第18話


「お願いです!!! 私自身には、何をしても構いません! ですからッ、どうか———ッ……」


「最高温度で10分っ。カリッと焼こう❤︎」


「ノエル!!!」


 ついにキッチンまでやってきたルシファーはオーブンの扉を開き、赤子を中へ入れる。扉を閉じ、オーブンを最大温度まで調節すると、スタートボタンが押された。

 そこから彼は、オーブンに触れることができなかった。


「ぅあぁ、ああぁっ……ノエル、お願いですッ、今すぐこの子を出してください!!!」


「せっかちなんだから……こんがり焼けるまで、待ちましょぉね〜❤︎」


 やがて赤子の鳴き声が、オーブンから漏れ出してくる——

 両手で頭を掻きむしり、ルシファーはキッチンを徘徊した。

 

 彼女はやめない。このまま、ローストベビーを食べるつもりでいる……。

 ノエルと共にいる中で、ルシファーは彼女の素性をよく理解していた。貪欲で悪質……性根に素直で、自制心がない。

 しかしながら、淫奔な振る舞いや他者への性的恥辱はおそらく、自分へのあてつけや戒めが含まれている———……。

 彼女と隷属の契約を交わしたのは、その後ろめたさからだった。あの時、同意などするのではなかった……何も契約などせず、彼女の側にいるだけで十分だった。

 今更後悔しても、もう遅い。

 この先自分は、罪なき者の屍を幾度となく目にしていくのだ———


「"赤ちゃんかして"」


 邪悪しか口にしないその声が、ルシファーを救った。

 赤子をオーブンで焼くよう命じたのは彼女だが、〝1秒〟が彼の心を絶望へ追い込んでいく状況の中で、筋違いの感謝が生まれる。


 オーブンは開かれ、泣いている赤子が取り出された。

 頬や額、手が所々あからんでいるが、目立った火傷はない。

 ひとまず安心したものの、オーブンで焼くよりもっと残酷な調理を思いついたのかも知れない……。パン粉を付けて揚げるとか……。

 ルシファーはとても赤子を渡す気になれないが、彼の体は逆らえず、赤子はノエルの手に渡された。

 ノエルは冷凍庫から保冷剤を取り出すと、それを赤子の赤い皮膚の部分に当てがう。

 それからしばらくして赤子は泣き止むと、やがてキャッキャと笑い始めた。


「赤ちゃんって、つまんないわ……怖い事を面白がったりするんだもの。言葉も話さないし。何をしてあげても、必死さが伝わってこない……ルシファーちゃんは、ほんっと馬鹿みたいに必死になるから……面白い❤︎」


 モーベットの瞳がぎらりと色を放ち、赤子のつぶらな瞳を照らした。

 また良からぬ事を始めたノエルに、ルシファーは彼女の名を叫ぶ。


「ンフフ❤︎ これから毎日……今日この家で起きた出来事が、この子の頭の中で再生されまぁす❤︎」 


 手の中の赤子をあやしながら、さも楽しげにノエルは笑った。


「新感覚VR! わたしの記憶を植え付けたから、一人称視点だよ❤︎」


「……そんな……」


 なんてことを。

 そう思っても、ルシファーは赤子を奪い記憶を書き換えることはできなかった。また自分が余計な事をすれば、生きたまま焼いて食べるよりも、両親が恥辱を受けている映像を見せるよりも、ノエルは更に酷い仕打ちをこの子にするかもしれない。


「これから毎日、一日一回……夢の中と、夢から覚めた後、お祈りをした時と、両親に抱きしめられた時と、この子が恋をした時と……あぁ、全然一日一回じゃないね❤︎ ……ルシファーちゃん、これ以上余計なことしたら、次は本当にこの子食べちゃうから。」


 ノエルは鼻歌を歌いながらリビングへ向かうと、ベビーベッドの中に赤子を入れて寝かせた。


 幼いうちは、それがなんだか理解できないだろう。自我が芽生え成長していくにつれ、この子は毎晩、悪夢にうなされるようになる……うなされている娘を心配して、かけつけた両親は彼女を優しく抱きしめる…そしてまた、彼女の悪夢が繰り返される———

 赤子の未来を想像しながら、ルシファーはその場に立ち尽くすしかなかった。


「ぁ〜あ……ルシファーちゃんに邪魔されたせいで、食欲も性欲も満たされなかった……責任、とってくれるよねぇ?」


 ノエルはルシファーの胸に飛び込んでいくと、彼の厚い胸板に指を這わせた。


「大きくて、ふっかふかのベッドの上でシよ❤︎ ささくれた床の、じめったぁ〜い真っ暗な部屋なんて嫌よ?」


 長い爪が、ワイシャツを巻き込んで皮膚に食い込む。プツリと音を立て、衣服も皮膚も突き刺した。しかし血は出ない。


「高級ホテルのスイートルームへ〜❤︎ レッツ、ゴー❤︎」


 くるりと振り返り玄関へ歩き出した直後、思い出したようにノエルは声を上げる。


「あぁ! その前にっ! ルシファーちゃんに、お仕置きしないと❤︎」




 ———ふたりはホテルの最寄りまで、電車で向かっていた。


 瞑想するように固く目を瞑り、両膝に両手を置いて座席に座っているルシファー。

 彼から少し離れた座席位置に座るノエルは携帯を構え、今か今かと何かを待ち侘びているご様子……。


 突然、ルシファーが立ち上がる———

 表彰式で名前を呼ばれた時のようにザッと速やかに立ち上がり、背筋を伸ばす。

 そして、その場で上半身の脱衣を始めた——


「ルシファーちゃんはッッッ……処女が大好き!!! ノエル様に乗られながら、私は毎晩懺悔します!!!」


 この後、Fワードが続く——

 叫び声に合わせ、胸にぶら下がるボディーピアスがチャリチャリと音を立てて揺れていた。

 同じ車両に乗車している客たちの反応は、様々だった。変態が現れた!と思い別の車両に移る者、変態が現れた!と思い携帯を取り出してビデオを回す者…。


 ノエル様は、ご満悦だった。

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