ホーリーセブン〜能ある鷹は爪を隠す〜

鷹山トシキ

第1話 行動

 1991年8月27日、埼玉県浦和市にある印刷会社、『メデューサ工業』に入社して2年目の甘粕英太あまかすえいた(当時24歳)が、自宅で首吊り自殺した。男性社員の1か月あたりの残業時間は147時間にも及んだとされる。遺族は、会社に強いられた長時間労働によりうつ病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償請求を起こした。これは、過労に対する安全配慮義務を求めた最初の事例とされ、この訴訟をきっかけとして過労死を理由にした企業への損害賠償請求が繰り返されるようになったといわれる。2000年、この裁判は同社が遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審した。

 判決では、酒席で上司から靴の中に注がれたビールを飲むよう強要されたり、靴の踵で叩かれるなどのパワーハラスメントの事実も認定された。


 2001年4月25日

 甘粕智也あまかすともやは未だに息子の死を受け入れられなかった。智也は浦和駅近くのビルの屋上から飛び降り自殺を試みたが、神様によって助けられた。智也は7のつく日だけ様々な能力を発揮できるようになった。


 4月27日

 梶亘かじわたるは甘粕智也に恨みを抱いていた。2億近くも支払ったのに、会社に来やがった。

「あの野郎、俺をそんなに許せねーのか」 

 梶が『メデューサ』の社長になって20年、ここまで来るのは大変だった。智也も息子同様、『メデューサ』で働いていたが体調不良で3年前に辞めている。

「貴様のせいで息子は死んだんだ!」

 社長室で智也は吠えた。

 智也は友人から買った銃を梶に向け、発砲した。空気を裂く音が響き、銃弾が放たれた。梶の眉間に穴が開いた。

 『メデューサ』を出ると覆面パトカーが現れ、智也を追ってきたが、新幹線並みのスピードで逃げた。

 

 5月1日

  📰マイライン開始。

 

 唐津孝之からつたかゆきは、有名な整形外科医・唐津勇気からつゆうきの息子だが、若い犯罪者の遠藤圭えんどうけいとつるんで、銃を持ち始める。2人は、浦和駅前にあるコンビニで武装強盗を試みるも、誤って夜間警備員を殺してしまう。

 智也は熱海にあるビジネスホテルでニュースを見ていた。未だに警察は智也のもとに辿り着けずにいた。

 ホテルは仲見世商店街の近くにあった。

 駅・線路から遠い海側にある商店街であり、山側の「平和通り商店街」よりも短く直線的に南西へと進み、「熱海サンビーチ」へ降りて行く最短ルートの中継地となる「田原本町交差点」付近へと出る。アーケード街は1956年(昭和31年)に完成。

 駅前ビルの一つである「ハローズ熱海ビル」の飲食店なども、仲見世商店街の一部として扱われている。

 イベントで使われる場合は、隣りの平和通り商店街とセットで使われる場合が多いが、仲見世商店街単独でイベントが行われる場合もある。


 5月8日

 📰文赤城ふみあかぎ弘前支店強盗殺人・放火事件発生。

 午前10時49分頃、マスクとニット帽で変装した男が文赤城弘前支店に強盗目的で押し入った。店舗は3階建てのテナントビルの3階にあり、1階・2階にはレンタルビデオ店が入居していた。


 男はカウンター越しに混合油を撒き、「金を出さねば火をつける」と脅迫したが、支店長に拒否され青森県警察に110番通報されたため激怒して店内に放火し逃走した。火災は店内に一気に広がり、店延べ約96平方メートルをほぼ全焼した。支店は3階にあり、小さな窓しかないという建物の構造も災いし、同支店の社員5人が炎に囲まれて脱出不能となりそのまま死亡。偶然、近くの店舗のガラス清掃業者がはしごを持って駆けつけたため救出され、辛うじて脱出した4人も重傷を負う惨事となった。

 弘前支店が県警弘前警察署に110番通報した際、住所を言い間違えたため警察官がそちらに出動した後に現場に到着したり、招集日であったため緊急配備までに時間を要したことなどから初動が遅れ、犯人の逃走を許した。


 栃木県小山市で学習塾を営む溝辺みぞべ家は幸せの絶頂にいた。父・時男ときおが経営する『英泉えいせんゼミ』は順調そのもの、長女・咲子さきこは結婚間近、次女・ 富士子ふじこは子供の頃からの夢だった美容師の夢を叶え、三女・美智子みちこは高校の陸上部で活躍の上、卒業を控えた部活の先輩への恋心を募らせていた。


