第二章 堕竜の街と夜明け

第8話 旅立ち

 ペルーダを倒したことで、ラドルファスは正式にシルヴェスターの弟子になった。


 とはいえ、これで彼の傍若無人な態度が変わったかと言われると、そんなことはなかった。結局いつも通りだ。唯一変わった点があるとすれば、シルヴェスターの暁ノ法である「夜明けデイブレイク」をちゃんと教わったことくらいか。


 庭の夜を倒して家に帰ると、彼は見慣れない宵喰を腕に止まらせていた。その反対の肩に乗るランディが、翼を広げて威嚇している。


 宵喰は、毎日発生する【夜】の影響を受けて、法力エンシェントを持つようになった生物だ。その影響か知能も発達し、人語を操る個体もいる。人を襲うことは基本的にないが、その力を恐れて一般人が近づくことは滅多にない。夜狩りたちは、法力エンシェントを得るために宵喰たちを捕獲し、飼い慣らしているのである。


 真紅の目をした梟の姿の宵喰は、シルヴェスターと何語か言葉を交わした後、空いた窓から飛び去っていった。彼はラドルファスが入ってきたことに気づいて振り返る。


「今のは……?」


「俺の浮気相手だよ」


 ラドルファスがツッコミを入れる前に、ランディが尾でシルヴェスターを叩きながら喚いた。


『ちょっと、酷くないスライ!? ボクというものがありながら!』


「鬱陶しいからやめろ。あとスライって呼ぶな」


 宵喰に浮気という概念があったのにも驚きだが、それよりも気になることがあった。


「ランディ、お前メスだったのか?」


『メスって! 言い方がムカつくしボクはれっきとした女性ですー! 弟子のくせして生意気だぞ!』


(いや、お前の弟子ではないだろ……)


 面倒なので脳内でぼやいたラドルファスに、飛び立ったランディが急降下突撃をしようとして……シルヴェスターにひっ捕らえられた。


『きゅーっ!?』


「いい加減うるせぇ! 朝のスープにするぞ!」


 首根っこを掴まれたランディは悲鳴を上げたが、流石にスープになりたくはないようで、大人しく定位置に戻った。かったるそうに溜息をついたシルヴェスターが座れと促す。


「……さっきのは冗談だが、また連合から通達だ」


「この前ベルナールに行ったばかりなのに?」


第一階級シビュラは大人気なんだよ」


 言葉とは裏腹に、シルヴェスターは嫌そうに肩をすくめる。


「なんでも、巨大な【夜】が何回も目撃されているらしい。周辺の街に被害はないが、送り込んだ夜狩りが皆殺しになっているそうだ」


(巨大な夜……?)


 どこかで聞いたことがあるが、思い出せない。


「行き先は《竜殺しの街》アストラだ。王都からは離れているが、移動手段はあるから心配するな。準備しておけよ」


 言い残すと、シルヴェスターはさっさと部屋を出ていってしまう。それと同時に、ラドルファスの頭に薬師・ノアの言葉が蘇った。


『あなたのお父さんはね、今までで一番大きな【夜】と勇敢に戦ったの。その夜はまだ狩られていないから、どこかで必ず再発生するはず。あなたの復讐相手は六翼の竜よ』


「今までで一番大きな【夜】……」


 もしかすると、夜狩りたちを片端から殺しているという【夜】は、ラドルファスの復讐相手ではないだろうか。心の中にざわざわと憎しみが芽吹くのを感じる。復讐など父親が望んでいないことは分かっている。


 しかし、師と父を同時に奪われたラドルファスの悲しみは、時間と共に風化してはくれなかった。結果、ラドルファスはこんな所で夜狩りをやっているのだ。【夜】を殺すという結果が同じなら、どのような思いを抱いていようと勝手ではないか。


 ラドルファスは昏い感情に囚われて立ち尽くした。後ろからサフィラに声をかけられるまで、そこから抜け出すことはできなかった。


◇◇◇


 翌日の早朝に出発することになった。夜になる前にアストラに着かなければ、酷い目に合うことになるらしい。そもそも、どうやって移動するのかまた聞かされていないので不安もあった。とりあえず庭で待てと言われたのでその通りにしているのだが​──


「ねえラド、アストラってどんな所なの?」


「俺も詳しくは知らないが、《竜殺しの街》の異名の通り、過去に大きな竜の姿をした【夜】が現れたらしい。その街には夜狩りがいなくて、多くの人間が食い殺されたが、一人の巫女が儀式によって朝の力を宿した槍で【夜】を突き殺した。それからその《翼砕の槍》と巫女は代々その家に受け継がれているんだ」


「なんか……ちょっと怖いね」


 サフィラが目を伏せた。確かに物騒な話ではある。アストラの街並みは幻想的で美しいそうだが、その逸話と巫女信仰のせいか、外部の人間はあまり近寄らないらしい。


 そんな話をしていると、ようやくシルヴェスターが家から出てきた。


「遅い」


「仕方ないだろう? これを引っ張り出すのに苦労したんだ……あまり使ってなかったからな」


 彼は悪びれもせずに、手に持っていた大きな何かを地面に放った。それはぱさりと地面に落ちる。薄暗くてよく見えないが、材質は革のようだ。馬の鞍に似ているものの、サイズが桁違いである。


「これ……なに?」


 サフィラが首を傾げたが、シルヴェスターは「すぐに分かる」と言ってランディを地面に下ろした。


解けほどけ茨の楔、八の門よ」


 彼が聞いたことのないことばを唱えると、首に下がった宝石から赤光が飛び出した。それはランディに向かっていくと、周りをぐるぐると回転し始める。しかしそれも長くは続かなかった。光はさらにその強さを増し、包まれたランディが影になる。その影が​──なんだか大きくなっているような?


