クリームソーダ飲むの食べるのどっちなの
文月いつか
第1話
クリームソーダ
定番メニュー
水切りヨーグルトスフレケーキ
ホットコーヒーorアイスコーヒー
たまにシフォンケーキもあります
カランコロン。
福井にあるこぢんまりとした喫茶店。
看板猫のみゃあが出迎えてくれる。
◇
カランコロン。
紫陽花が店先に咲いている。
今日は一日、雨予報。
「いらっしゃい」
女性の声に誘われて私はカウンター席に座った。店内には、男性がひとり新聞を眺めていた。
その席には、数日前に私と友達二人が座っていた。映画の帰りに立ち寄った喫茶店。どこか懐かしいようで新鮮だった。でも、そう感じていたのは私だけだったらしく二人は少し嘲笑っていた。
「なんか古いね」
「それ思った。スマホで検索してみたけど、何も載ってなかった」
「やっぱり、さっきのカフェ行く?」
二人とは価値観が合わない。お店の人がいるのに、そういうことを平気で言えることが信じられない。嘘でもいいから素敵な喫茶店だねと言ってほしい。
もしかして私、友達選び失敗しちゃったのかな。
ぼんやりと考えていたら、涙がぽつりと落ちてきた。こんなところで泣いちゃ駄目だ。強くそう思うのに、そう思うからなのか、涙は止まろうとしない。
「あなた、この前お友達と来てくれていたわよね」
優しい声。あたたかくてふるさとみたい。顔を上げると、女性がにこりとほほ笑んでいた。六十代半ばのショートボブの似合う人だった。
「クリームソーダおいしかったかしら」
「はい。とってもおいしかったです」
「よかったわ」
女性はにこりとほほ笑んだまま、おしぼりとメニューを渡してくれた。私は、手を拭く振りをして涙のこぼれた机を拭いた。
クリームソーダ
定番メニュー
水切りヨーグルトスフレケーキ
ホットコーヒーorアイスコーヒー
たまにシフォンケーキもあります
メニューを一通り眺め終えたころ、女性が話しかけてきた。
「困ったことはない?」
えっ。声にならない声が出た。身体がこわばる。開いていた手が自然と小さくなる。
ちらりと女性のほうを見ると、じっと私を見つめていた。でも、その視線を嫌だとは感じなかった。むしろ安心した。チューリップにそそがれるお日様の光のようだった。
この人になら話せるかもしれない。
唾を飲み込んで、さっきよりも手を小さく丸めた。
「実は……」
私は数日前の出来事を話した。女性は、時々うなずきながら私の話を聞いてくれた。どこまでもゆっくりとした静かな時間が流れていた。
「それで私、友達選び失敗しちゃったのかなって思ってしまって……」
数秒の沈黙の後、女性が答えた。
「そうねえ。友達って難しいわよね」
それだけ言うと、女性は店の奥にある調理スペースに移動した。
私はカバンから一枚のプリントを出して、目を落とした。
「はい、どうぞ」
甘い香りが鼻孔をくすぐる。目の前には、赤い飲み物。見た目はクリームソーダだ が、色と匂いがこの前と違う。
「これ、珍しいでしょ」
女性は得意げに言った。えくぼのできた顔が幼く見えた。
「仕入れ先からもらったの。あなたにだけ特別よ」
女性はえくぼのできた顔のまま、スプーンとストローを机に置いた。
「でも私、まだ何も頼んでないと思うんですけど」
「そうだったかしら。でもこのお店、クリームソーダしかないから」
確かに、私もクリームソーダを頼むつもりだった。目の前に広がる甘い香りに喉が鳴る。
「いただきます」
ストローでアイスクリームを押してみるとジュースがこぼれそうになった。慌ててスプーンでアイスを食べる。ひんやりと冷たい。バニラの風味がジュースとよく合う。クリームソーダってこんなにおいしかったっけ。
「おいしい」
スプーンを持つ手が止まらなかった。食べて飲む。食べて飲む。アイスクリームが溶けてアメリカンチェリーみたいな色になった。紫がかった透き通った赤。
「来た時よりも元気が出たみたいね。クリームソーダはアイスから食べても、ジュースから飲んでもクリームソーダよ。おいしさは変わらないわ。友達は一緒にいても離れても友達よ」
お湯が注がれた氷のように心の縛りが解けていった。やっと息ができた。新鮮な空気はみずみずしく、心の隅々まで栄養を届けてくれる。