 そして、咲子の結婚式当日、結婚前に付き合っていた父の高校時代の親友の息子、犬山正龍いぬやままさたつを庭で見かけたがすぐに犬山の姿は消え、安心したまま結婚式を続けた。

 結婚式後、家を出る咲子に部屋を譲ってもらうよう交渉した美智子は自身の部屋を持つようになる。


 しかしその数日後、犬山が自分を裏切った咲子への復讐をしに家に忍び込み、咲子の寝室に寝ている美智子の顔に硫酸をかけてしまうという惨劇が起こる。犬山は更に止めに入った母を斧で殺害して夜の街に消えた。


 美智子は硫酸を顔にかぶって重傷を負い、「現代の医学ではこれが限界」と包帯が欠かせない顔になってしまった。それを機に町では噂が広がり美智子は疎外感を持ち、正当防衛とはいえ唯一にして最大の顧客を失って塾は立ち行かなくなり、溝辺家は一転不幸のどん底に転落する。

 

 5月14日

 📰トヨタ自動車が『イプサム』をモデルチェンジ。

 

 ドイツにヘクセという魔女が目撃された。彼女は祭りの中心で、黒の上衣に赤のスカート、藁で編んだ靴という出で立ちだった。顔には太い眉に大きな赤鼻、目玉をぎょろつかせた老女の仮面をかぶり、手には箒を手にしているらしい。🧹

 

 5月20日

  ウィキペディア日本語版が開設される。  

 静岡駅近くのおでん屋で夕食を食べていた。関東はかつお出汁だが、こっちはいりこ出汁だ。

 智也は熱燗を飲みながらケータイをいじっていた。文赤城について調べた。


 1966年(昭和41年)1月に、文月覚ふみづきさとるによって創業された『赤城あかぎ商事』が前身である。団地金融をきっかけとして高利貸しをしていき、芸能人を多用したテレビCMの大量出稿やル・パン24時間レースへのスポンサーなどで注目を集めるなど、「サラ金」に対するイメージ向上戦略などを行い、創業者である文月が一代で消費者金融業界のトップの座まで築きあげた。


 しかし、経営方針や体質を批判されることも多く、そのような批判を行った出版社やフリーライターに対して名誉毀損訴訟を起こすこともあったが、複数のケースで敗訴している。

 

 大益豊おおますゆたかは仲人の女性から頼まれて消費者金融から借金をし援助をしたが、それが借金地獄への転落の一因であった。女性一家4人が2000年(平成12年)4月に岩手県宮古市の宮古港で自殺したことを新聞報道で知り、精神的にますます追い詰められ、事件に至っている。直接の動機はギャンブルによる借金苦であった。

 豊は事件現場店舗で借金はしていなかったが、「利用したことがない店だから顔が割れていない」という理由により同店舗で犯行に及んだ。

 大益は、京都府にある鳥辺野とりべのという所に逃れていた。日がとっぷり暮れ、カラスが不気味に鳴いている。ホテルなどに逃れると、指名手配された場合にマズいので、叔父の家に居候させてもらっていた。叔父には派遣の仕事を切られて、住むところがなくなったと伝えてある。大益は、『リスタート』という派遣会社から、弘前にある自動車工場に派遣されていたが、能力がないという理由で切られていた。

 鳥辺野は、京都市の一地域を指す地域名。鳥部野、鳥戸野とも書く。平安時代以来の墓所として、北の蓮台野、西の化野とともに京都の三大墳墓地をなしている。徒然草や源氏物語に登場し、藤原道長が荼毘だび(火葬のこと)に付されたという。

 夕食を終え、叔父が唐突に話し始めた。

「このあたりには火前坊かぜんぼうって妖怪伝説が残ってる」

 平安時代頃に葬送地として知られた京都の鳥部山に現れるという妖怪で、画図では炎と煙に包まれた乞食坊主の姿で描かれている。

 鳥部山は有力な皇族や貴族が葬られており、10世紀末頃には高僧たちがこの地で焚死往生を願って自らの体に火を放って命を絶ったといわれ、その信仰儀式を人目見ようとする庶民たちも多かったが、中には儀式に反し、現世に未練があるなどして極楽往生できなかった者もいたらしく、そうした僧の霊が僧形の怪火となって鳥部山に現れたものが火前坊とされている。

