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足のマッサージをしてもらうだけだからそんなに時間がかからない、と言って部屋を出てきたのが幸いしたようだ。遅くなったわたしを迎えに来てくれたらしい。
神。助かる。これで断り切れる。
ディルミックがわたしの元へやってこようとすると、目の前の女性は、大げさにディルミックを避けた。
その表情はいまわしい物を見る目、そのものである。
そんなにもディルミックが嫌なら、甥っ子さんにだって、そんなにいい印象を抱いていないだろうに。どうしてわたしなんかと結婚させようとするのか。
まあ、見栄か、跡継ぎ問題か。甥っ子本人もしくはその家族が焦るのは分かるが、彼女が動くこともあるまいに。
「――これはこれは、アマトリー夫人。彼女が何か?」
ディルミックが女性――アマトリー夫人とやらに声をかける。
話しかけられたアマトリー夫人の眉が、ぴくりと動いた。やはり貴族、表情を作るのは上手いが、それでも不愉快そうな雰囲気は消しきれていない。
上位の貴族に対してその態度はどうなんだろう、と思ったが、これが今のディルミックの立ち位置なのかもしれない。
地位こそあるので表立って攻撃はされないが、完全に舐められているというか。ディルミックも悔しいだろうに、それを良しとし、反論できない空気があるのがこの国――この世界の美醜観というわけか。
ディルミックは魔王と似ているだけで、何も悪いことはしていないのに。
「……いいえ、なぁんにも。ただお話してただけですわ」
嘘つけ! さっきまで全然わたしの話なんか聞いてくれなかったくせに。あれは会話のキャッチボールではなく、完全な押し売りセールスだった。
しかし、穏便にこの場を離れられそうなので、黙って事の成り行きを見届ける。貴族の常識が付け焼き刃のわたしが下手に口を挟むより、黙っていた方がいいに決まっている。
「本日はめでたいパーティーでしたし、下手な揉め事はやめましょう。……それでは、失礼します」
ディルミックは口早に言う。彼の左手が動いたので、ああ、腕を組むのかな、とわたしも右手を上げ――その右手を、ディルミックに掴まれた。
「うえっ!?」
びっくりして変な声が出てしまった。義叔母様が聞いたら、「カノルーヴァ家の夫人ともあろう方が、はしたない」と怒られそうな声だ。恥ずかしさに咳ばらいをするが、誤魔化せた気が全くしない。
わたしの腕を引き、ディルミックはすたすたと廊下を歩く。アマトリー夫人に何か声をかける暇もなく、ずんずんと部屋へ向かっていく。
一応、理性はあるのか、ディルミックの歩くペースは随分速いが、少なくともわたしがすっころびそうな程ではない。
しかし、わたしの手を握るディルミックの手は、痛いくらい、握りこんでいた。
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