戦死者を選ぶ者   作・クラリオン



『次の機会が与えられたならば、その時標的が一人だけであっても決行するべきだと話し合った。機会を選べるほどの余裕は、当時の祖国には無かったように思えたし、実際それは正しかった』








東プロイセン、『狼の巣』。


 そろそろ時間だろうか、とクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は時計を睨んだ。時計の針は午後零時三十六分を指していた。時限装置が正確に作動しているならば、起爆までは六分ほどとなる。


気温の影響で、会議場所は同じ『狼の巣』の地下室から上階の会議室へと変更になっていた。地下室と異なり窓がある地上の会議室では、爆風がそこから逃げる事ができる為に破壊力が弱まる。爆弾が一つだけでは標的の人物を殺すには威力が足りなかった可能性もあった。シュタウフェンベルクは密かに副官の機転に感謝した。信管が起動していなくとも、片方が爆発すれば誘爆する。単純な話だったが、焦りのせいか彼自身はその時は思いつかなかった。


 計画の鍵となる爆弾入りの書類鞄を、さりげなく地図机の端にもたれ掛けさせる形で置く。これで仕込みは完了した。後は時間が来るのを待つだけだ。


 惜しむべきはここで殺せるのが当初標的としていた三人のうち一人だけである事だが、もう致し方なかった。最早状況を選べる状態ではなくなってしまったのだ。西部に新たな戦線が出来た事によって戦況は悪化、祖国の敗北は決定的とも言えた。好機を待ってからクーデターを起こすだけの余裕はない。




「少し、急ぎの電話をかけてくる」




 傍らにいたブラント大佐に声をかけ、シュタウフェンベルクは部屋を出て、隣にある電話交換室へ向かった。そこでフェルギーベル通信総監に繋ぐよう、交換手に頼んだ。交換手から受話器を渡された後、彼は二言三言話し、すぐに電話を切った。そして彼はそのまま電話交換室を出ると、会議室に戻るのではなく、その建物自体を足早に出た。








 シュタウフェンベルクが会議棟を去ってから数分後、轟音と共に爆弾が炸裂した。吹き飛ばされた窓から流れ出てくる大量の煙を、彼は少し離れた場所でフェルギーベルと話しながら見ていた。暗殺の成功と、祖国を救うクーデター作戦の第一段階の開始を確信したシュタウフェンベルクは副官と共に車に乗り込み、飛行場へ向かった。


 一方でフェルギーベルはその場で通信総監たる彼が出来る事、つまり通信管制を発令した。特に標的にし損ねたうちの片方は、軍とは異なる武装組織の指揮権を有する為、クーデター成功の為には情報を遮断する必要があった。これは半分成功、半分失敗したと言える。通常の電話回線の閉鎖には成功した。政府要人等の専用線は生きていたが、それを使う人々はほとんどが爆弾で消し飛んでいた。この中には国防軍最高司令部総長ヴィルヘルム・カイテルが含まれていた。


 その後、フェルギーベルは標的の死亡を確認し、通信掩体壕から国内軍幕僚長であるティーレ中将に電話で連絡を行った。この時シュタウフェンベルク及びその副官は未だ機上の人であった。




「ヒトラー総統の死亡を確認」




 午後一時過ぎ。緊急かつ機密の連絡を装ってベルリンのベントラー街にある国内予備軍司令部に送られたこの報せは、反ナチスグループによるクーデターの狼煙となった。








 連絡を受けたのは国防軍最高司令部国防予備局長フリードリヒ・オルブリヒト中将だった。彼はこの一報を直ちに上官であるフリードリヒ・フロム上級大将に伝えた。フロムはクーデター計画そのものへの参加は拒んでいたが、直属の部下であるオルブリヒトやシュタウフェンベルクがクーデター計画を考えていた事について沈黙を保っていた。


 暗殺が確認できた事で、フロムは計画の容認に傾いた。彼の承認を伴い、オルブリヒトは国内予備軍司令部として直ちに一つの作戦を発動し各軍管区へ伝達した。




『総統逝去に乗じ、親衛隊が反乱を起こしている』




 第一報により、まず国家元首の死亡と、新たな国家元首及び国軍最高司令官の就任が告げられた。死亡の原因は空襲によるものであると伝えられ、暗殺の事は伏せられた。


 続く第二段階により軍管区の各部隊は直ちに橋や発電所、通信施設等の重要施設を確保する為に動き出した。




 国内予備軍司令官のみが発動権限を有するそれは、本来は国内予備軍を動員し戦線に投入する為の作戦だった。それに目を付けたオルブリヒトは「外国人労働者による反乱の鎮圧」を建前に新たな戦闘部隊を立ち上げるように修正、シュタウフェンベルクと共にクーデターに使えるように修正した。