 また、江戸麻布の地名「我善坊谷」から鳥山石燕が創作したものとする異説もある。

 このときまで豊は迷信だと思っていたが、翌日の夕方にすぐ近くの空き家で火事が起きて、炎の原因が特定できないとニュースで見たとき鳥肌が立った。


 5月22日

 📰富士重工業株式会社が『レガシィ』をマイナーチェンジし、ついに待望の六連星が復活した。

 

 唐津勇気のゴッドハンドによって、智也は20代の若者に生まれ変わった。施設は横浜にあった。

「先生、タダなのに悪いね」

「世の中そんなに甘くねー、バカ息子たちを警察の手から守ってやってほしい」

「断りはしないが、27日にしてくれ」

 

 5月23日

 📰小泉首相は熊本地裁のハンセン病訴訟で控訴断念することを決定。

 

 愛車のミニカに乗って横浜の街をドライブした。

 横浜市域の地形は、丘陵地、台地・段丘、低地、埋立地に分けられる。

 市の面積の多くを丘陵地が占めている。丘陵地は、市域中央部よりやや西よりに分布し、市域を南北に縦断する。この丘陵地は保土ケ谷区・旭区などを流れる帷子川付近を境に、北側と南側で性質を異にする。北側の丘陵地は、多摩丘陵の南端に位置し、標高は60mから100mで北に向かって高くなっている。南側の丘陵地は、三浦半島に続く三浦丘陵の北端部を占め、標高は80mから160mで南に向かって高くなっている。南側の丘陵地の方が起伏も激しく、標高も高い。鎌倉市に山頂部を置く大平山をはじめとする通称「鎌倉アルプス」に続く峠部分が市内最高点(栄区上郷町、標高159.4m)であり、市内最高峰の大丸山(金沢区釜利谷町、標高156.8m)や円海山(磯子区峰町、標高153.3m)もこの南側の丘陵地に位置する。一方、北側の丘陵は最高峰が高尾山(緑区、100m)と然程高い山はない。もっとも、平均標高は高く、旭区が市内で最も高い。

 台地・段丘は、丘陵地の東西にある。東側の台地は鶴見区の地名を取って下末吉台地と呼ばれ、標高は40mから60mで鶴見川付近まで続く。瀬谷区、泉区、戸塚区など西側の台地は、相模野台地の東端に当たり、標高は30mから70mで南に向かって低くなっている。本牧付近で台地が海に突き出し、その南側は根岸湾と呼ばれる。横浜駅周辺も幕末まで袖ヶ浦と呼ばれる入り江だった。

 低地には、丘陵地や台地を刻む河川の谷底低地と沿岸部の海岸低地とがある。谷底低地は鶴見川に沿って広がり、平坦な三角州性低地を形成する。また、海岸部には埋立地が造成され、海岸線はほとんどが人工化されている。金沢区の小さな入り江平潟湾は、鎌倉幕府が江戸湾側の海の玄関口とした天然の良港であった。島としては金沢区の野島(扇島・八景島は人工島)があり、野島海岸が横浜で唯一の自然海浜となった。

 ドライブしながら3月に発売されたばかりのバンプオブチキンの『天体観測』を聴いた。


 5月27日

 新しい仕事が決まった。2億とその他の貯金もあるので生活にゆとりはあったが、無職でいるのが耐えられなかった。埼玉県朝霞市にある『セグロ食品』だ。『セグロ』はスペイン語で安全を意味する。東山一希ひがしやまかずきという30代の課長が直接指導した。

