第7話 災厄の夜
「サフィラ、下がれ!」
ラドルファスが叫ぶのと、ペルーダが躍りかかるのは同時だった。咄嗟に思い切り横に身を投げ出して転がる。巨体のわりに動きが素早い。聞くに堪えない声で唸った夜は、間髪入れずに尾を振り回した。瓦礫が飛び散り、地下が揺れる。尾での攻撃を予期していたラドルファスは、紙一重のところでそれをかわすことに成功した。そのまま重心を落として疾走する。短剣の銀光が薄暗い地下を走った。
「……シッ!」
気合いとともに太い足の一本を切りつける。が、手応えが硬い。【夜】特有の靄に包まれた黒い体は、予想以上の硬度を誇るようだ。僅かに靄の形が崩れ、ペルーダは怒りの絶叫と共にラドルファスを押し潰そうとしてくる。慌てて避けながら後退する。
核の位置が分からないことにはどうにもならない。分かったとしても、ラドルファスの攻法ではロクなダメージを与えられないだろう。やはり暁ノ法がなければ。
攻法、護法、呪法とある暁ノ法の中で、そのまま名を冠す「暁ノ法」は、言わば夜狩りたちの切り札だ。自らが使うことに特化してカスタムされた奥義。暁ノ法を創り出して初めて一人前になれる。弟子入り制度の目的の一つは、暁ノ法を継承することだ。
しかし、父はラドルファスに自分の暁ノ法を教える前に死んでしまった。
(どうする、どうすればいい……?)
激しさを増す【夜】の攻撃が頬をかする。そう長くは持たないだろう。が、ここでラドルファスが死ねば、確実にサフィラも貪り食われることになる。かといって逃げれば、テイワズの言う通りベルナールは滅びるだろう。焦るラドルファスの頭の中に、いつかのシルヴェスターの言葉が蘇った。
『人間には多くの急所がある。経験の浅い夜狩りはつい、人間の急所と同じ場所に核があると思い込みがちだが、実際にはそんなことはない。奴らは自分で核の場所を決められるわけじゃねえから、時には思わぬ場所──翼や尾に核がある事もある』
(そうか……もしかして……)
「撃て鋭氷の審槍、百七の門よ!」
空中に開いた門から、一斉に氷の短槍が飛び出した。それらはペルーダの尾目掛けて殺到していく。これまでの【夜】の動きは単調で、回避などしなかった。いっそそれこそが正しいのだろう。高い防御能力を誇る【夜】の体ならば、並大抵の攻撃は通らない。
しかし今回は違った。ペルーダはその蛇のような尾を振り回して何本かの槍を叩き折り、対応できなかった分は脚で受けたのだ。太い脚に幾本もの槍が突き刺さるが、即座に振り落とされる。どうやら大した痛手にはなっていないようだ。しかし、ラドルファスは重要な情報を得ることができた。ペルーダは尾を庇っている。そこの靄が薄いのか──あるいは、核があるのかもしれない。
もちろん、この刹那の攻防の間、ラドルファスはただ指をくわえて見ていただけではない。【夜】の背後に潜り込み、尾を短剣の双牙に捉えようとする。鋭い振り下ろしを見切り、一呼吸でペルーダの尾を切断する──寸前に、ラドルファスはその軌道を修正した。
直後、ビィィィィ! と蜂の羽音のような音と共に、ペルーダの柔らかそうな羽毛の隙間から棘が発射される。それはまるで生きているかのように、多種多様な方向からラドルファスを襲った。半円を描くような銀の切っ先で、次々と棘たちを真っ二つにしていく。【夜】と違い、こちらは一発でも命中すれば致命傷だ。
棘は完璧に防御したラドルファスだったが、ペルーダがその隙を見逃すはずがない。即座に正面に向き直り、その爪で引き裂こうとする。それを紙一重でかわしながら、ラドルファスはさらなる詞を唱えた。サフィラの底知れない
「駆けろ疾風の大鷲、六十六の門よ」
暁ノ呪法「ラピッド・ウイング」はすでに発動している。にも関わらず、ラドルファスの身体はさらに加速した。通常の二倍ではきかない法力を送ることで、門の向こうからさらなる力を引き出す「二重詠唱」だ。最初にサフィラと一緒に戦った時にも薄く感じていたが、どうやらラドルファスは速さに関係する呪法が得意らしい。もっと、もっともっと速くなれると身体の奥が囁いているような気さえするのだ。
加速したラドルファスを捉えられず、ペルーダの攻撃はかすりもしない。そのまま短剣を【夜】の尾に突き刺した。今までとは違い、確かに刃が通る感覚が伝わってくる。ペルーダはおぞましい狂乱の咆哮を上げ、ラドルファスを尾から振り落とそうとした。素早く飛び下がったラドルファスは、地面に叩きつけられずに済んだが、また距離を離されてしまう。
空気が震えて、また牽制の棘が飛んでくる。加速したラドルファスはそれをやすやすと避けるが、続く爪での攻撃が身体を掠った。どうやら、この速さにも対応してきているらしい。
足をすくい上げるように尾が迫ってくる。一瞬体勢を崩しそうになるが、首を狙った爪を弾き返すことに成功した。衝撃でラドルファスの腕に痺れが走ったが、巨体のペルーダはバランスを崩す。
(今だ!)