 その作戦名を、『ヴァルキューレ』と言う。




 ヒトラーを含め会議に出席していた者のほとんどが死亡した事による混乱と、主要回線の封鎖により『狼の巣』からは情報がほとんど流れなかった。明らかに一番致命的だったのは個人電話が使える高官が全滅状態にあったことだろう。


その為、国防軍の公式な指揮系統の委譲や親衛隊への連絡は行われる事無く、クーデターはスムーズに進行した。各地で親衛隊やゲシュタポ、警察の幹部や地区長官らが次々と逮捕され、警察は軍の指揮下に入った。親衛隊等の拠点や前線から遠い強制収容所などは命令に応じた部隊によって占拠され、不当に逮捕・収容されていた人々は解放された。


ここに、一九三三年から続いたナチス・ドイツは、その歴史に反して外見上実にあっけない終焉を迎えた。




 この日の午後に『狼の巣』を訪れる予定だった、イタリア社会共和国統領ムッソリーニは、爆発の数時間後に『狼の巣』に近いゲルリッツ停車場に到着し、そこでヒトラー死亡の報せを聞く事となった。


ムッソリーニは驚愕したものの、何が出来るわけでもなく、そのままイタリアへ戻る羽目になった。仮に、彼にヒトラーの死因が空襲ではなく爆弾による暗殺であると伝えられたとしても、彼は何もしなかっただろう。


当時ムッソリーニが国家元首を務めていたイタリア社会共和国は実質的にはドイツの傀儡であり、被占領国のような扱いさえ受けていた。そしてムッソリーニはその扱いを決して歓迎してはいなかったからだ。さらに言えばイタリア陸軍はドイツ国防軍の支援下にある事を踏まえると、国防軍の指揮権を握ったクーデター側にあまり強くは出れなかっただろう。因果応報と言えるのかもしれない。












 一九四四年七月二十日。第二次世界大戦を引き起こしたナチス・ドイツの国家元首、アドルフ・ヒトラーはクラウス・フォン・シュタウフェンベルクによって暗殺された。




 軍人が軍の最高司令官を暗殺する、というのは明らかに異常な事態である。しかしながら彼らは最終的にその決断を下した。その決意に至るまで、どのような思考があったかは残された文書から推して考えるほかないが、それが安易なものでない事は確かだ。




 この暗殺を引き金に、決起した反ナチスグループによるクーデターは成功し、国家社会主義ドイツ労働者党は解体され、関係者は逮捕された。殺されたヒトラーの代わりとしてルートヴィヒ・ベック上級大将が国家元首に、エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン元帥が国軍最高司令官に就任した。


 彼らは直ちに連合国、特に後の冷戦において西側となる米英との停戦交渉を開始したが対独戦の後に来る対日戦を見据え、ソ連との関係を重要視していたアメリカは無条件降伏以外に応じるつもりはなく、結果として欧州における戦争はドイツが無条件降伏する翌年三月まで継続される事となる。








 さて、最後にこの決起の意味について触れてみる事にしよう。


 ドイツの無条件降伏後、新生ドイツの国家首脳と呼ぶべき彼らはニュルンベルク裁判において戦争犯罪人として起訴され、ほとんどが有罪の判決を受けている。彼らのほとんどが決起に至るまで、軍人として戦争に従事していたのは間違いなく、そして状況が許さなかったとはいえ、少なくとも終戦に至るまでの八か月の間戦争を継続したのも彼らである。裁判の目的等を合わせて考えれば当然の結果とも言えるだろう。


 さらに、彼らが政権を取った一番の目的であったとも思われる対米・英停戦交渉は実を結ぶ事は無かった。仮にナチス政権が存続していた場合でも終戦時期は一、二か月遅れる程度だった、というシミュレーションと合わせると、この決起に果たして意味があったのかどうか疑念を抱く事もあるだろう。




この疑念に関しては、実に単純かつ強力な答えが存在する。




ナチス・ドイツが各地に建造した強制収容所のうち最初に連合軍によって解放されたのはマイダネクであり、ここは一九四四年七月二十三日に解放されている。恐らく一番有名な強制収容所であるアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の辺りに連合軍が到達したのはより遅く、一九四五年の一月の事である。この時、既に強制収容所は運営が停止され、人々は解放されていた。


 彼らの決起が無ければ、これらの収容所は終戦もしくは連合軍による解放まで稼働を続けていただろう。収容所がどのような場所であったかは、生存者達の記録に詳しい。決起が収容所で消えるはずだった数多の人命を救ったのは確かだ。


 


 最後に、暗殺の実行犯であった、シュタウフェンベルクが晩年に書いた手記の一部を引用する。ここには彼が幾度の機会を逸しながらも最終的に半ば強引に決行した理由の全てが込められている。




『当時の我々にとっては最早成否さえも重要ではなかった。失敗したとしても、祖国の、あるいは祖国の人々の名誉の為に、誰かが闘い、立ち向かったという確かな証拠を、世界に知らしめる必要があったのだ』

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