「わざわざ高価なものを使ってまで、彼女を束縛する、その心は?」 「……危険でしょう、放っておいては」

 ーーーあの野郎。公爵の息子だと……?


 アルゴは思わず、心の中でそう吐き捨てていた。


 貴族の息子ということは知っていたし、位が高いことも察していたが。

 公爵家の人間だなど、いうのは、予想外過ぎる。


 どう考えても下町の一商店や酒場に出入りするような身分ではないどころか、下手をすれば、王位継承権を持っていてもおかしくない。


 話がややこしくなりそうな気配が、ヒシヒシとした。


 だがそんな気持ちを覚えながらも、アルゴはスオーチェラに悟らせないように滑らかに口を動かす。


「申し訳ありません、寡聞かぶんにして存じ上げず……彼はご自身の身分を明かさなかったものですから」

「当然ですね。それを貴方に告げていれば、勘当では済まない措置をせねばならないところです」


 さらりとスオーチェラが告げた一言に、本気の重みを感じた。


「彼が魔導士学校をやめた件についても、当然ご存知、ですね」

「ええ。トレメンス現当主がずいぶんと立腹しておりましたから」


 アルゴはふと、そこで疑問を覚えた。


 この女傑に対してイーサの立ち位置なら、彼の態度には納得出来る。

 スオーチェラが一度アルゴに会いたいと思うのも……甥をたぶらかした相手だ……おかしくはない。


 だが、さらに考えれば。

 イーサは、アルゴをスオーチェラに紹介するのを渋ってもおかしくはないし、そう出来る程度には自分の身分を隠し通していた。


 その上で紹介状を書いた、ということは。


「もしや、私との面会を許可していただけたのは、スオーチェラ夫人ご自身のお気持ちによるもの、でしょうか?」


 アルゴの問いかけに、スオーチェラはピクリとも表情は動かさなかったが、瞳が微かに動いた。


「どうした意味でしょう?」

「私は、自分の事業への出資者を探しておりました。しかしたった今聞かせていただいた甥御のお立場から、夫人への仲介は普通に考えれば難しい……そう推察した次第でございます」


 確かにアルゴは、パトロンとなれる人物の紹介をイーサに望んだ。


 しかし実は、スオーチェラ側が『アルゴに会いたい』と望み、こちらの要望を聞いてイーサが渡りに船と繋いだ可能性が高いのだ。


 イーサから『スオーチェラ夫人に会ってほしい』と頼んできていれば、アルゴ自身は逆に警戒しただろう。


「勘当を受けているのなら、尚更に」

「勘当はされておりません。先ほどのは言葉の綾です。現当主は、何のと言いつつ息子に甘く、同時に脇も甘いですから」


 歯に絹着せぬ夫人だった。


「息子を預けるのなら、その身辺調査と面会くらいはすべきでしょうに。違いますか?」

「……おっしゃる通りかと」


 率直であれば本来はやり易いはずなのだが、その本心がどこにあるか読めない相手では厄介極まりない。


 口にした言葉が、どこまで本気かが分からないからだ。

 こちらも言うべきことを慎重に選ばねばならない。


「では、夫人が代わりにその役割を?」

「そうした面も、ないではありませんが。個人的な興味があったのも事実です」


 スオーチェラは背筋を伸ばして膝に手を置いた姿勢を、座った瞬間から一切崩さずに話し続けている。


「小さな商会、とアルゴ様は仰いましたが、優秀な補佐も雇わないままに、市場の人や物、金銭の流れを調整するのがどれほど困難なことか……それが分からないほどに、わたくしは愚かではありません」


 スッとテーブルに手を伸ばしたスオーチェラが呼び鈴を手にして鳴らすと、待ち受けていたようなタイミングでアナスタシアが入室する。


 彼女が手にしていたのは、茶器と、幾つかの羊皮紙の巻物を載せた台だった。


「これは……?」

「貴方が市場の仕切りをするようになってからこっちの、価格の上下や市場の動向などを纏めたものです」


 中身を見もせずに、スオーチェラ夫人は……経営に辣腕を振るう女傑は、言葉を重ねる。


「隣国の起こしていた戦争の、戦中・戦後で価格が高騰しそうなものへの流通確保や買い占め防止へのいち早い対応。治安に問題が出そうな、あるいは既に出ている地域への人員配分や、格差是正の措置。救済院への定期的な食料・備品の支給と、雇用先の選定」


 ーーー何者だ、この夫人は。


 彼女が並べたのは、表向きの儲けるための事業とは違う部分だった。


 商売人は貪欲だ。

 それは、アルゴが特定の商人を過剰に儲けさせず、格差を広げないために行なっていた地味な仕事の数々だった。


 目をつけるところが、他の連中とは……アルゴが派手に行なって稼いでいた事業にばかり目を向けて陰口を叩いていたような連中とは、明らかに違う。


「貴方が国に利する為に行っていたことは、挙げればキリがありません」

「そんなつもりはありませんよ」


 アルゴは、貴族や上に立つ人間のために動いたことなど一度もない。


「国とは、人です」


 しかしこちらの言葉を、スオーチェラはバッサリと斬り捨てる。


「そして人とは、貴族ではなく、国を支える民草を言います。貴方の行っていたことは、異国に謳われる〝高貴なる者の義務ノーブレス・オブリージュ〟の精神そのものの体現です」


 スオーチェラの言い様に、アルゴは口をつぐんだ。

 彼女はチラリとウルズに目を向けると、さらに言い募る。


「そちらの少女は、首に【契約の腕輪】を巻いていますね。高価なものです」

「そうですね」

「契約の内容は?」

「金や食い物にたぶらかされない為ですよ。うちの大切な従業員ですから」

「その心は?」


 通り一遍の答えに、スオーチェラは満足しなかったようだった。

 アルゴは思わず、心の中で舌打ちをする。


 言いたくないが、許される雰囲気ではない。


「わざわざ高価なものを使ってまで、彼女を束縛する、その心は?」

「食欲が旺盛な少女で、出会った時は一人で、暴漢に近い者たちについて行こうとしておりました。……危険でしょう、放っておいては」


 嫌々口にすると、ウルズが息を呑んだ。


「ご主人様……」

「屋敷の中では、出来るだけ喋るなと言ったはずだが」


 アルゴがトゲを含んで即座に言い返すと、少女は口をつぐむ。

 返答に満足したらしいスオーチェラは、一度だけうなずいてみせた。


「甥が家を出る前に、一度呼び出しました。彼は理由を問うわたくしに『自分の人生を賭けるに足る方を見つけた』と、告げました。あのヘラヘラと根無し草のようだったイーサが、こちらの目を見て堂々と」


 スオーチェラは、話の間にアナスタシアが淹れた紅茶のティーカップを手に取ると、軽く口をつける。


 そして小さく笑みを浮かべると……氷のようだった彼女の美貌は、途端に柔らかく、慈愛に満ちたものに見えた。


「その『根』となった方がどんな人物なのか……一度、話をしてみたいと、わたくしは感じたのです」

「……光栄です」


 スオーチェラはすぐに笑みを消すと、静かにティーカップを置いて手を膝に戻す。


「ーーーでは、そろそろ本題に入りましょう」

 

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