二人の関係
その夜、フィオは雄也の部屋の前にやってきていた。
この間、夜間の学園で約束した通り、秘密――フィオナ・カーティス――のことを彼に伝えるためだ。
察しの悪い男のために当初は女物の服を着て行く予定だったのだが、久しく感じた事のない無防備さに直前で諦めた。
これは駄目だ、何と言うか防御力に欠けている、と言い訳をぶつぶつと呟きながらも、どことなく嬉しそうだったことは誰も知らない。
(それにユーヤの事だ。女の格好をしている僕を見たら、女装が趣味なのかって言いかねない。……女装が似合いそうとか、か、かか可愛いとか言ってたしっ!)
茹でった頭を冷まさんと首を振る。
ちなみにフィオの予想は当たっており、伝えたいことってのはそれか、と盛大に勘違いしただろう。
その意味ではいつもの通りなのは正解である。
(い、いい加減覚悟を決めよう。ユーヤに伝えるんだ。僕が女の子だって)
だが、手が震え、ノックをできない。緊張からか喉が渇く。
何故、自分は伝えなくて良い事を伝えようとしているのだろうか。散々無視してきた疑問がここにきて目の前に現れる。
あの日、ユーヤに助けられた時に自然と伝えよう、知ってほしいと感じた。しかし、時間が経ったことで幾分か冷静になってしまった。
これなら、勢いのまま告げていたら、どれだけ楽だったことだろうか。
(怖い……)
震える両手を胸元で握りしめる。
恐怖。今の心地良い関係が壊れてしまうのではないか、ユーヤが離れてしまうのではないか、そんな怖さがフィオの心を侵食していく。
このまま踵を返して部屋に戻り、明日謝れば関係は崩れない。
名がわからない想いだけが雄也に真実を知ってほしいと訴えかける。
(どうしよう……)
扉を開けることも、かといって帰ることもできない。
いっそ誰か決めてくれと願う。
「やっぱりいた。そんなところでどうしたんだ」
「ユ、ユーヤ!?」
膠着状態は部屋の主である雄也が扉を開けたことで、あっさりと均衡を崩した。
「ど、どうしてわかったんだ」
「何となく気配みたいな物を感じてさ。中々入ってこないし勘違いかと思ったわ」
「そ、そうか」
確かに静寂とはいかなかったが、物音などほとんどたてていない。
気配を感じるなど戦場を駆けた本物にしかできないことなのだが。
「とりあえず、適当にベッドにでも座ってくれ」
「わ、わかった」
雄也が椅子へと腰を落とし、フィオがおそるおそるベッドに腰掛ける。
フィオは緊張からか体を小さくしていた。
そのことに雄也は気づくが、触れぬ方が良いと判断して流す。
「…………」
「…………」
無言が空間を制圧する。
どうすれば良いかと半ば混乱状態のフィオはともかく、雄也としては若干気まずい。
心地よい無言もあるが、これはそうでない方だからだ。
(うーん、どうしたもんか)
頬をかき、ベッドに座る親友をチラッと確認する。
明らかに正常ではなかった。おそらく、生真面目さが悪い方向に出たのだろう、と雄也は結論付けた。
「フィオ、悪いんだけど俺の話を先に聞いてくれないか」
「……え?」
「ちょっと心境の変化ってのがあってさ。相談に乗ってほしいんだ」
「う、うん」
「さんきゅ。先に結論から話すけど、どうにかして国に帰ることにした」
空との一時の邂逅、細部は覚えていないが約束は果たす。
「そ、そうか。それは良いことだと思うけど、力になれるかな」
「帰る方法は考え中なんだけど……宮廷魔導士、だっけ。あれってなるの難しいのか?」
「宮廷魔導士?」
雄也の口から出てきた意外な単語に思わず聞き返す。
「おう、宮廷魔導士。それになれたら帰ることができるかもしれないんだ」
(相応の地位につけば帰ることができるのか?)
