第59話 言ってよ

 インターホンが鳴った。

 起き上がって、そーっと扉を開ける。

 姿は見えないけど、一階の玄関のところで、母と、佳奈ちゃんと先輩、三人の話す声が聞こえてくる。

 たぶん母は気を利かせてくれて、あの子はきっと嫌がるだろうから、と先輩を引き止めようとしてくれるだろうけど、先輩のことだ、おそらくは母のことを押しのけてでも二階まで上がってくるに違いない。


 扉を閉めて内鍵をかける。

 ほどなくすると、二人分の足音が階段をのぼり始めた。

 コンコンコンッ、と鳴らされた荒々しいノックに続いて、


「綾。入るからね」


 と言いながら、先輩がドアノブを回そうとしてすぐ、鍵がかかっていることに気づいてがなり立てる。


「ちょっと! 何で鍵なんかかけてんの! 開けて! 綾! 今すぐ! 早くっ!」

「先輩! ちょっと落ち着いてください!」


 ドア越しに聞こえる先輩と佳奈ちゃんの声にじっと体をこわばらせる。

 帰ってよ、もう……。お願いだから……。

 先輩が叫ぶ。


「綾っ! どうして何も言ってくれなかったのさ! そんなに私、信用ない? そりゃあ、さ……。相談してくれてても、私じゃあ、何もできなかったかもしれないけど……。でもさ! 言ってよ! 私、綾がずっとつらかったの、全然知らなかったんだよ! こんなに悔しいのないよっ! 私だって綾の力になってあげたいんだよ! もっと頼ってよ! 何とか言って! 綾! 聞こえてるんでしょ!」


 そんなことない。先輩はずっと力になってくれてた。支えになってくれてた。

 先輩のおかげで、先輩がいてくれたから、学校に行けていたし、宮火とのことがあっても、学校は楽しい場所だと思えていた。佳奈ちゃんと三人でおしゃべりをして、一緒に写真を撮って、たまには真剣な話もして、ずっとずっとこんな時間が続けばいいのにって思えていた。


 いつだって真ん中にいてくれたのは先輩で、私と佳奈ちゃんを引っ張ってくれて……。だからこそ、先輩には迷惑をかけたくなかったし、変に気を遣われたくはなかった。心配なんてしてほしくはなかった。


 先輩は憧れで、目標で、佳奈ちゃんは最高の親友で、自分にとっては、写真部がすべてだったから。

 たとえ一分でも、一秒でも、その大好きな時間を、空間を、重い空気にさらしたくはなかった。

 そう、思っていたのに……。


「ごめんね。綾ちゃん……」


 佳奈ちゃんだ。


「私、宮火さんに命令されて、部室から、綾ちゃんのリュック、持って行ったの……。そのせいで……、ごめんなさい……。でもね、私のことで、綾ちゃんが本気になって怒ってくれたの、私、すごく嬉しかった。だからね、お礼だけ、言わせて……。ありがとね、助けてくれて……。ありがとう……」


 たぶん佳奈ちゃんは、ドアの向こうで頭を下げてくれている。

 だけど佳奈ちゃんが謝ることなんてない。全然悪くないんだから。

 あのときの、あの大粒の涙を見ればわかる。

 きっとすごく怖い思いをさせられたに違いないんだ。

 たぶんだけど、宮火自身が問い詰められたときに、私は知らない、こいつが勝手にやったことだ、とか何とか言って言い逃れできるように佳奈ちゃんは利用されたんだ。


 宮火から暴力を振るわれて、教室では、私のお弁当をゴミ箱に捨てるように強要されて、そのときも、優しい佳奈ちゃんのことだから、そんなことできないって宮火に歯向かって、そのせいでまたひっぱたかれたり蹴られたりしたんだ。

 そんなだったのに、佳奈ちゃんのことを責められるわけない。

 私がもうちょっと早く、教室に戻っていたら……。


「綾ちゃん……。私たち、今日はもう帰るね」

「何言ってんの。私は、綾とちゃんとしゃべれるまで帰らないから」

「先輩。また今度にしましょう。綾ちゃん、きっとすごく疲れてると思いますから」

「やだ。こんなの全然納得できない」

「気持ちはわかりますけど……。せめて今日は、ゆっくり休ませてあげてください」

「けどさぁ……」

「先輩。聞き分けてください」

「うぅー……。わかった……。じゃあ、またね、綾。また来るからね」


 二人が部屋の前を離れて、階段を下りていく足音にそっと耳をすませる。

 少しあって、玄関扉の開閉音が響いた。

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