95

 なんだか味気なくなってしまったパンをさっさと食べて、ごくりと飲み込む。うーん、味は確かに美味しかったけど、なんかこう……もやもやしてしまう。素晴らしい物を作る人の性格がいい、というわけでないのは分かっているけど。

 でもグラベインの国民からしたら、あれが常識なのかもしれない……。


 わたしは差別があまりないマルルセーヌで生まれ育ったから、おじさんのようには考えられない。そうじゃなくとも前世の記憶があって、そもそも美醜感覚が違うし。

 だから、不細工が努力不足、と言われてしまえば、まあ一理あるかも……と納得できなくもないが、不細工だから悪である、と言われてしまうのは納得できない。なんかそこは……また別問題じゃない?


 さっさと別の店でも覗こうかな、と思っていると、中心地であるここを囲むようにして植わっているザローの花壇の向こう側に、ディルミックがいるのが見えた。つい、話しかけようとして思いとどまる。

 流石に周りの目線を気にしないといけないし、何よりディルミックは今仕事中。隣に立つ護衛らしき人と何か話している。ここまでは流石に声が届かなくて、何を話しているのかは分からないが。

 他の店を物色しよう、とは思うのだが、ディルミックが気になってしまって、ちらちらとそちらばかりに視線を持って行ってしまう。


 ディルミックは最初、わたしたちに気が付いていなかったようだが、この広場に足を踏み入れ、少しして気が付いたようだった。手を上げようとしてサッとすぐおろしたのか、彼の右手が一瞬変な動きをした。気が付いたのは、多分わたしたちと、彼の隣にいる護衛らしき人だけで、他のお客さんや出店の店員は気が付いていないようだった。

 お疲れ様、くらいの一言は声を掛けたかったが、パン屋のおじさんがわたしをディルミックの妻だと知らないようだったし、やめておいたほうがいいだろう。


 ディルミックはディルミック=カノルーヴァだと、平民からも認識されているが、わたしはその辺の小娘と思われているはず。気軽に話しかけに言ったら、「なんだあいつ」と思われてしまうだろう。というか普通に「終わったな」と思われそうだ。

 わたしだって、偉い人に何でもない(と思っている)人が軽々しく声をかけていたら、「ウワあいつ終わったわ」って思うだろうし。


 何より、ディルミックが他人のふりをしようと決めたのなら、わたしもそれに習った方がいいだろう。

 なるべくそちらを見ないように、と意識はしていたのだが、いざディルミックが近くを通り過ぎそうになると、やはり目線がそちらに――あれ?


 なんだろう、今、なにかキラッと光ったような……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る