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黒夜

本編

『いい子に、天から見ている私たちが誇れる子でいなさい』


それが三十代後半になるかならないかぐらいの若さで病に倒れてしまい、二度と目覚めることがなかったボク……相澤あいざわ由依ゆいの両親がボクに対して遺した最期の言葉だった。

優しかった両親がボクのことを思って遺したであろうこの言葉は、ボク自身にとっては長い間ボクを苦しめる呪縛となる言葉になろうとは最初はボク自身も思っていなかった言葉だった。




『いい子』とは何だろうか?


多分だろうけど俗に言う『優等生』というやつだ。

勉学で上位の成績を保ちながら体を動かす科目でも優秀な成績を残すことが出来れば良いのかもしれない。

それから生活面に至っては完璧でなければならない。

側から見て理想的な生徒像……これが『優等生』だろう、そうボクは思った。


だからまずボクは自分の一人称を変えた。

今まで『ボク』だったのを『私』へと矯正した。

中学に入ると同時に変えたからなのか、これまでと環境が変わったということもあって周りからは大して懐疑的な視線を浴びることはなかった。


成績に関しては非常に苦労した。

ボクは元々身体を動かすのは得意だったので体育の成績は良好だったが物覚えはどちらかというと悪い方だ。

才能という言葉で片付けるのならばボクは勉学に関することの才能は無いのだろう。


だから努力で才能の無さを補った。

他の人間が知れば狂人の領域ではないのかと疑うレベルの勉強時間で才能の無さを補ったのだ。

当然苦しかったのだが、当時のボクにとって肉体的精神的な苦痛よりも両親の期待を裏切った時の周りの反応が例え架空の想像であったとしてもボクには他の何よりも辛かった。


身も心も削って築き上げた『優等生』の顔。

そんなボクを支えたのはネットの動画サイトに投稿された一曲のボーカロイドだった。

その曲は当時何にも興味を持つゆとりが存在しないボクですらどこか興味惹かれる曲調と歌詞であった。

その曲を投稿した作曲者の『メイプル』……この人の存在がボクの中学時代での心の支えとなった。

この小さくて、些細だと思われるような存在が身も心もボロボロになったボクを支えてくれたのだった。




ボクが進学した高校は少々ボクとは身の丈に合わない学校だった。

周りの友人や先生の期待を裏切るのは『優等生』ではないという思いだけで進学した高校だが勉学に関しては辛いの一言に尽きるのだった。


そこでも『優等生』の立ち振る舞いで『優等生』としての友人は出来たのが、ただ一人だけ他とはまるで違う意味合いでの友人ができた。

その人の名前は柚月ゆづきかえで……ボクの心の支えとなったボーカロイドの作曲者『メイプル』本人だった。

楓がボクにとって他の人と違う理由……それは彼女だけがボクが普段から偽っていると見抜いたからだった。


ボクの『優等生』という名の仮面……演技は筋金入りだ……もうこれを三年以上は続けている。

周りに一応であるが友人と呼べる人たちは何人もいるし、先生ともたまに進路相談だったりなんだりで話すこともあったのが誰一人として本当のボクを見ようとしないのをボク自身は気づいていた。