「シルヴェスター……」


「黙って見てろ」


 その間にも影はみるみる大きくなり、今や背の高いほうであるシルヴェスターを追い越している。そこで赤い光はランディを取り囲むのを止め、四方八方に散っていった。


 シルヴェスターの肩に乗るほどの大きさだった黒竜は、この前戦ったペルーダよりも一回り大きいくらいのサイズになっていた。


『どう? かっこいいでしょ』


 ランディは器用に片目を瞑ったが、大きさが大きさなのでそれほどコミカルには見えなかった。


 意外にも、全身は柔らかそうな羽毛に覆われており、翼も鳥のものに似ている。頭からは鮮やかな朝焼けのような角が二本生えていて、尾はしなやかに長い。腹は硬そうな鱗に覆われていて、細めの四肢には鋭い爪が四本伸びていた。


「これがランディの本来の姿だ。普段の生活には邪魔だからな、いつもは暁ノ法で小さくなってもらっている」


『邪魔は言い過ぎじゃない? ボク、宵喰の中では平均的なサイズなのに……』


 ぼやくランディをスルーして、シルヴェスターは地面に落ちている革を拾った。


「ああ、もしかして、それ鞍か?」


「そうだ。これがないと内ももが擦れて大変なことになる。まあそれを抜きにしても、こいつで移動するのはお世辞にも快適とは言えないけどな」


『振り落とすよ?』


 ランディの大きな体に鞍を取り付けるのを手伝う。が、サフィラが一向にこちらに来ようとしないことに気がついた。


「サフィラ?」


 手招きすると、ぶんぶんと首を振られた。怖いようだ。まあ確かに、幼いサフィラには大きな竜は恐怖の対象なのかもしれない。宵喰らしく、ランディの顔は中々凶悪だ。しかし、無理やり引っ張ってくるのも気が引ける。


 ラドルファスのそんな感性も、残念ながら一人と一匹には適応されなかった。シルヴェスターはひらりとランディの上に飛び乗ると、何事かを指示した。


「なんだサフィラ、乗りたくないのか? では俺が特別に暁ノ法で何とかしてやろう。目を瞑って三秒だ。ほら、さん、にー、いち」


 シルヴェスターは0、とは言わなかった。竜が細い尾を伸ばしてサフィラを捕獲し、そのまま自分の体の上に放り投げたからだ。


「ぴゃっ!?」


 純粋なサフィラは言いつけのとおりに目を瞑っていたが、いきなり乱暴に宙に放られて悲鳴を上げる。既にランディに跨っていたラドルファスが何とかキャッチした。


「おい、何するんだよ!」


「早くしねえと夜になるだろうが」


 シルヴェスターはランディの背中に生える突起を掴むように指示し、竜に声をかける。


「サフィラ、しっかり捕まっとけよ」


「う……うん……」


 サフィラはまだ呆然としているが、それは返って幸運だったのかもしれない。ぐん、といきなり身体が引っ張られる。ランディが助走を始めたのだ。無駄に広いこの庭にも、【夜】と戦う以外に利用価値があったらしい。ぼんやりとラドルファスが考える間にも、次第に速度は上がっていく。


 そして竜は翼を広げた。


 僅かに地面から巨体が持ち上がり、翼を打ち鳴らす度に高度が上がっていく。後ろのサフィラが悲鳴を上げ、ラドルファスの腰をぎゅっと掴んだ。


「おいサフィラ、流石に痛い……」


 しかしサフィラから返事はない。ラドルファスに掴まることに必死なようだ。彼女は【影】だけあって意外と力が強い。これは後で痣になりそうだ。


 ある程度の高さまで上昇したからか、揺れはかなり収まった。ランディが羽ばたく頻度もかなり減っている。そこで、ふとラドルファスは疑問を覚えた。


「シルヴェスター、ランディはどうやって飛んでるんだ? 体に対して翼が小さいような……」


「いい質問だな」


 彼は器用にもくるりとこちらを向いた。サフィラにはできない芸当だ。


「課外授業といこうか。確かに通常なら、この大きさの翼でランディを持ち上げることはできない。だが、宵喰には法力エンシェントがある。暁ノ法は使えねえが、巨大な宵喰たちは法力エンシェントで空気に干渉し、上昇気流を周りに作り出して空を飛んでいるんだ」


 珍しくまともな教えだった。シルヴェスターの教育は主に三つで、ラドルファスを騙すか、実践か、実戦だ。まあその実践主義のおかげで辛くもペルーダを殺せたのだから、感謝しないこともないが。


 高速で景色が通り過ぎていく。じわじわと変わっていく空の色がいつもより近くて、ラドルファスは思わず空を見上げる。怖がっていたサフィラも好奇心には勝てなかったのか、恐る恐る周りを見渡していた。

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