第弐拾弐話 賑やかしき



 半刻もせず村に到着し、地面に下ろされた九郎丸はその場で膝と手をついて、絞り出すように唸ったという。



「何かを……失った、気がする……」



 かつて隼と速さ比べをしても勝つさえと称された隠密頭領九郎丸が、よもや女に抱えられて山を登ったとかつての仲間たちに知られれば、彼らはどんな顔をするだろう? 



 いやいやいや、今と過去を比べるなど何の意味もない。今と昔は違うのだ。マサさんには感謝しなければ、彼女が抱えて運んでくれなければ自力でここに辿り着くことすら……。



 そこで漸く九郎丸は恐ろしいことに気付く。

 もしや、彼女が居なければ村から出ることもできないのでは?


 気づいた途端、だらだらと汗が噴き出してきた。



 つまり、あれをこの先……。



 駄目だ、色々と受け入れられない。くだらないと笑うことなかれ、男にはどうしても譲れぬものがあるのだ。時既に遅しとは思うが、それを受け入れては己の沽券に関わる。それに何時までも頼る訳にはいかない。誰が何と言おうと、九郎丸の矜持が許さない。何か方法を考えなくては……。


 九郎丸は虚ろな笑みを浮かべたまま空を見上げた。標高が高い所為か、妙に澄んでいる空。


 ちょっと考えればわかったことだろうに、どうして今まで自分は気付かなかったのだろう? 楽観が過ぎたとしか言いようがない。



 女将……、良いことがあるのではなかったのか……。



 九郎丸のそんな恨み言は当然、あのみうら宿屋の女将に届くことなく、空の彼方へ消えてゆく。


 とん、と二の腕に軽く衝撃があったと思うと、辻が額を擦りつけていた。



「だいじょぶ?」



 落ち込んでいる九郎丸を励まそうとしているのか。辻の翡翠色の目と九郎丸の視線が合うと、九郎丸は目頭が熱くなるのを感じた。心に余裕が戻ってくるのを感じる。



 あぁ、辻が居てくれてよかった……。



 辻が居なければ多分、山の麓で九郎丸の心はぽっきり折れていただろう。いや、それよりもっと前に九郎丸は駄目になっていたかもしれなかった。



「心配してくれているのか、ありがとうな……」



 そう言って辻の頭を撫でてやれば、辻は気持ちよさそうに目を細くした。猫のようで愛らしい。心が落ち着く、癒されていく。


 多少無理はしているものの、先程と比べれば格段に柔らかい微笑みを辻に向ける。



「どうかしただか九郎さ、もしかして酔っちまっただか? おら、村に九郎さの来るんが嬉しくて、はしゃいじまって……」



 マサが申し訳なさそうにして九郎丸を慮る。



「あ、いや、ちょっとこっちの事情で……」



 流石にマサに正直に話すことは出来ず、九郎丸は笑って誤魔化しつつ心配いらないと伝えた。



「そうならいいだが……、気分が優れねぇなら、直ぐに言ってくれ」



 若干納得がいっていないながらも、マサは引き下がった。というのも、マサの帰りを察してか、村人たちが次々に集まってきたためだ。



「おぉ? 誰かと思えば、おめぇマサでねぇか!」


「マサだマサだ、おぉい! マサが帰ってきたぞぉ!」


「誰か連れてっぞ?」


「山ン下で嫁狩りでもしてきただか?」


「バカヤロウ、マサは女でねぇか」


「そうだったかのぅ? 男みたいなもんじゃろう」


「ちげぇねぇ!」



 ワハハハ、と男たちが大声で笑いだし、その賑やかさに九郎丸は目を白黒させた。



「こらぁ! 助六! タケ! おめぇら勝手なこと言うでねぇ! 恩人さまに失礼だろ!」


「おぉ、んだば、あん人がおめぇの恩人さまかぁ!」



 マサが拳を振りかざして、男たちに怒鳴る。その遠慮のない物言いが、かえって彼らの仲の良さを現しているようで九郎丸は思わずふっと噴き出した。


 それに気づいたマサが、怒りで真っ赤にしていた顔を今度は恥ずかしさで真っ赤に染め、今更に振り上げていた拳を隠す。



「す、すまねぇだ九郎さ、村ン馬鹿どもが失礼しましただ……」


「いえ、とても楽しそうな村ですね」



 九郎丸の言葉に赤味の残ったマサの顔がぱっと輝く。


 九郎丸はその笑顔を少し羨ましく思った。



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