第12話 一道真琴は甘く囁く

「い、一道さんも喉乾いた感じ? だとしたら――」

「――いいわ誤魔化さなくても、事情はわかったから」


 俺の意図などお見通しらしく一道は吐き捨てるように言って戻ろうとする。

 このままアイツを放っておけば最悪な展開に発展するかもしれない。


「清香、これ持っててくれ」

「え、あ、うん」


 頭によぎった不安はひどく現実味を帯びていた。俺は清香にグラスを預けて一道を追いかける。


「――ちょいストップ一道さん!」


 俺は一道の歩みを止める為に彼女の前に回り込む。


「……邪魔、どいて」


 一道の底冷えするような声音とキリリと射るような目つきに、俺は『あ、どうぞ』と口走ってしまいそうになったが寸でのところで堪え、対峙を維持する。


「すごく嫌な予感がしたから止めに入った次第だけど……戻ってどうするきなの?」


 そう俺が言うと彼女は僅かに目を見開く。


「……あなた、ほんとに徹底してるわね」

「え、なんのこと?」

「いえ別に……それより――どうするか、よね? もちろん速川君に直接伝えるつもりよ。「人を使って回りくどいアプローチしてくる臆病者に特別な感情を抱いくわけないでしょ? そのくらいあなたの足りない頭でもフル回転させれば導きだせるはずよ? わかったなら身の程を弁えてもっと近場に目を向けることね。例えば……二渡さんとかいんじゃないかしら? ちょうどあなたに好意を寄せているようだし」ってね。完璧でしょ?」


 語り終えた一道のしたり顔を見て、俺は彼女の人間性を疑わずにはいられなかった。頼むから辞書で完璧の定義を調べ直してきてくれ。


 彼女に道を譲る理由が一切なくなり、俺は抗戦の構えを貫く。


「……余計に一道さんを行かせちゃいけないと思ったよ」

「あらそう? なら帰るわ。茶番に付き合わされるのなんてごめんだから」


 あまりにあっさりと、拍子抜けするほどあっさりと一道は諦め、その場で身をひるがえす。


「それじゃあまた月曜」

「う、うん。またね、真琴ちゃん」


 清香への挨拶もそれなりに、一道は出入口がある方へとスタスタ向かって行ってしまった。


 …………なんだ?


 視界から消える直前、彼女がこっちを見て意味ありげに笑ったのを、俺は見逃さなかった。


「……帰っちゃった、ね」


 傍に寄ってきた清香は一道が去っていった方を見つめながらそう零した。


「だな」

「うん。最初はどうなっちゃうんだろってハラハラしてただけに、何事もなくてほんとよかった」


 何事もなくてよかった……それはまったくもって同意見だが、にしたって物分かりがよすぎじゃなかったか? 一道だぞ? 裏がある気がしてならないんだが。


「……悪い清香、俺も帰らせてもらう」

「え⁉」

「これ、俺と一道の分の金」


 俺は財布から五千円札を抜き出し清香に手渡した。


「――皆にはそれっぽいこと言って適当にはぐらかしといてくれ」

「い、いーくん! ちょっと待って――」


 清香の引き留める声を振り切って俺は店外へ。


「……あら、どうしたの木塚君、そんなに焦っちゃって」


 偉そうに腕を組んで待っていた一道は、俺を見るなり挑発的に笑う。あなたの行動は手に取るようにわかるわ、とでも言いたげな態度だ。


「一道さんが急に帰っちゃったから心配になって追いかけてきたんだよ」

「違うわ、あなたは懸念けねんしているのよ。私が何か企んでいるんじゃないかって……そうでしょ?」

「……それは邪推だよ。俺は純粋な気持ちで」

かたらなくてもいいわ。あなたはいさかいが嫌いで敏感、例え小さな揉め事だろうと察知すれば未然に防ごうとする。大袈裟な危機意識の持ち主。そんなあなたは……そうね、おおかた私が日を改めて速川君と二渡さんに暴露するんじゃないかと懸念している、ってとこかしらね」

「……………………」


 俺が答えられずにいるのを見て一道はさぞ満足そうに笑う。


「私の前では偽らなくていいわ。木塚君のことは前から胡散臭いと思ってたから別に驚きもしないし。秋水さんと話してた時のように、本来の口調でいいわよ?」

「……お前は何がしたいんだ?」


 俺が率直な疑問を一道にぶつけると彼女は「話が早くて助かるわ」と呟いて距離を詰め、


「今回の件を口外しないかわりにあなたには私の〝お世話係〟になってもらいたいの」


 鼻腔びこうをくすぐる香りと共に顔を近づけてきた彼女は俺の耳元でそう囁いた。

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