彼女らは『優等生である私』しか見ていないでボクを判断するからだ。


本当のボクを見ようとすら思っていないのをボクは知っていたからあまり人と話すのをボクは好きじゃなかった。

今思えば当たり前だ……わざわざみんなが思う『理想的な優等生の私』という仮面を被ったままでいるのだから、常に意識を張り詰めないといけない。

ボクはみんなが思っているよりも器用じゃないから少しでも気が緩めば、みんなが必要だとは思わないボクが出てきてしまう。

拒絶されることに怯えていたからボクは自分を偽ったまま外にいた。




楓がボクと二人っきりでいた頃、今思えばこれは偶然であった。

珍しくボクと楓以外は違う教室にいた……みんな珍しく難しめな小テストで課題を貰わねばならないほどの点数だったからだ。

楓は作曲関係の本ばかり読んでいて、曲を作ること以外には興味がないとボクは思っていた。

だからなのか、独りぼっちなのを見捨てないのが『優等生』だと思ったのかはボク自身にも分からないけど声をかけた。

そしたら楓はこう返事を返してきた。


「自分を偽ってまで話しかけてこないで。噓で固めた人に話す時間を割くほど私の時間に余裕は無いわ」


たった一言だけでボクが演じていることにボクは楓に興味を持った。


「……どうして、そう思った?」


普段のボクと比べて、感情が何一つ込められていない機械みたいな声でボクは尋ねた。

そうすると楓は少しだけ困った風な表情を作ってこう返してきた。


「……なんとなくよ」


多分、作曲家だからなのか彼女は耳が良いのかもしれないとボクは思った。

声で人が込められた感情や意志をなんとなくでも分かるのだからボクはそう思ってしまった。

もちろん、この時のボクは楓の読んでいる本を見て何となくそう感じただけであったのだが。


「良かったら、今後も話して良い?」


ボクはクラスのグループから楓のアカウントだけを個別登録してからそう尋ねた。


楓にだったら、本当のボクのままでいても拒絶されずに受け入れてくれるかもしれない。

そういう願望を込めてボクは楓に尋ねたのだ。


「……別に良いわよ。好きにしなさい」


放課後は少し時間を空けた後に生活費を稼ぐためにボクはバイトをしないといけない。

バイトは週四で一日三時間ある……学業でも『優等生』であらねばいけないボクにとって自由な時間はあんまり取れない。


それでも休日や空いた時間に楓の所に行こうとボクは思った。

楓の元に行けば少しは息詰まる心が和らいで呼吸しやすくなるかもしれないと思ったからだ。

本来の自分をさらけ出せることは何よりも心に安息をもたらせると楓と過ごす時間を得たボクは常々にそう思った。




バイトのない日の平日、偶然ボクは近所に住んでいるであろう黒猫と出会った。

どこか無視出来ないような雰囲気を纏う猫をボクは無視出来ずに少しの間だけ撫でてあげた。

すると猫はゴロゴロと喉を鳴らしながらゴロンと横に倒れた。


多分この子は人懐っこい猫なんだろう。

そう思っていたのだがボク以外の人の気配を感じると猫は一目散にこの場から離れた。


また違う日にも偶然その黒猫がボクに甘えたがるような素振りを見せてくる。

多分、この子はボクと波長が合うのかもしれない。


少しだけ運命めいた物を感じたボクはこの猫にクロと名前をつけてあげた。

黒猫だからクロという名前は我ながら安易すぎるかもしれない。

でもこれ以上の名前が思い浮かばなかったのだから仕方ない。


それからもたまにではあるがクロと構ってあげた。

猫との触れ合いでも心に癒しを感じられた。

これがアニマルセラピーとかいうやつの効果なのだろう。


クロとの触れ合う時間はそれほど多くの時間も取れず、クロも猫だからか気まぐれだ。

でも、この時間はボクにとっても大切な時間だ。

だからこそ、この時間を大事にしていきたいと思ったのだ。




徐々にであるがどれだけ頑張っても結果が付いてこなくなった。

最初は小さな亀裂のような、かすり傷みたいなものだった。

ボクの頭じゃあ、どうしてこれはこのようになるのかが分からなかった。

先生に聞いてみたりしても本当は分からなかった……でもボクは期待を裏切るたくないという強迫観念から『優等生』の仮面で本音を誤魔化し、分かっている振りをした。

