2

 その絵はクドウ氏の私室に飾られていると言う。

 そこには私以外にも新旧の画家たちの名画が飾られているらしい。

 軽く名前をそらんじてもらったが、血の気が引くオールスターだ。

 教科書に登場した名前から、最近名をはせている人物まで。

 その中に自分の絵も含まれていると思うと、場違い感がいなめなかった。


 その絵をクドウ氏の部屋に戻しつつ、私たちはエントランスを抜けて、会場の部屋に赴いた。

 昨日のうちに準備を終えていたらしく、この日は待たされることはなかった。


「ここだ」


 クドウ氏は部屋の前に立つと、ドアノブを握って押し開いた。

 会場になった部屋は、最初の部屋と比べて落ち着いた色合いをしていた。

 濃淡に統一された壁紙。

 部屋の中にはテーブルランプの置かれた勉強机と椅子。

 それに小さな本棚があるだけで、こざっぱりしている。

 物で言えば、おそらく最初の部屋の方があっただろう。


「構図はこの通りでお願いするよ」


 クドウ氏の胸ポケットから取り出されたのは、一枚の写真。

 そこには幼少期から少し大きくなった、中学高校生くらいのクドウ氏が写っていた。


 写真の彼は机に寄りかかって立ち、両手を机の縁に置いている。

 幼さを残しつつも、大人の入り口に足を踏み入れつつある年齢。

 その意思の強さを表す視線は、現在のクドウ氏の片鱗を感じさせた。


 勉強机の目には、既にイーゼルとキャンバスが設置されている。

 見慣れたキャビネット。パレット。それに鞄。

 椅子の上にはスケッチブックと鉛筆が置いてあった。


「キャンバスの大きさは、1枚目と同じだ。問題はあるかい?」


「ありません」


「よろしい。では、始めよう」


 まずはポジションを決める。

 クドウ氏に写真と同じようにしてもらいながら、適宜注意を入れ、微調整をしていく。

 写真のクドウ氏はまだ可愛げがある。

 精一杯格好をつけてはいるが、どこか恥ずかしさがあり、カメラを構えている誰かを呪っているようだ。

 きっと、カメラマンからそうするように言われたのだろう。


 だが、今のクドウ氏にそういう初々し恥ずかしさは微塵もない。

 堂々とポーズを取り、いかにしてカッコよく見せるかをよく心得ている。

 モデルとしての経験はないが、常日頃他人と関わり続けたことによって、自然と身につけたのかもしれない。


 テーブルにもたれながら、足を組んで立つクドウ氏。

 両手をつき、写真の彼と一緒にポーズを取る。

 ビジネス誌の表紙にそのまま使えそうだ。


 写真と同じ構図のはずなのに、写真とはまるで違う印象を持った。


「下書き、始めますね」


 椅子に座った私は、スケッチブックと鉛筆で下書きを始めた。

 一枚目の時は本棚や机やソファなど、小物が色々と多かった。

 それに比べて、今回は物が少ないため、よりクドウ氏に注力する。

 茶色のジャケット。グレーのパンツ。黒いタートルネックのTシャツ。

 アイロンを丁寧にかけてあるのか。衣服にはシワがなく、ピシッとした折れ目がついている。

 

「この部屋は私の勉強部屋だった」


 クドウ氏が室内を懐かしむように見回した。


「勉強以外のことに注意が向かないように、あらゆる娯楽がこの部屋から排除された。ここにいる時間をなるべく減らそうと、課題や宿題を早く終わらせようと必死だった」


「この部屋は、嫌いだったんですか」


「まあ、好きではなかったな。集中はできたけれど、息抜きが何一つなかったから」


 そう言って、クドウ氏は肩をすくめた。


「ここにいるより、人形を作っていた方が楽しかったな」


「人形作りは、幼い頃からやっていたと聞きましたが」


「サチエが言っていたのか」


「ええ。屋根裏部屋に案内された時に、おっしゃっていました」


「なるほど。確かに幼い頃から人形は作っていたよ。初めて作ったのは、5歳くらいだったかな」


 サチエ夫人はどうやら嘘は言っていないようだ。


「誰かに影響されて、始めたんですか」


「いや、気づいた時にはやっていたね。影響されたんだろうけど、誰に影響されたかは、憶えてないな」


 クドウ氏は眉間を挟みながら、思い出そうと試みた。

 だが、功を奏すことはなかった。

 幼い頃の記憶を、今になって思い出せと言うのも無理な話かもしれない。

 

「でも、本はよく読んでいたよ。読んでいたと言うより、見ていたの方が正しいかもしれないが」


「それはご両親が用意してくれたんですか」


「ああ。父が書斎から用意してくれたんだ。あとから知ったんだが、父も人形技師で、知る人ぞ知る職人だったらしい」


「ということは、お父様の影響も少なからずあったのでしょうか」


「そうかもしれないね」


 素早く鉛筆を走らせ、スケッチブックにクドウ氏の姿を作り上げていく。

 そうしながら、私はサチエ夫人のために、彼の表情にもより注意を向けた。

 理知的な切れ長の目。口元に生えた整えた髭。きりりとした眉毛。細面だが骨格がしっかりした顔立ち。彫りの深い顔。

 

 クドウ氏の立ち姿とは別に、スケッチブックの端に彼の顔を刻み込んでいく。


「この部屋を使い始めたのは、いつからなんですか」


「小学校の高学年になった頃だね。どうやら父の考えだったらしい」


「それはどうして」


「人形にのめり込みすぎて、勉学が多少疎かになっていたんだ。成績はよかったんだが、勉強に対する熱意にかけていてね。よく教師には注意されていた。どうやら、教師が父に告げ口をしたんだろう。もっとも、子供の心配をするのは彼らの仕事だし、両親に相談したのも、悪意あってのことではなかったのだろうけど」


「それで、この部屋を用意されたと」


「もともとは物置でね。父が使用人に命じて改装したんだ。当時の私は、ここを監獄と言っていたよ。監視としてタカギが立っているし、息苦しいことこの上なかったよ」


「確かに、息苦しいですね」


 そうこうしているうちに、下書きがまとまってきた。

 

「こんな感じでどうでしょう」


 鉛筆をキャビネットに置いて、スケッチブックをクドウ氏に見せる。

 クドウ氏はスケッチブックを受け取ると、上から下をなぞるように、視線を動かした。


「この顔は」


「クドウさんの顔の練習です。1枚目の顔と大きく差異があってもいけませんから」


 我ながら適当すぎる理由だった。

 もう少しうまい嘘がつけないものか。

 だが幸運にも表情と目を動かすことはなかったし、クドウ氏はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。


「そうか。……この構図で構わないよ」


「ありがとうございます」


 スケッチブックをもらった私は、ページをめくる。

 面倒な依頼を背負い込んだものだ。

 私はそう思いながら、まっさらなページに筆を置いた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る