「私、わからなかったんです。自分が二人といていいのか。二人はもう進路も決まっていて遊んでいていいのかもしれない。でも私は、大学に行きたいんです。本当は勉強したいけど、友達付き合いも大事だから……。自分のことなのに自分が一番わからない」
女性は困ったような安心しているような顔をしていた。ショートボブがふわりと揺れる。
「そうねえ、生きるって大変よね。自分の気持ちなんてわかったことのほうが少ないわ」
「そうなんですか」
「そうよ。大人なんてあなたが思っているほど立派じゃないわ」
女性の言葉とは思えなかった。
「でも、あなたは立派な大人に見えます」
「そうかしら? ありがとう」
女性は少し照れて目尻を下げた。
「生きてきてわかったことって何ですか」
数秒の沈黙の後、女性が答えた。
「クリームソーダのおいしさかしら」
私は、クリームソーダの残りを一気にストローで飲んだ。清涼感がつうと鼻を刺激する。
しまったプリントを取り出して、参加の欄に丸を付ける。夏期講習の申込用紙だ。
「ごちそうさまでした」
特別なクリームソーダの余韻に浸りながら手を合わせる。
「ありがとうございました。おかげで吹っ切れました」
私の頬もクリームソーダのように赤く火照った。席を立ち、会計を済ませる。いつの間にかみゃあが店内に入ってきていた。
「また来てくださいね」
「はい」
カランコロン。
外に出ると、曇天の隙間から光がさしていた。もうすぐ夏が始まる。今年の夏は、どこまでも行けそうだ。
◇
カランコロン。
足早な夕暮れが夏の終わりを告げる。
今日はみゃあはいない。
「いらっしゃい」
以前と同じカウンター席に座る。女性を見上げてにこりとほほ笑む。
「こんにちは。今日はお礼とご報告をしに来ました」
「そうなの。それは楽しみね」
店内にはコーヒーの香りが漂っていた。カウンターの端には読みかけの新聞が置いてある。
「今日は何にしますか」
「クリームソーダで」
女性は店の奥に入っていった。
しばらくすると、女性がクリームソーダを運んできた。
「今日は緑なんですね」
「そうよ。赤色のは本当に特別だったんだから」
鮮やかな緑にアイスクリームが映えていた。
「いただきます」
すっきりとした味わい。炭酸が程よく効いていて、ひと夏の汗を流してくれる。
「それで、ご報告ってなに?」
「模試の結果が良かったんです」
準備してきた言葉なのに、実際に口にすると耳元がくすぐったい。
「そうだったの。よかったわね」
「ありがとうございます。これもあの時のクリームソーダのおかげです」
「そうかしら。でも、これはあなたの努力だと思うわ」
そんな言葉を言われるとは思っていなかった。不意の言葉に胸が高鳴る。
「素敵なご報告をありがとう。お返しにクリームソーダの秘密を教えるわ」
「秘密ですか?」
「『さわやか』って知っている?」
「はい。子どものころ、よく飲んでいました」
「さわやか」は福井県のご当地炭酸飲料だ。微炭酸のシュワシュワとした口当たりが、名前の通りさわやかで癖になる。
「実はね、このお店のクリームソーダは『さわやか』を使っているのよ」
「そうだったんですね」
「あら、あまり驚かないのね」
女性はふふふと笑った。私もつられて笑い返す。
「驚くというより納得しました。初めて飲んた時から懐かしい味がしていたので」
友達と飲んだ時と変わったのは、甘ったるかっただけのクリームソーダがすっきりとしていたことだけ。
カランコロン。
振り返ると、男性がひとり店に入ってきた。カウンターの端の新聞を手に取り席に座る。
「あの人ね、うちの主人なの」
女性は嬉しそうにもう一つの秘密を教えてくれた。新聞をめくる音が店内に響き渡る。
席を立ち、店を後にする。
「色々とありがとうございました。また来ます」
「お待ちしています。いつでも来てくださいね」
カランコロン。
外はすでに薄暗くなっていた。南の空には上弦の月がぽっくりと浮かんでいる。私は、月のスポットライトを浴びて夕暮れの中を歩いて行った。
クリームソーダ飲むの食べるのどっちなの 文月いつか @july-ocean
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