ラドルファスは素早く身を翻すと、思い切り跳躍した。ペルーダの尾の根元に向かって暁ノ攻法を唱える。
「穿て黒鋼、十六の門よ!」
刃が捕食者の光沢を帯びる。ぎらぎらと輝く短剣は落下の衝撃とともに【夜】の尾に舞い降り──黒い靄が衝撃で吹き散らされる。ペルーダの長い尾は根元から切断されていた。【夜】が恐ろしい声で絶叫し、背中の針が震えてラドルファスに殺到せんとする。しかしそれよりも速く、双牙が尾の根元の核に襲いかかる。ガツ、という硬すぎる衝撃がラドルファスに返ってきた。
(まずい、硬すぎる!)
短剣ではこの核を貫くことはできない。やはり暁ノ法だ。鋭い棘が背中に突き刺さる瀬戸際で、ラドルファスの頭に思い浮かんだのは、何度も見た父の暁ノ法ではなく。
森羅万象を灼き尽くす、圧倒的で、暴力的で──しかし確かなあたたかさと美しさを抱く、たった二度だけの鮮烈な暁。闇を染めていく朝の光。
「
核に突き立てた一対の短剣から、光が爆発的に広がった。ばきりと何かが砕ける感触が伝わってきて、しかしラドルファスが認識することができたのはそこまでだった。後はただ白、全て白に塗りつぶされて──
◇◇◇
「……ド、ラドルファス! ラドルファス!」
ゆさゆさと身体を揺らされる衝撃と、サフィラの悲鳴のような声で目が覚めた。頭が痛い。起き上がるのが億劫だ。本音を言えばあと三時間は寝ていたいが、彼女があまりにも辛そうに名前を呼ぶので起きざるを得ない。
「……サフィラ?」
「よかった……生きてた……ラドルファス……」
「勝手に殺すなよ……そうだ、ペルーダはどうなった!?」
災厄を呼ぶ【夜】と広がる夜明けの光のことを思い出して飛び起きようとしたが、暁ノ呪法の使いすぎで軋む身体は、命令に従ってくれない。しかし、その疑問に答えたのはサフィラではなかった。
「そこに核が転がってるだろ? 見りゃ分かるさ」
サフィラの後ろには、最高にいけ好かない師匠であるシルヴェスターが立っていた。いつも通り棘のある物言いだが、響きはいつもより柔らかかった。
「シルヴェスター……どうしてここに?」
「試験だからな。合格できるかどうか見てないと駄目だろ? それに、もしお前たちがしくじったら、俺が責任を取って【夜】を殺さないといけねぇからな」
(そうだ……これ、試験だったな……)
あまりに色々なことがありすぎて失念していたが、これは試験だったことを思い出す。
「それで……結果は?」
恐る恐る聞いたラドルファスに、シルヴェスターはいつもよりほんの少しだけ優しい眼差しを向けた。
「上出来だ」
彼はそれだけ言うと身を翻した。ラドルファスもそれで十分だった。シルヴェスターが人を褒めることなど、そうそうあることではないと知っていたから。
サフィラの助けを借りてようやく立ち上がることができた。周りを見渡すと、それはもう酷い有様になっている。最後に放った暁ノ法で建物が崩落しなかったのは、ラドルファスの短剣が下方向に向いていたからに過ぎない。
その証拠に、砕けたペルーダの核がある場所は大きく陥没していた。下手をすると、サフィラごと生き埋めになっていたかもしれない。その事実にぞっとしながらも、ラドルファスはなんとか階段を登った。森に広がっていた闇はすっかり消え去っていて、あの恐ろしい体験は幻かのようだ。
見上げた空は果てしなく蒼く澄んでいた。
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