相手の台頭、体の相性、死別。いろんな原因はあれど、残酷で無情な最後を迎えることは確定しているようなもんだ。二人同時に死ぬ以外、円満な恋愛なんてもんはないんだよ」

 ぼくはそんな彼に「まともな恋愛したことないくせに」と毒づいた。睨まれる。

「だがまあ、一度だけ使える方法ならないわけではない」

「え、本当?」

「その代わり、使えたとして一度限りだし、数分……いや、数秒しか会えないかもしれない。そもそも向こうに会う気がなかったら会えない。それでもいいなら教えよう」

 ぼくは激しく頷いた。

 すると岩崎くんは「さて」と言って椅子から立ち上がる。

「天気雨っていうのは、晴れているのに雨が降っているその奇妙な感覚が肝だ。曜子はたぶん、その人間の持つ奇妙な感覚にシンクロすることで人間を化かすことを可能としているんだ。その場にいる人間全員が、“何か奇妙なことが起きているぞ。何が起きているんだ”と思うことで、集合意識に付け入るスキができる。その意識の隙間に入り込んで、狐は妖術を可能としている。こういうとわかりやすいか?」

「……」

 びっくりするくらい何もわからなかった。その顔を読み取って岩崎くんはため息をついた。

「まあつまり、天気雨を人工的に引き起こすことができれば、曜子は妖術を使えるっていうわけだ」

「なるほど」

 でも人工的に雨を降らすなんてできるんだろうか?

 日本政府は人工的に地震を起こすことができるらしいけど。

「だから、別に雨を降らさなくていいんだ。一瞬でもその場にいる人間全員に『天気がいいのに雨が降っている、奇妙だ』と思わすことができればいい。つまり」


 ぼくたちは大学で一番高い校舎の屋上に登った。もちろん立ち入り禁止だけれど、工事のためか何かで梯子はついているので侵入自体は簡単だ。

 岩崎くんとぼくそしてミキタカ君だけじゃなく、曜子さんの話を聞くのが好きだった男どもにも声をかけて準備をする。

 そして水道から長いホースをいくつも繋げて屋上へ水源を引っ張る。

 そう。屋上から散水をするのだ。

 数分間でも大学の構内にいる何百、下手したら何千の人間を騙すことができれば、その集合意識の隙間に曜子さんが入り込めるかもしれない。

 そう信じて、ぼくたちは、水道の栓をひねった。

 ぱらぱらと水が降り注ぐ。

 ホースから撒かれる水飛沫が飛んで、きれいな虹が見える。

 メインストリートを歩いている学生たちには見えないよう、うまいこと水を撒く。なんだかぼくたちが神様になったかのような、そんな全能感すら覚える。

 その瞬間、ミキタカ君が声をあげて、慌てて校舎を駆け下りていった。

「……見つけたのかな」

「さあな。ここから先に首を突っ込むのは、野暮ってもんだよ」

 ぼくたちは放水をやめ、先生や職員に見つからないよう急いで撤収をした。

 学内のベンチで、ミキタカ君が楽しそうに虚空とお喋りをしている。

 その目には涙が滲んでいるように見えたけれど、それでも楽しそうにお喋りをしている。

 もしかすると、ミキタカ君はぼくたちに気を使って、曜子さんがいないのにいるように振舞っているのかもしれない。

 でも、そこに突っ込むのは岩崎くんが言った通り野暮だ。

 ぼくたちはやれることをやった。

 そこから先はミキタカ君の物語。

 自身の恋愛にどう決着をつけ、ここから先どう生きていくのかは、彼自身が決めることだろう。

 さようなら、曜子さん。

 ぼくは姿を見たことのない、可愛い女の子にお辞儀をして、その足で部室へと戻った。


<『き』つねのよめいり 消失>

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