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その絵はクドウ氏の私室に飾られていると言う。
そこには私以外にも新旧の画家たちの名画が飾られているらしい。
軽く名前をそらんじてもらったが、血の気が引くオールスターだ。
教科書に登場した名前から、最近名をはせている人物まで。
その中に自分の絵も含まれていると思うと、場違い感がいなめなかった。
その絵をクドウ氏の部屋に戻しつつ、私たちはエントランスを抜けて、会場の部屋に赴いた。
昨日のうちに準備を終えていたらしく、この日は待たされることはなかった。
「ここだ」
クドウ氏は部屋の前に立つと、ドアノブを握って押し開いた。
会場になった部屋は、最初の部屋と比べて落ち着いた色合いをしていた。
濃淡に統一された壁紙。
部屋の中にはテーブルランプの置かれた勉強机と椅子。
それに小さな本棚があるだけで、こざっぱりしている。
物で言えば、おそらく最初の部屋の方があっただろう。
「構図はこの通りでお願いするよ」
クドウ氏の胸ポケットから取り出されたのは、一枚の写真。
そこには幼少期から少し大きくなった、中学高校生くらいのクドウ氏が写っていた。
写真の彼は机に寄りかかって立ち、両手を机の縁に置いている。
幼さを残しつつも、大人の入り口に足を踏み入れつつある年齢。
その意思の強さを表す視線は、現在のクドウ氏の片鱗を感じさせた。
勉強机の目には、既にイーゼルとキャンバスが設置されている。
見慣れたキャビネット。パレット。それに鞄。
椅子の上にはスケッチブックと鉛筆が置いてあった。
「キャンバスの大きさは、1枚目と同じだ。問題はあるかい?」
「ありません」
「よろしい。では、始めよう」
まずはポジションを決める。
クドウ氏に写真と同じようにしてもらいながら、適宜注意を入れ、微調整をしていく。
写真のクドウ氏はまだ可愛げがある。
精一杯格好をつけてはいるが、どこか恥ずかしさがあり、カメラを構えている誰かを呪っているようだ。
きっと、カメラマンからそうするように言われたのだろう。
だが、今のクドウ氏にそういう初々し恥ずかしさは微塵もない。
堂々とポーズを取り、いかにしてカッコよく見せるかをよく心得ている。
モデルとしての経験はないが、常日頃他人と関わり続けたことによって、自然と身につけたのかもしれない。
テーブルにもたれながら、足を組んで立つクドウ氏。
両手をつき、写真の彼と一緒にポーズを取る。
ビジネス誌の表紙にそのまま使えそうだ。
写真と同じ構図のはずなのに、写真とはまるで違う印象を持った。
「下書き、始めますね」
椅子に座った私は、スケッチブックと鉛筆で下書きを始めた。
一枚目の時は本棚や机やソファなど、小物が色々と多かった。
それに比べて、今回は物が少ないため、よりクドウ氏に注力する。
茶色のジャケット。グレーのパンツ。黒いタートルネックのTシャツ。
アイロンを丁寧にかけてあるのか。衣服にはシワがなく、ピシッとした折れ目がついている。
「この部屋は私の勉強部屋だった」
クドウ氏が室内を懐かしむように見回した。
「勉強以外のことに注意が向かないように、あらゆる娯楽がこの部屋から排除された。ここにいる時間をなるべく減らそうと、課題や宿題を早く終わらせようと必死だった」
「この部屋は、嫌いだったんですか」
「まあ、好きではなかったな。集中はできたけれど、息抜きが何一つなかったから」
そう言って、クドウ氏は肩をすくめた。
「ここにいるより、人形を作っていた方が楽しかったな」
「人形作りは、幼い頃からやっていたと聞きましたが」
「サチエが言っていたのか」
「ええ。屋根裏部屋に案内された時に、おっしゃっていました」
「なるほど。確かに幼い頃から人形は作っていたよ。初めて作ったのは、5歳くらいだったかな」
サチエ夫人はどうやら嘘は言っていないようだ。
「誰かに影響されて、始めたんですか」
「いや、気づいた時にはやっていたね。影響されたんだろうけど、誰に影響されたかは、憶えてないな」
クドウ氏は眉間を挟みながら、思い出そうと試みた。
だが、功を奏すことはなかった。
幼い頃の記憶を、今になって思い出せと言うのも無理な話かもしれない。
「でも、本はよく読んでいたよ。読んでいたと言うより、見ていたの方が正しいかもしれないが」
「それはご両親が用意してくれたんですか」
「ああ。父が書斎から用意してくれたんだ。あとから知ったんだが、父も人形技師で、知る人ぞ知る職人だったらしい」
「ということは、お父様の影響も少なからずあったのでしょうか」
「そうかもしれないね」
素早く鉛筆を走らせ、スケッチブックにクドウ氏の姿を作り上げていく。
そうしながら、私はサチエ夫人のために、彼の表情にもより注意を向けた。
理知的な切れ長の目。口元に生えた整えた髭。きりりとした眉毛。細面だが骨格がしっかりした顔立ち。彫りの深い顔。
クドウ氏の立ち姿とは別に、スケッチブックの端に彼の顔を刻み込んでいく。
「この部屋を使い始めたのは、いつからなんですか」
「小学校の高学年になった頃だね。どうやら父の考えだったらしい」
「それはどうして」
「人形にのめり込みすぎて、勉学が多少疎かになっていたんだ。成績はよかったんだが、勉強に対する熱意にかけていてね。よく教師には注意されていた。どうやら、教師が父に告げ口をしたんだろう。もっとも、子供の心配をするのは彼らの仕事だし、両親に相談したのも、悪意あってのことではなかったのだろうけど」
「それで、この部屋を用意されたと」
「もともとは物置でね。父が使用人に命じて改装したんだ。当時の私は、ここを監獄と言っていたよ。監視としてタカギが立っているし、息苦しいことこの上なかったよ」
「確かに、息苦しいですね」
そうこうしているうちに、下書きがまとまってきた。
「こんな感じでどうでしょう」
鉛筆をキャビネットに置いて、スケッチブックをクドウ氏に見せる。
クドウ氏はスケッチブックを受け取ると、上から下をなぞるように、視線を動かした。
「この顔は」
「クドウさんの顔の練習です。1枚目の顔と大きく差異があってもいけませんから」
我ながら適当すぎる理由だった。
もう少しうまい嘘がつけないものか。
だが幸運にも表情と目を動かすことはなかったし、クドウ氏はそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。
「そうか。……この構図で構わないよ」
「ありがとうございます」
スケッチブックをもらった私は、ページをめくる。
面倒な依頼を背負い込んだものだ。
私はそう思いながら、まっさらなページに筆を置いた。
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