当然だが、本当は理解出来ていないのだ……テストの点数も落ちた。


ボクにとって周りの目は何よりも怖い。

本当にボクは期待を裏切っていないのだろうかと自問自答しても答えなど返って来るわけがない。


楓と話をして、少しでも気を楽にしたい。

でも最近は彼女と二人だけの時間を作れないでいる。

ボクが『優等生』であろうとするためにいる時間と楓と二人だけでいられる時間が重なってしまうからだ。




ある日、楓の口から漏れ出てしまうように話してくれたのだが彼女もある意味では私と似たような呪いがかけられている。

楓の母親は楓が幼い時に亡くなってしまい、父親は現在は入院している。

父親の入院はただの病気なのだが楓は自分のせいだと思っている。


楓の父親は音楽関係の仕事をしていたそうだが楓の才能を目の当たりにして挫折してしまったらしい。

それから少しして彼女の父親は倒れてしまった。

それから楓は父親に罪悪感を感じてしまったらしい。

楓が音楽を作るのも贖罪のためだそうだ。


『父親から希望を奪ってしまったから、私は罪を償うためにも一人でも多くの人を救わなければならない』


だから楓は音楽を作っている。

父親へのお見舞いに行きながら音楽を作り続けているから彼女も私と同じで自分のためだけの時間は殆どない。




日に日に、周りの期待を裏切らないだろうかと周りの人の目を気にするボクがいる。



怖い、怖い、怖い……ボクはちゃんとやっていけているのであろうか?

ボクは自分に対して明確な自信を持てないでいる。



両親の約束を守れているであろうか?

期待に応えらているのかと自問自答しても正しい答えなど返ってこない……約束は呪いに変わり、既にボクにとって徐々に体を蝕む毒のように呪いが恐怖という感情に変わってボクの心を蝕んでいく。



眠っている間ですら夢が悪夢へと変わってボクを苦しめてくる。

周りの人がボクを冷笑する声、期待外れだったと見限った目で見る大人、自分の全てを否定するような目で見てくる両親の目……この夢に楓は出てこなかったことだけがボクにとって唯一の救いだ。

もう眠ることすらも今では怖い、少しでもボクの心を癒してくれるものが欲しい。

そう思い、ボクは何かを求めるような思いを行動に変えて外に出た。


楓は今日は父親のお見舞いに行くということをボクは知っていた。

だからクロの元に行こう……そう思ってボクは外に出たのだが……………………少し家から歩いた道路の真ん中でクロの身体は静かに倒れていた。

身体の損傷具合は酷そうだ……多分車に轢かれてしまったのだろう。


小さな命が消えてしまったことをボクは実感する。

動物の命は脆い、町で生きている動物は常に凶器が動き回る環境で生きなければならない。

クロはその凶器に身を壊されてしまったのだろう。

ボクだけに懐いていたクロが死んでしまったというのに誰一人弔ってあげようとしない。


もしかしたら独りぼっちで死んだら誰も気に留めやしないのではないか?


普段じゃあ考えないようなマイナス方面の思考がボクの頭を過ぎる。

普段ならそんなこと考えたりはしないし、思考に意志が流されたりなどしない。

でも今のボクはもう弱々しいくらいに衰弱していると自分でも分かる。

肉体的にではない、心がもうダメなのだ。


ずっと息苦しい世界でボクは生きてきた。

いつもいつも息苦しくて、今にも息が詰まってしまいそうな日々がボクの日常だった。

楓との時間、クロとの触れ合い……それらは息苦しくて溺れてしまいそうなボクに息継ぎをさせてくれる大切な時間だった。

ボクを支える大事な柱が唐突にコワレテシマッタ。


「フフ……」


今のボクは、とても、危ない感情を秘めた表情に染まっているのだろうか?




クロを近所の公園で弔ったバイトの人優しい雰囲気を纏った店長にバイトを辞める趣旨の事を話してバイトを辞めさせてもらった。

辞めることを話すと店長は今月分のバイト代を何故かボクにくれた。


……今のボクはそんなに死にそうな顔をしてるのかな?


とりあえず金を渡せば一瞬でも引き止められる……あとは周りが解決してくれるはずだ。

そんな考えが分かるようだ。

でも今のボクはその程度じゃあ心が動いたりしない。


……そういえばボクの心が動くのって有ったのだろうか?