「ご指導ご鞭撻ありがとうございます」

「長瀬って謙虚だな?」

 長瀬悠大ながせゆうだいというのが新しい名前だ。

 高卒で入った19歳の横浜宗平よこはまそうへいが「今度歓迎会やりましょう」と言った。

「それはいいですね」

「長瀬、宗平の方が年下なんだ。敬語を使う必要は……」

「いえ、彼の方がここでは先輩ですから」

 休憩時間、食堂でチキンラーメンをすすってるとケータイが鳴り出した。

「長瀬、約束の日だが今から来られるか?」

 相手は唐津勇気だった。

「新しい仕事決まったんですけど」

「おまえが甘粕だってことを公表してもいいか?」

「脅すのか?」

 漸く手にした平穏をブチ壊されるのは、智也にとって恐怖だった。

 智也は1ヶ月前を思い出した。若い頃に見た『Gメン75』顔負けのカーチェイス、あまりのスピードに心臓がバクバクした。今回もあのときみたくうまくいくかも知れない。

「分かった。上司に掛け合ってみる」

 ケータイを切って周囲を見回すと、自販機のところに東山がいた。「課長」

 東山はカップのアイスコーヒーを手にしていた。

「長瀬、どうした?」

「母親が具合が悪くなって」

「マジかよ?どこが悪いの?」

 風邪なんて言ったら怒鳴られるかも知れない。

「心臓です」

「俺の親父も心臓が悪かった」

「ワーファリンと納豆は相性が悪いんですよ」

 血栓塞栓症の治療および予防に用いられる。心臓弁膜症に対する機械弁を用いた弁置換術後や心房細動が原因となる脳塞栓症予防、あるいは深部静脈血栓症による肺塞栓症予防のために、また抗リン脂質抗体症候群での血栓症予防のためにしばしば処方される。

 欧州および日本では同剤による抗凝固療法の効果を、トロンボテスト測定により凝固活性(%)あるいはINR値をモニターする方法が普及していた。現在では世界的にプロトロンビン時間のINR値を用いることが各ガイドラインで推奨されている。服用から効果発現までに12 - 24時間かかり、さらにプロトロンビン時間[PT]あるいはトロンボテスト[TT]によるINR値が安定するには3日から4日は必要である。このため脳塞栓症や肺塞栓症の急性期、あるいは播種性血管内凝固で緊急に凝固系の抑制を必要とする際には効果が期待できない。このような場合にはヘパリンを経静脈投与する。ただし脳塞栓症などで早期離床を目的としたり慢性期治療に早めに移行したいときに、急性期のうちからヘパリン投与と並行して内服を開始することはある。また、服用している場合は、抗血小板療法と違って上記のような効果判定のための血液検査を定期的に実施する必要がある。また抗血小板剤との違いは、抗血小板剤は動脈での血栓予防が主であり、静脈系を含めた血栓予防には同剤を用いなくてはならないことである。

「そうそう。早く帰ってやれ、タイムカードを切るのを忘れるな?」

 

 唐津孝之と遠藤圭は新座にいざにある廃墟にいた。新座は埼玉県の最南端にあり、市のほぼ全域が武蔵野台地に位置する。東京都に隣接し、都心のベッドタウンとして住宅開発が進み、新座・朝霞・志木・和光の4市で形成する朝霞地区の中で最も人口が多い。

「女を抱きてぇ。にーちゃん、おまえいい奴だな?」

 孝之は父親に似た瓜実顔だ。

 入り組んだ外階段や、各建物を連結させる渡り廊下などが、縦横無尽に張り巡らされている。部屋を仕切っていた土壁が崩れ落ちている。

 食事はずっと、父親が差し入れたコンビニ弁当だったらしい。

 智也は、孝之と圭をミニカの後部席に乗せて廃墟から出た。

 途中、立ち寄った和光のガソリンスタンドで、遠藤が猛スピードで走ってきた車に、はねられて死んでしまったのだ。しかも、はねた車はそのまま逃走してしまった。

 智也はナンバーを記憶していた。練馬ナンバーで19-19というやらしい数字。乗ってるのはチンピラとかチーマーだろう。

 智也は遠藤を見捨てて、孝之と横浜にある勇気の病院に逃げ込むことに成功した。

「息子さんにも整形を施した方がいいですね」と、智也は勇気に意見した。

 孝之は老人へと姿を変えた。

 診察室から出て来た孝之を見たとき、まるで宝箱を開けた浦島太郎だな?と、思った。 

 智也は頭の中に叩き込んだナンバーを、陸運局に調べてもらった。

 ひき逃げ犯の正体は遠藤たちによって、殺された警備員、祇園郡司ぎおんぐんじの兄、源太げんただった。祇園郡司って『ぎ』を外してアナグラムにするとジオン軍になるんだなと、智也は気づいた。

