46.5

 浮気。

 それは僕にとって、あまりにも遠い世界のことだった。物語の中にしか存在しないのだと、昔から思っていて。

 だからまさか、ロディナから、「浮気の心配がなさそう」だなんて、思われているとは考えても見なかった。

 僕には無縁、というよりも、僕の中に、そんな概念は存在しない。勿論、いい年した大人なので、言葉としての意味は知っているが。

 僕のような醜男に、選択権など存在しない。与えられたものがどんなものであれ、それを受け入れるしかないのだ。

 だから、配偶者を手に入れておきながら、他にも手を出すなんて考えられない。


「――はっ!」


 あまりにもロディナがおかしなことを言い出すので、その言葉を飲み込むのに時間がかかってしまった。

 意識が戻ってきて、はっとなれば、目の前にすやすやと眠っているロディナがいる。どのくらい意識を飛ばしていたのだろうか。

 何も考えていなさそうなその寝顔は、僕をおだてているんじゃないか? と疑うことが馬鹿らしくなってしまうほどの寝顔だった。


 でも、本当に何も考えていないのなら、これはまずくないだろうか。

 彼女は元より、僕を『普通の人』扱いする節がある。僕はそれを、僕に気に入られて金をせびる為の演技だと思っていた。それこそ、二人目の妻だった女の様に。

 しかし、契約金を手に入れても逃げず、こうして僕の隣にいてくれるのだと思えば、それは演技ではなく、素に近いのではないか。


 ――彼女が、僕の顔を気持ち悪くないと言ったのは、本心だったのか?


 幼い頃からずっと欲しかった言葉を、さらっと言われていたことに体が熱くなり――嫌な予感に見舞われ、心臓がばくばくと暴れた。

 それは、駄目だ。駄目なんだ。


 もしも、彼女が、僕たちと違う価値観を持ち合わせているのなら、何気なく、僕を肯定する言葉を吐くのだろう。いつか、きっと。

 彼女はたまに、何かを言おうとして、慌てたように言葉を誤魔化したり、口をつぐんだりする。それが僕を肯定する言葉なのかもしれない。分からないけれど、彼女を見ていると、可能性は低くないと思う。


 でも、そんな考えを持っていることが知れたら、どうなるか。

 使用人なら黙らせることも出来る。僕に言うだけならどうってことはない。叔母様だったら、烈火の如く「そんなことを言うんじゃありません」と怒るだろうが、外には漏らさないだろう。


 でも、でも。何も知らない第三者に知られたら――?

 僕の様に、いや、僕以上に、酷い差別を受ける彼女が、想像出来てしまう。


「ねえ、ロディナ。僕のことを――」


 否定してくれとも、肯定してくれとも、寝ている彼女に、僕は言えなかった。

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