色々と考えてみるも、楓との時間以外何も感じない。

まるでモノクロの写真みたいに、世界は均一に灰色だ。

クロとの触れ合いでも、クロ以外は灰色の景色でしかない。


ボクの思い出と言える記憶は今では楓とクロしか残っていない。

家族で過ごした記憶も……ボクは遺言しか覚えていなかった。

多分、呪いのせいで消えてしまったのだろう……もうボクには彼らの声すら思い出せない。


今更ながらボクは自分自身を曝け出せる相手以外とは何も感じないみたいだ。

よく考えたら、楓の曲も楓と一緒に聴かないと何も感じなかった。

今頃になってそのことに気づいたボク自身に対してボクは空虚に笑う。


もう、いいや

生きるのに……疲れちゃったから。

このままボクが死んでも悲しむ人だなんて……






「由依!」






他とは違う、ボクの心の響く唯一の女の子の声が聞こえてきた……楓だった。






ボクは楓と今の心情について話した……彼女はただ静かに頷きながら聞いてくれた。

ボクから全て聞き終えた楓がボクに対してこう提案してきた。


「だったら、私と一緒に来てよ」

「……どうして?」

「私が由依を苦しみから救ってあげるから、救われるまで一緒にいてよ」


楓の言葉は素直に嬉しかったボクは、彼女と暮らしていくことを決めたのだった。

もうボクは楓なしには生きていけない……ボクの命を繋いだんだから、ボクが消えるまでいてくれるよね?






楓と暮らし始めて半月が経った。

ボクは学校に行かず、楓が暮らすアパートに引き篭もる日々を過ごしている。

楓との話によるとどうやらボクの捜索届けが出されていたみたいだった。

そのせいでボクは引き篭もる生活を余儀なくされている。


周りの人は心配していたのかもしれないけどそれは『優等生』のボクであって本当のボクじゃないでしょ?

今のボクにとって楓以外はもう通り魔だとしか思えない。


あの日からボクはもう楓以外の存在を何とも思わなくなってしまった。

だから外の世界に興味は無い……でも、楓と外の出歩け無いのは少し残念だと思った。


ある日、食事中にこんなニュースが流れてきた。


『〇〇県××市△△中学の校庭にて重傷の女子中学生が発見されました。状況から見て飛び降り自殺未遂だったのではないかと判断した警察は当校にていじめの疑いで捜査を……』


