第25話 セクト=レーヴ

「しかし、あれはなぜあんなガキを欲しがっているのかねぇ」


 暗闇の中でぼやく声があった。薄暗く入り組んだ通路には、ふたつの人影以外に動くものはない。限界ギリギリに建てられた石造りの建造物からも、生活感は欠片も感じられなかった。とうの昔に放棄された、今にも崩れそうなアーチが延々と続いている。


「少しは黙って歩けないのか」


 対するは若い男のものだったが、鋼鉄のように他者を寄せ付けない響きだった。友好の欠片もない声に、もうひとりの男は肩を竦める。


「仮にもツーマンセルにその態度は酷いんじゃないか? この前手間をかけたのは認めるが……」


「ジード。俺は誰とも馴れ合うつもりはない。そもそも、貴様がしくじらなければこんな面倒なことにはならなかった」


「あれは正直イレギュラーだった。第一階級シビュラとタイマンできただけでも幸運だったというべきだ。結果的にお前の探し・・・も見つかったじゃないか」


 青年がほんのわずかに視線を寄こしたのを見て、ジードは口角を上げる。


「ずっと探してたんだろう? ラドルファス・ブランストーンを」


「その名を口にするな。反吐が出る」


 立ち並ぶ無機質な壁に反射する冷気が、青年の絶対零度の声と共に強まったような感覚。ジードは内心で感情の制御が甘いな、と思ったが特に指摘はしなかった。青年を怒らせるのを面白がっているジードとしては、死なない程度にちょっかいを出す今が丁度いい。


「そう怒るなよ。もうすぐだろう、お前の望みが叶うのは」


「……その通りだ。奴にすべての苦しみを味合わせ、この世界から消すまでは俺に安息はない」


 ざらりとした憎悪交じりの囁きを零し、青年は黒い外套のフードを引き下げる。見える瞳は、その程度では隠し切れないほどに赤かった。


 ♢♢♢


 地下都市セクト=レーヴに続く通路は、王都に八か所存在している。そのうちのひとつに足を踏み入れたラドルファスは、驚きに目を見開いた。目の前に広がるのは巨大な螺旋階段。幅四メラを超すと思われるそれは、古ぼけていても十分迫力があった。渦を巻いて暗闇に消えていく階段は、先が続いていると分かっていても少し恐怖をおぼえる。


「すごいな……何のためにこんな……」 


「この階段は上から見ると暗闇に消えていくように見える。だが、階段の下から見れば下りてくる奴は丸見えになる仕組みらしい」


 思わずラドルファスが零した疑問に、シルヴェスターは珍しく真面目に答えた。伺った師の表情は、どうも優れないように見える。連合から便利に使われていることが気に入らないのか、それとも先程の会議で何かあったのか──そこまで考えて、ラドルファスは思考を放棄した。どうせ面倒事に巻き込まれるのは確定しているし、黒フードの男のことも気にかかっている。腹をくくるしかない。


 隣のサフィラは物珍しそうに辺りを見渡していて、ラドルファスの不安は伝播していないらしい。ほっとしつつ、素直に質問に答える気分らしい師に更なる疑問を投げる。


「それは、連合とセクト=レーヴの関係が悪いっていう話と関係があるのか?」


「悪いなんてもんじゃねぇ。セクト=レーヴは元々、反連合派が集まってできた街なんだよ。だから地上との戦闘が想定されてる」


「じゃあ、入ったら五体満足で出てこれないってのは……」


 前を行くシルヴェスターが肩を竦めた。


「まああながち間違ってもない。俺たち連合の夜狩りは見つかったらタダじゃすまないだろうな。精々気を付けろよ。特にサフィラ、お前は目立つからな」


 唐突に名指しされたサフィラはきょとんとした顔でシルヴェスターを見る。


「そうでもないと思う」


「一回鏡を見てきたらどうだ?」


「だってあなたの方が目立つでしょ」


 沈黙が訪れた。一拍置いて、シルヴェスターの肩で丸くなっていた小竜が大爆笑し始めるのと同時にラドルファスにも波が襲ってくる。堪えられたと思った瞬間、頭に鉄拳を食らったラドルファスは涙目で師を見た。