「アイツだけのうのうと生きてんのは許せねーんだよぉっ!!」

 和光署の取調室で源太は吠えた。


 5月31日

 📰高知県ヤミ融資事件の舞台となった『デザストル』が事実上の倒産。

 詐欺業者の手口は大きく分けて二種類が存在する。

 ①先払いの手口

 「信用度を確認するから××万円振込め、入金を確認後××万円融資する」「信用に欠けるので、保証会社をつけて欲しい。その為に保証金○○円を保証会社に振り込んでくれ」などと指示する。ここ最近では「(金額を)支払え」と伝えると被害者も詐欺を疑って警戒するため、「(金額を)一定期間預けろ、返済が滞りなく行われれば返還する」という言い回しを使うことも多い。

 ②紹介詐欺の手口

 自社からの融資を一度断った上で、「当社と取引のある他社を紹介するので、そちらで相談してみて欲しい」などとして貸金業者の名称を通知し(テレビCM等で名を知られる大手の貸金業者である場合が多い)、融資が実行されると「当社が紹介したから融資を受けられた」と主張し融資額の一部を紹介手数料名目で振り込ませる。「紹介する」と銘打ってはいるが、実際には貸金業者の名前を告げるだけで、正式な紹介状が無ければ先方の担当者の氏名等が告げられることも無いなど(つまり業者は何度か電話をかける以外の行動をとっていない)、商業的効力のある「紹介」とは到底言えない内容である。また、当然ながら名を挙げられる業者はそのような事実を知る由もないため、詐欺業者は『お客様だけを特別扱いしていることを周囲に知られるとまずい』等と理由を付け、自分達のことを他言しないよう口止めを図る。

 近年ではこれの発展型として、金融庁や信用情報機関の名を挙げて「データを確認したところ、お客様に対する融資は禁止されていた。当社の役員がここの出身なので、特別に口を利いてデータを修正してもらうことが出来る」などと説明し、「データ調整の費用」という名目で金銭を要求する手口も存在する。

 デザストルは前者の手法で多くの人間を犠牲にした。

 

 旗を5つ集めるとどんな願い事も叶うという都市伝説が最近、流行していた。

 勇気からもらった報酬で智也はシリアに出かけた。

 シリアは中東のレバントに位置する共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。


 東西交通の十字路に当たるため、古代からヒッタイト、アケメネス朝、マケドニアなどの支配を受けた。7世紀に興ったウマイヤ朝がダマスカスに都を置くと、イスラム文化の中心地として栄えたが(661-750年)、続くアッバース朝が都をバクダッドに移すと、その役割は薄れた。16世紀以降はオスマン帝国の領土となる。20世紀初頭にイギリス、フランスの植民地になり、1946年に独立した。

 1963年に社会主義路線のバアス党が政権を奪い、1970年に同党の軍部クーデターによりハフェズ・アサドが政権を掌握し、軍と秘密警察を後ろ盾としたバアス党独裁体制が築かれた。2000年の死去後もその独裁体制は息子 バシャール・アサドに引き継がれ、現在に至っている。


 古代都市ダマスカスは見事だった。エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、紀元前3000年ごろから形成された都市。中東でも最古の都市の1つである。

 バラダ川の南側にあるダマスカス旧市街は、城壁に囲まれた歴史のある地域である。この城壁は、1世紀頃、ローマが最初に建設したと言われている。2004年現在残っているものは、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、アラブ人が建築したものである。城壁には、7つの門が残っている。旧市街地は、狭い入り組んだ道になっているが、東西に走る真っ直ぐな道(Straight Street)は、新約聖書にも登場している。

 世界最古のモスクといわれる、ウマイヤド・モスクも旧市街地にある。

 ダマスカスにはケンタッキーフライドチキンの店があり、そこで昼飯にした。店長は日本語をしゃべる事ができ、昔話をしてくれた。

 

 アンサリーヤの山脈の一端にクラック・デ・シュヴァリエという中世の城があった。イスラム教徒からすれば憎悪の城だった。十字軍のうちの聖ヨハネ騎士団の城だ。12世紀半ばに築かれたこの城はクルド人の要塞と呼ばれていた。

 城はトリポリの東に位置した高さ650mほどの峰に築かれており、アンティオキアからベイルートへ向かう海沿いの道や、内陸から地中海に出る唯一の通路(ホムスとタルトゥースの間の峠道)を扼している。元々は1031年にホムスの領主により建築されたが、第1回十字軍時の1099年にツールーズ伯レイモンにより落城した。エルサレムへ向かう十字軍はこの城を放棄しているが、1110年にアンティオキア公国の摂政タンクレードが再度攻め落として修築した。1142年にはトリポリ伯レーモン2世から聖ヨハネ騎士団に譲られた。