こんなニュースを見て、ボクは思ってしまった。


「死ねなかったんだ、可哀想だね」


ボクがつい思ったことを呟くと楓が珍しく反応した。


「どうしてそう思うの?」


不思議そうに聞いてきた楓に対してボクは思ったことを言葉にする。


「だって、痛いじゃん。苦しいのに痛いだけ生き残ってしまうのは、きっと可哀想だよ」

「そうだね、多分私も死ぬ辛さよりも生きる辛さの方が辛かったらそうしちゃうかもしれないし、そういう人を知ってるわ」


楓の言う人はきっと私のことだろう。

あの時、楓が繋ぎ止めてくれなきゃ私も歩道橋から道路に身を投げていただろう。


「由依は、死ぬならどう死にたい?」

「ボクは……入水かな?」

「海で?由依ってロマンチストだね」


海とは考えていなかったけど、星空に看取られながら死んでいくのは、多分素敵だろう。


「でも、楓……ボクは楓を置いて行かないよ」


今のボクは楓といる時間が何よりも大切だ。

楓は優しい人だ……全てを救ってあげたいと思いながら自分を追い詰めて曲を作る。

もうボクはボクという名の動く骸でしかない。

ボクはきっと楓の優しさを使い潰すまでここにいるのだろう。


「だからさ、ボクが死ぬ時、一緒に死んでくれる」

「……良いわ。死ぬ時は一緒にね」


ボクのお願いに楓は苦笑しながら答えてくれた。

そのお願い……ずっと忘れないで欲しいなぁ。




……スマホから着信音が聞こえてきた。

ボクはもう楓以外の繋がりを全て断ち切っている。

連絡相手は楓以外に存在しない。

楓は父親のお見舞いに行ったきり戻ってこない……少し遅いなと感じたし、コール一回で着信音も切れた。


何だか嫌な予感がする……何かが壊れる音が聞こえてくるようだ。

ボクは深く帽子を被り、マスクで顔を隠しながらサングラスをつけて外に出た。


走って、走って、走って、走って、走って、向かう。

運動が得意だったボクは楓との生活で死んだようで肺が圧迫されたような苦しみを感じる。

でも、いくら息苦しくてもペースを落とす訳にはいかない。

早くしないと取り返しのつかないことになるという思いだけがボクの足を進めてくれる。


楓はいたが、赤信号だというのに歩道を渡ろうとしている。


「楓!」


ボクは人の波を掻い潜りながら楓の腕を掴む。

楓があの時ボクを引き留めたように、今度はボクが楓を引き留める。


「言ってくれたよね、死ぬ時は一緒だって」

「……」


楓は最初、反応が無く、表情も虚だったがポツリポツリと言葉が漏れでくるのが聞こえる。


「お父さんが、起きたけど、私に掴みかかってきて……お医者さんは、記憶が、混濁、してるって……」


全てを話し終えると楓はあの時のボクみたいな雰囲気で呟いた。


「もう……消えたい」


楓は優しい人だったが常に自分を追い立てていた。

それは罪悪感による贖罪のためだとボクは知っているけど、今にも力尽きてしまいそうな様子で曲を作ってきた。

楓の心はもう折れてしまったのだろう……壊れてしまったのだろう。


だけどボクは楓に死んで欲しくない……これはボクの我儘……独りよがりのエゴだ。

今まで楓は『人を救う曲を作る』という呪いに縛れていた。

だがその呪いは今の楓にとって意味の無いものになってしまった。

だから今の楓を生かすために新しい呪いを作って彼女を縛るのだ。


「ボクね、もう楓いないと息が出来ないんだ。楓がいないと苦しくて苦しくて死んじゃうんだ。だから一緒にいてよ、ボクと約束したでしょ?」


ボクは絶対に楓のことを離さない。

ボクの事をボクが望んだとはいえ、縛りつけた楓だ……楓もボクで縛りつけよう。

この、新しい呪いで……ボクと楓は死んでも永遠に一緒だ。




あれから楓は音楽を作ることをしなくなった。

音楽を作るために動いていたパソコンは息を引き取ったかのように静かだ。

楓の中の音楽を作らなければならないという呪いが消えてしまったのだからあれらが再び活動することは多分もう無いだろう。


楓は音楽を作る代わりみたいに四六時中、ボクにべったりとしている。

外にも出ず、食事の時も、お風呂の時も、寝る時もずっとくっついている。

その様子は甘えたがりの子供みたいだ。

今まで張り詰めた反動が一気に来たみたいだと思う。


ボクも楓とずっと一緒にいる時間は幸せだ……永遠にこの時間が続けば良いのに。




ボクと楓の幸せな時間が壊れる音が聞こえる。


…………警察が来た。


楓は警察相手に誤魔化してたけど、次は令状を貰って来るという声が聞こえた。

警察が来たのは『優等生』でなければならないというボクの呪いの影響だ。

もしかしたら楓を止める時にボクを知る人がボクを見かけたかもしれない……きっとそうだ。


