第弐拾漆 大宴会
いつの間にか日はもう随分傾いていて、向いの山の縁が薄紫色に浮かび上がり、黒々とした輪郭が良く映える。
完全なとばっちりに涙目の助六と頭を冷やして己の醜態に落ち込むマサ、その二人を慰めながらの九郎丸が宴の場に到着する頃には、中からはもう既に賑やかな声が響いていた。
九郎丸が最初通された部屋の戸を取り払って大広間にしたそこには、すでに彼ら四人を除く村の全員が集まっているのではないかと思われるほどの人がいた。
こう多くの人間が一堂に会している光景は否応なしにあのマガリでの日々を想起させる。
「お? あんたぁ、見ねぇ顔だが……まぁいい! 座れ座れ、今日は無礼講だべぇ!」
戸の近くに陣取る、もう幾分か出来上がっているらしい男が九郎丸に気付くと、赤ら顔に満面の笑みを浮かべ、大広間中に響き渡る大声で叫ぶ。
「まさかぁこいつら全員、これが何の宴だか知らねぇんでねぇだろおな……」
あちこちから陽気な笑い声の上がる広間を見渡し、半目のマサが呆れた声で言った。
「助六、おめぇみんなに何て伝ぇたんだ?」
横の助六の脇腹を肘で突く。
「蔵の肉全部使って盛大な宴開くって、だけしか伝えとらんかった……」
「おめぇの所為でねぇかぁ!」
拳を振り上げたマサに助六が悲鳴を上げる。
「ぎゃー! マサにぶたれるぅ! おめぇはそんなだから嫁の貰い手がねぇんだべ!」
「んだとぅ? もう一遍言ってみろ!」
「マサの
すっかりいつも通りのマサの様子に、九郎丸はふっと笑い声を漏らした。その声に我に返ったマサがまた顔を赤くして小さくなる。
「な、おらまたはしたねぇマネを……」
「いや、マサさんらしい方が良い」
口をもごもごさせて恥じらいながら喜色に頬を引くつかせるマサに、助六が唖然とした表情を向ける。
「大ェ変だ……マサがおなごのようだべ……、明日は火の玉が降んべ……」
その独り言は宴の喧噪に紛れた筈が不運にもマサの地獄耳にとらえられたようで、助六はマサに思いっきり足を踏みつけられたのだった。
「いでぇッ!」
無情にもその声はワッと上がった笑い声にかき消された。聞こえて欲しくない言葉は聞こえて欲しくなかった人間の耳にしっかり届いたというのに。
宴会の最奥に陣取る比叡に手招きされ、四人はぞろぞろと人の隙間を掻い潜ってそちらへ向かう。
途中、足をとられた九郎丸が体勢を崩しぐらついた。
「わっ」
「おっと」
その後ろ襟を掴んで引き上げたのは九郎丸の後ろをついて来ていた助六だった。
「かたじけない」
「なんのなんの。マサ助けてくれた恩人さまじゃねぇか。お安い御用でさ。おらなん
かより、そっちのお嬢に言ってやんべ」
九郎丸に張り付いて、支えようとでもいうかのように辻がいた。
「お前も支えようとしてくれたのか、ありがとう」
何時もするように辻の頭をぽんぽんと撫でてやる。心なしか、辻の表情は誇らしげだった。
助六が視線を向けた先では、酔いの回った女衆に袖を掴まれて絡まれるマサがいた。宴会の喧噪に紛れて彼女たちの声は聞こえぬが、九郎丸は唇の動きから言葉を読むことができる。が、宴の席でおなごたちの会話を読み取るなど野暮と視線を落とした。
「あいつぁ、男勝りで可愛げのねぇ女だが、そんでも昔っから一緒に山さ駆けまわった仲だ。足悪くしちまったアンタにゃ悪ィが、おらはマサが危ねぇとこで助かったって聞いて嬉しかったんだ」
自分の言葉がこそばゆいのか、助六そわそわと視線をあちこちに泳がせた。
「まぁ、なんだ。この村でアンタを悪く思う奴が居たら、おらが話つけてやる。なんならマサぁ嫁に貰っちまえ、大親父殿の入り婿なら誰も文句言わねぇべ。きっとマサも喜ぶ」
「……助六殿は、それで良いのか?」
九郎丸の問いに助六は一瞬きょとんとしたあと、とんでもないと両手を振った。
「あんな怖ぇ女房御免だぁ。おらはもっと大人しい女が良いべ」
そのあまりの必死さにくすくすと九郎丸は笑い声を漏らした。
「良かった。一瞬、恋敵かと思いましたが。貴殿とは仲良くできそうですね」
「え」
かきり、と助六は動きを止めた。
未だその言葉の意味を飲み込めずにいる助六に、九郎丸はにこりと笑みを向けると、女衆の魔の手に苦戦するマサの元へとおぼつかない足取りながらに歩み寄った。
女衆に一言二言声を掛け、マサを女衆の好奇の視線から逃がす。
「ほえー」
牛の欠伸のような声を出した助六に、ふいに二人に付き従う辻が振り返り、きっ、と眉を上げて見せた。まるで自慢しているようだった。
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