K.M.富豪の9枚の遺影
小宮山 写勒
依頼
1
夕暮れに染まる公園。
カラスの声を引き連れて、その人は私の前に現れた。
「まだ、やってますか」
穏やかな低い声が聞こえた。
顔を上げると、白髪を紙紐で束ねた小綺麗な老人が立っていた。
よほど焦ってきたのだろうか。
老人は苦笑を浮かべながら、額に浮かんだ汗をハンカチで拭っている。
「ええ、まあ」
「ああ、よかった」
老人の目尻に、安堵のシワが浮かぶ。
やわかな物腰、品のいい佇まい。
加えて今時珍しい燕尾服。
資産家の秘書とか執事とか、そういう仕事がよく似合う
「申し遅れました。私、とあるお屋敷で執事をやっております、タカギ・イツキと申します」
やっぱり。自分の予想が当たったことに、私は内心ほくそ笑んだ。
「似顔絵ですか」
肩にかけた鞄をベンチに下ろす。
中に入っているのは、私の仕事道具。
絵筆だの絵具箱。スケッチブック。
一緒に戦い続けた戦友たちが、顔を揃えている。
「鉛筆絵でしたらすぐにできますよ。本格的なものをご所望でしたら、申し訳ないですけど少し待ってもらわないと。車の方にイーゼルとキャンバスを置いてきてしまったので」
「似顔絵ではなく肖像画を……ああ、私ではなく、旦那様のものをお願いしたいのです」
「旦那様、というと」
タカギはジャケットの内ポケットから、写真を取り出した。
「こちらの方です」
その写真は1人の男を写したものだ。
この男というのが、なんというか。
資産家という言葉で頭に浮かぶ顔が、そのまま投影されたような男だ。
尊大と傲慢。けれど理知的であり、整った顔立ち。
ソファに腰掛け、手には葉巻をまるで挑みかかるような力強い視線を、写真の向こう側にいる誰かに送っている。
「旦那様のクドウ・ミツハル様です。この方の絵を、貴女様に描いてもらいたい」
「この方の絵を、ですか」
「はい」
胸に手を当ててニンマリと微笑むタカギ。
言葉尻と態度から、このクドウ氏に対する敬意とが滲み出ている気がした。
「そのクドウ氏は、いまどちらに」
「ご自宅の方にいらっしゃいます。私は旦那様の使いで、あなた様に依頼をしにきたというわけで」
「なるほど」
他人を使って依頼とは。なんとも金持ちらしい行動だ。
クドウ氏とタカギとを見比べて、私は資産家という人種に、さらなる偏見を持ったのを感じた。
「クドウ氏のご職業は」
「フランシーヌという人形メーカーの社長をなさっておられます」
聞いたことがある。
球体人形の老舗で、精巧な人形を作ると評判の企業だ。
スマホで検索をかけてみると、サイトにはしっかりとクドウ氏の名前と写真が表示された。
「クドウ氏の身分証明書は、持っておられますか」
「ずいぶんと警戒されるのですね」
「念のためですよ。お気に障ったのでしたら、謝ります」
「いえいえ、そんなことは。免許証でよろしいでしょうか」
「構いません」
黒いカードケースを開くと、タカギは免許証を私に渡してくれた。
AT限定の普通車免許。若社長の真面目な顔が添付されている。
生年月日を見て、驚いた。年齢32歳。私と3歳ほどしか変わらない。
かたや老舗企業の若社長。かたや車上暮らしの絵描き。
こんなところで世界の不平等さを感じさせられるとは、思っても見なかった。
「よろしいでしょうか」
免許証とにらめっこをしていると、タカギが伺うように尋ねてきた。
「ええ。ありがとうございます」
特別、怪しいところはなかった。
確認を終えて、私はタカギに免許証を返した。
「それで、どうでしょう。引き受けてくださいますか」
「そうですね……ご本人に会ってみないと、何とも言えませんね」
「そう言われると思いまして。お車をご用意させていただきました」
タカギはパン、と音を立てて両手を握る。
「この後、何かご予定はありますか」
手のひらの中で空気をもみながら、タカギは私の顔を覗いてきた。
「いえ、特には。でも、いいんですか。急に押しかけるような真似をして」
「問題はありませんとも。ささ、参りましょう。お荷物は私がお持ちいたします」
「いいですよ、このくらい自分で持てますから」
「遠慮なさらず」
私が抱えてたバックををするりと。
まるで熟練したスリのごとく、タカギは私の手から掠め取ってしまう。
「さぁ、行きましょう」
呆気にとられる私を置いて、タカギは駐車場の方へと向かっていく。
「……まるで物盗りね」
ため息をついてから、私はタカギの後を追った。
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