世間の善意、正義感の強い人の意思、それらはボクらにとって悪意でしかない。

それらはボクと楓の箱を無作為に壊そうとする破壊者だ。


ボクと楓の生命を繋いでいる糸を断ち切る刃物が、ボクたちだけの小さな幸せの箱が壊れる音が残酷なまでに近づいて来る。


「由依……海に行こう」

「…………うん」


楓の提案に隠された意図が分かっていてもボクは素直に頷いた。




海には案外簡単に来れた。

ただ、楓の息も絶え絶えだ……楓の家から少し離れているけど、流石にボクも楓ほどには脆弱じゃないようだ。

まるで旅行の行き場所を決めるかのように二人で話して、一番近くて最適だと思った場所を二人で決めたのだ。


「思ったより、遠かったわね」

「そうだね、でも着いたよ」


警備員が途中で居たけど興味なさそうにしていて、そのまま通り過ぎた。

世間の人、全員がこんなのだったらボクらの箱は壊れずにずっと続いたのにね……


「楓、怖い?」

「少し……でも由依と一緒だから平気」


夜空は雲一つなく、星がボクらを照らす。

ボクと楓の最後はとてもロマンチックな場所のようだ。

ボクらは手を絡み合わせてそっと唇を触れ合わせた。


「由依、愛してるよ」

「ボクも、楓を愛してるよ」


そして二人で愛の言葉を囁く……もう思い残すことは何もない。


人の祖先は海から来たと言われている……海に還るボクたちはまた生まれ変われるだろうか?

もし生まれ変わったとしても、楓と一緒にいたいな。



生まれ変わっても……また……ボクたちは……会えるよね?





















「ふぁ〜〜〜」


ボク自身が見たボクの夢に出て来た一つの物語が終わると同時にボクは目を覚まして身体を伸ばす仕草をする。

……どうやらいつの間にか眠りに落ちていたようだ。


黒江くろえ、大丈夫?もしかして寝不足?」

「大丈夫だよれん、少し夢を見てただけだから」


そう、ボクは夢を見ていただけだ。

どこか息苦しくなるけど、幸せそうで……無性に『ボクと蓮は幸せだよ!』と叫びたくなるような夢だった。

夢に出てきた女の子二人、顔は良く分からなかったけどきっと……二人はまた出会えているだろう。

ボクと……蓮みたいに。


夢の中の人物に祈るのも不思議な話だが、それぐらいは別に良いだろう。

じゃないと彼女たちも可哀想だ……何故かそう思えてしまった。


「それよりこれどう?良いと思う?」


そう言いながら今作っている曲のラフを奏は渡して来る。

ボクたちは『KK』という名前で音楽を作っている。

蓮がその曲の骨組みを作って、ボクがその曲に言葉を紡いでいく。


世間はようやく蓮の才能が評価されたようで、ボクたちの仕事は軌道に乗り始めた。

ボクたちの仕事は曲を作ることだけど……ボクにとって『歌う人が良いだけ』という評価でも褒め言葉。

歌う人の手によって蓮の曲が花開いてくれるだけでボクは嬉しいからだ。


「蓮の方こそ大丈夫?しっかり睡眠時間取れてる?」

「大丈夫…………それより早くお金を貯めて結婚しようね」


歴史的には比較的最近なのだが三十年以上も昔からこの国では同性婚が認められた。

きっかけは何なのかはボクは調べなかったけど、それより前は同性愛に関してはかなり厳しく、世間の目も冷たいものだったらしい。

ボクと蓮は女の子同士だけど、死ぬまで一緒にいても良いと世界のルールが認めてくれるようで初めてこのことを知った時はとても嬉しかった。


今の世界は、息がしやすいなぁ〜

そうだね……その通りだね。


「「ッ!?」」


何か蓮に似てるような……ボクに似てるような声が聞こえてきた。

ボクも蓮も口を開いていないのにだ。


だけどこの声、何だかさっきの夢と繋がりがあるみたいだとボクには感じられた。


「ねぇ、蓮。聞いて欲しいことがあるの」

「……どうしたの?」

「今度曲を作る時はこれを参考に作ってみて欲しいの。だから聞いて欲しい、さっき見たボクの夢の話を!」

「面白そうだね。じゃあ今度は、それにしようか」


ボクも蓮も笑いながら話をする。

ボクの夢の話で、あれは架空の話のはずなのにボクらは何故かその人物の気持ちが分かるようだった。


この夢はボクらの手で音楽にしてあげたい……何故かボクにはそう思ってしまった。


もしこの曲のタイトルを付けてあげるのなら、こうしてあげよう。


『Starry Sea』


この曲はボクらのいずれ行う結婚式に流したい……そして叫ぶんだ。


『ボクは蓮に出会えて……最高に幸せだよ!!!』と

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