15 すれ違いの先に



「……はぁ」


 ここ数日で吐き出し尽くしただろう溜め息を追加する。

 溜め息の数だけ幸せが逃げるなんてことを聞くが、この調子ではスーリアの幸せなどとっくに残ってはいないかもしれない。


「どうした? 最近らしくないな」


 隣に座るロイが、心配そうに様子を窺ってくる。


 スーリアの心模様とは反対に、この木陰に差し込む日差しはとても穏やかだ。木の葉の間からもれた淡い光が、彼の黒い髪に吸い込まれるように消えていく。

 あの黒髪に一度でいいから触れてみたいと、もう何度思ったことか。


「乙女にはいろいろあるのよ」

「それは失礼した」

「……素直に引くのね」


 冗談を言ったつもりだったが、彼はスーリアを気遣ったのか深くは聞いてこなかった。

 もちろんこの溜め息の原因は、気づいてしまった気持ちと、数日後に控えている夜会のせいだ。


「俺は……そういうのに疎いから、変なことを言って君を傷つけたくない」


 ロイの言葉に心臓が跳ねる。

 スーリアの方を向きながらも視線を逸らして言うさまが、彼の自信のなさを表しているように見えた。


 出会った頃から彼は律儀で優しい性格をしていたと思うが、最近はその頃よりも増してスーリアを気遣ってくれる。

 その優しさが、逆に胸に痛かった。

 優しくされればされるほど、落ちていく自分がいたから。


「大丈夫よ、そんなにやわじゃないから」

「確かに君は強いな。そういうところが――」


 途中まで言いかけて、彼は言葉をのみ込んだ。

 どうしたのかと顔を覗き込むと、また視線を逸らされる。


「そういうところが?」

「……女らしくないよな」

「失礼ね!」


 先ほどの言葉はなんだったのか。

 女らしくないと好きな人に言われたら、さすがのスーリアでも多少は傷つく。

 胸にぐさりと刺が突き刺さったような感覚を覚えたが、自分でも女らしさなど持ち合わせていないと自覚していたので、目をつむることにした。

 それに、今の方が彼らしいと思ってしまったのも事実だ。


「すまん。今のは……口がすべった」

「そう思ってたことは、否定しないのね」


 気まずそうに頭をかきながら、彼は息を吐く。

 それから、小さな声でもう一度謝った。

 そんな姿を見ても好きだと感じてしまう辺り、重症だな、と思う。


 この気持ちを伝えることはできない。

 けれど、どうしても気になっていたことがあったので、スーリアは思い切って質問をしてみる。


「ロイ、あなたはよくここで私と話をしているけれど、お付き合いしている人はいないの?」

「いないが」

「それじゃあ、好きな人は?」

「…………さあな」


 いるんだな。この様子では片想いか。

 嘘をつかないあたり、本当に律儀な性格をしている。


 直球で聞いてしまったが、自分には回りくどいやり方は合わないのでゆるしてほしい。彼に想い人がいると分かれば、気持ちの整理もつけやすい。


 もし今度の夜会で良い相手が見つかれば、この逢瀬は終わりにしなければならない。

 たとえ見つからなかったとしても、彼に好きな人がいるのであればもうやめるべきだ。


 近づく別れを思うと、目頭が熱くなる。

 涙なんか流したら、また、らしくないと言われてしまうだろうか。


 目尻にたまる涙を堪えていると、不審に思ったロイが顔を覗き込んでくる。


 ――今は、離れていてほしいのに


「スーリア? どうし――」


 雫がひとすじ頬を伝う。

 彼が、息をのんだのが分かった。


「ご、ごめんなさいっ……なんでもないの! これはさっき食べたシシトウが辛くて――」


 涙を見られたことに気が動転する。

 苦しい言い訳がこぼれたスーリアの口を、彼が塞いだ。


 その、薄くてきれいな形をした、唇で。


「っ――」


 触れたところから一瞬だけ熱を感じるも、彼はすぐに離れていった。


 何が起きたのか理解できずに茫然とロイを見ていると、彼は慌てた様子でスーリアから距離をとる。


「す、すまない! 今のはっ……その、つい……!」


 いったい、何をされたのか。

 あれはどう考えても……キス、としか呼べない。


 ――キス? なんで、ロイが私にキスを?


 思考はどんどん混乱していく。彼の行動の意味が分からない。

 キスをする理由なんて、ひとつしか思いつかない。


 でも、そんなはずはないのだ。

 こんなにも地味で、可愛げがなくて、女性らしい服装やしぐさなど皆無な自分が、彼に想われるなんて。

 きっと普段は明るく振る舞うスーリアの涙を見て、彼も動揺してしまったのだろう。自分が泣かせたと勘違いして、つい不本意な行動に走ってしまったのかもしれない。


 きっとそうだ。


 口元を手で押さえて固まるスーリアを、どうしたらいいのか分からないと言った様子で、ロイが見ている。


 彼は悪くない。

 そんなに困った顔をしないでほしい。

 私は、大丈夫だから。


「スーリア、俺はっ……」


 彼の右手が近づいてくる。


 だめ。今触れられたら、私は――


 早く何か言わなければと、焦る思考で言葉を紡いだ。


「ごめんなさいっ……わたし――」


 その声にロイはびくりと体を震わせて、スーリアに触れる寸前で手を止める。

 ゆっくりと上を向くと、泣きそうな顔をした彼と目が合った。


「……っ……悪かった。今のは、忘れてくれ」


 震える声で告げて、彼は立ち上がる。

 それからぎゅっと拳を握りしめて、早足で植木の間に消えていった。


 彼が去り際に見せた顔が頭から離れない。

 その表情の理由を、探してはいけない気がした。


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