 聖ヨハネ騎士団は大規模な拡張を行い、コンセントリック(集中)型の城として、30mの厚さの外壁を加え、8-10mの壁厚の7つの守備塔を配置した。12世紀の頃には濠も有しており、跳ね橋が取り付けられていた。外壁は内壁との間隔を狭く、また直角の曲がり角を多くして、外壁を奪った敵が破城槌などの攻城兵器を内壁との間に持ち込みにくく使いにくいようにしてあった。内門と外門の間には中庭があり、内部の建築物に続いていた。内部の建築物は騎士団によりゴシック調に改造されており、ホールや礼拝堂を備え、長さ120mの食糧貯蔵庫を有していた。さらに、もう1つの貯蔵庫が地下に掘られており、5年間の包囲に耐えうると考えられていた。


 1170年にはほぼ完成していたが、その後も地震により一部が崩れ、何度か再建が行われた。城には50-60人の騎士と2000人の歩兵が常駐していた。周囲にはサフィータ、トルトーザ(タルトゥース)などテンプル騎士団の要塞、および聖ヨハネ騎士団の別の主要要塞マルガット城も位置し、十字軍国家による防衛網をなしていた。


 1163年にザンギー朝のヌールッディーンの包囲を受けたが、これを退ける。1188年にアイユーブ朝のサラディンによる包囲にも耐え、1207年にはサラディンの弟アル=アーディルの攻撃を凌いだ。1271年4月8日、マムルーク朝の君主バイバルスの調略により落城した。バイバルスはトリポリ伯が開城を勧めているという偽の手紙を作ることで、城主と騎士たちをトリポリに退却させることに成功した。バイバルスの手により礼拝堂はモスクになった。城は1291年のアッコン陥落時にも前線基地として使った。1291年にアシュラフ・ハリールによって中東から十字軍勢力が掃討された後、城はマムルーク朝の副王の居城とされる。


 1928年にパリの碑文・学芸アカデミーが城を訪れ、最初の全面調査を実施した。当時の城には500人超の農民の居住地になっており、1934年に住民の移動が完了する。

 また、店長は怪物を最近目撃したらしい。ウベルリは、ヒッタイト神話に登場する原初の巨人。ウペルリとも。海底で天と地を支えていたと言われる。

 非常に鈍い巨人で、その右肩に乗った巨人ウルリクムミが大きく成長しても、まるで気づかなかったとされる。

 智也は怪物と遭遇することはなかった。


 中世のシリアには、アンティオキアの南西にアマッラという小さな町があった。城壁に囲まれた町で少女エメラは幸せに暮らしていた。🏰

 1098年、十字軍が中東に来襲した。十字軍はアンティオキアを陥落させ、南下を開始、アマッラの町を包囲した。アマッラの民兵が抵抗、十字軍は城壁を越えることが出来ずにいた。

 十字軍は和平交渉に入る。

 アマッラ側が抵抗をやめて、中心となる建物から退去すれば市民の命は保証するという内容だったが、兵士らは町に入るやいなや、市民を虐殺しはじめた。

「このクズども!」

 死体に火をかけて、飢えた兵士たちは食べ始めた。大人は鍋で煮られ、子供は串刺しにされた。

 伝承によると、砂漠に住み、体色と姿を変えられる悪魔であり、特にハイエナを装う。墓をあさって人間の死体を食べたり、小さな子供を食べたりする。また旅行者を砂漠の奥まで誘い込み、彼らを殺して食べたりもする。


 民話ではグールが集団の誰かに化けていてこっそりと人間を食べるという話がある。女のグーラは美女に化けて、その性的魅力によって魅了した男を食べると言われる。グールには雌雄があり、卵から生まれ、雌は子供に授乳して育てる。人間がグーラの乳を吸うと乳兄弟になってグールと仲間になれる。アラブの民話では人間と会話が出来る知能や社会性をもった存在として描かれており、民話にはグールとの会話も頻繁に登場する。

 その一方で、一部の民話では道義的な教えを説く存在として善良なグールも存在し、アッラーフによって生み出されたジンとされることもある。

 グールはゴリとも呼ばれていた。

 🇸🇾シリアの旗を手に入れた!

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