「なんで俺なんだよ!」


「パートナーの躾はお前の仕事だろうが! あとサフィラ、俺にもっと敬意を払えよ……」


「わたしの師匠じゃないもん」


 さらりと言ったサフィラは、ラドルファスの後ろに避難する。


「はぁ……前から思ってたが、こいつの妙な図太さはなんなんだ?」


「……それは俺も思う」


 シルヴェスターは怒ったというよりは呆れた様子だったので、ラドルファスはとりあえず安堵した。二回も制裁を食らうのは勘弁してもらいたい。


「まったく、そんな調子で大丈夫なのか? ……前回と違って俺は子守りできねぇっていうのに」


「……?」


 彼がぼそりと呟いた言葉を聞き返す前に、螺旋階段の終着点が迫っていた。広い回廊のようになったそこは、しかし進める道があるようには見えない。暗視の暁ノ法を唱えつつ、ラドルファスは首を傾げて周囲を観察する。かつて開けていたであろうアーチ状の門には、瓦礫がうず高く積み上がっていた。六メラはあるだろうか。


「なあ、これ本当に合ってるのか?」


「当たり前だ。──五十一の門よ」


 シルヴェスターが簡略詠唱した暁ノ法は、確か周囲をしばらく静寂で包み込む暁ノ法だったはずだ。その意図は理解できなかったが、ラドルファスは嫌な予感に後ろに下がる。


「穿て閃光、三の門よ!」


 シルヴェスターの掌から放射されたのは圧倒的な光の渦だった。彼の後ろにいても感じる、恐ろしい熱と目が眩むほどの眩い光。まさかと思った瞬間、熱線は真っ直ぐに門を塞ぐ瓦礫に激突した。


 激しい閃光に思わず目を瞑ると、一拍遅れて凄まじい振動が伝わってくる。本来なら轟音で鼓膜が破れるだろうが、先程の暁ノ法のおかげで全くの無音なのが逆に恐ろしい。崩れるのではないかという危惧に襲われながらラドルファスが唖然と立ち尽くす間に、見事に門ごとくり抜かれた瓦礫がぱらぱらと辺りに舞う。


「よし、こんなもんか」


「お、おいシルヴェスター! お前何やって……!」


 我に返ったラドルファスは、そのまま平然と歩いていく師を慌てて追いかけた。


「この通路はもう使われてねえ。だから道を作った・・・・・んだよ。俺たちが順路で入ろうとすると目立つだろ」


「……ッ」


 返す言葉も見つからず、ラドルファスは呆然と溶け落ちる瓦礫だったものを見つめる。規格外。第一階級シビュラとはそういうものだと知ってはいた。シルヴェスターの戦いぶりも何回も目撃しているが、改めてその力の差を思い知らされる。


 ──とても人間の業とは思えない。暁ノ攻法「イフレクト・レイ」は眩い熱線を門の向こうから呼び出し、収束させることで高威力を発揮させる単体用の攻法だ。こんな強引な使い方は見たこともない。


「いつまでそこで突っ立ってる気だ?」


「ああ、今行く」


 答えたラドルファスはサフィラと視線と交わす。これが最強の夜狩りの力。果たして自分たちはこの域まで辿り着けるのか。


 相当な振動が伝わったはずだが、騒ぎになっている様子はない。少し埃っぽい空気と暗闇に閉ざされた街路。暗視がなければとてもここで生活などできないだろう。現にどこを見ても人の姿はなく、隙間なく立ち並ぶ粗末な作りの家も、崩れ廃墟と化しているものが多い。


「ここがセクト=レーヴ……?」


「そうだ。正確にはセクト=レーヴの『放棄地区』だがな」


「放棄地区……」


 正にその言葉が相応しい有様で、だからこそシルヴェスターはここからレーヴに潜入することにしたのだろう。


「ここからどうするんだ?」


「まず、お前たちにはレーヴの案内人を探してもらう。案内人を連れてないよそ者は最悪殺されるからな」


「お前たちには……って、シルヴェスターはどうするんだよ」


 当然の疑問に、彼は一呼吸置いて静かに二人を見据えた。


「俺にはここでやらなければならないことがある。お前たちとは別行動だ」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る