地位を求めるだけならば宮廷魔導士と名指しする必要はない。
フィオは聞きたくなったが、とある事情に関することは本人が話してくれるのを待つつもりなのでやめた。
「そうだね。魔導士になるためには試験を受けなければいけないんだけど」
「え、そうなのか」
「……国家が保証する職なんだ。だから、試験に合格しなければならない」
魔法が文化の基盤を支えているといっても差し支えないからね、と続ける。
なるほどな、と雄也もフィオの説明に納得した。
「その中でも才を認められた者や実績を残した者が宮廷魔導士に推薦される」
「才か実績、か」
「その上で更に試験があるらしいけど、非公開なため詳しいことは知らないな」
「うげ、まだ試験があるのかよ」
「宮廷魔導士はそれだけの地位、権力、責任が伴うと言うわけさ」
「うーん、基準がはっきりしなくて難しいな」
「宮廷魔導士に向けての努力はイメージし辛いだろうけど、要は実力をつけろって話だよ」
事も何気に言うフィオに雄也は思わず吹いてしまう。
「いやいや、フィオも中々どうして大雑把になってきましたな」
「どっかの誰かさんの影響だよ」
「はっはっは、その誰かさんはきっと魅力的な素晴らしい人なんだろうな」
「言動が軽いところが残念だ」
「ムードメーカーってやつだよ、きっと。褒めるところ褒めるところっと」
軽口を叩きながら雄也は立ち上がる。
「ありがとうな、フィオ。まだイメージは全然できてないけど、頑張るわ」
「うん、応援してる」
二人して笑い合う。
その裏で雄也の心がズキッと傷んだ。
空に会う――地球へ帰ると言うことはフィオ達との別れを意味するからだ。
理想は行き来出来る様になることだが、そう現実は甘くないだろう。
あっちを立てればこっちが立たずとはよく言ったものだ。
「それで……いや、何でもない」
流れで理由を尋ねかけてしまい、慌ててフィオが口をふさぐ。
その仕草に雄也は察した。
「まあ、なんだ。やっぱり空は放っておけないなって、な?」
「……そうか。ソラ君か」
今度はフィオの心がズキッと傷んだ。
空を男の子――ソラ君と勘違いしているフィオだが、雄也の照れくさそうな顔に反応してしまった。
「大事な友人なんだな……」
「おう。大事な幼馴染だ」
満面の笑みで言い切る雄也を見ていると、フィオは自分が置いて行かれてしまう心境に陥る。
冷静に考えれば、長年の付き合いであるソラ君と数か月の自分では端から比べようがない。
わかっているが、わかっているのだが、感情が受け入れてくれなかった。
「そうか」
「もちろん、フィオも大事な親友だぜ」
フィオの心境を知ってか知らずか、雄也が付け加えた。
しかし、嬉しかったはずの“親友”という二文字が今はやけに嫌だった。
(ダメだ。思考がおかしい。今日は帰ろう)
コントロールできない感情に焦りを覚え、強制的にシャットダウンさせる。
最近、やけにおかしい。ユーヤといるとどうしようもなく心をかき乱される。
「フィオ? 大丈夫か?」
気が付くと雄也が目の前にいた。
顔を近づけ、フィオを覗き込んでいる。
雄也としては体調が悪そうなフィオを心配して、様子を確かめようとしただけだったのだが――
「んん!?」
「んっ……」
フィオはためらうことなく身を寄せ、二人の距離がゼロになった。
「フィ、フィオ!?」
いきなりのことに親友の名前を呼びながら、後ずさる。
前回とは違い、魔力欠乏症でも何でもないのに、
「ユ―、ヤ」
眼をトロンとさせ、唇に指を走らせるフィオはとても色気があった。
まだまだ初心な雄也はその仕草に胸の高鳴りを隠せない。
「お、落ち着け、フィオ!」
「…………」
「フィオ?」
(やってしまったやってしまったやってしまったやってしまったやってしまった)
雄也が距離を取ったことで、フィオも冷静になった、なってしまった。
後悔と嬉しさが混じり合う己の心にフィオ自身訳がわからなくなっている。
「フィオ、大丈夫か?」
(言い訳を、言い訳を考えないと! 言い訳、えっと、言い訳……)
その時、フィオに電流が走る。
言い訳が瞬時に構築された。
「ごめん、ユーヤ」
「いや、別にいいんだけど、どうしたんだよ。い、いきなりキスするって」
「そ、その、伝えたいことなんだけど……!」
言ってしまっていいのか。突き進んでしまっていいのか。フィオは葛藤する。
けれど、フィオは唇と唇が当たる感触、柔らかく、甘く、それでいて幸せが胸を満たす感覚を覚えてしまった。
「あの時、ユーヤの魔力で欠乏症を治してくれたよね」
「お、おう」
「そ、それで、僕の体内にはユーヤの魔力もあるって……話したよね」
「おう」
「でも、僕は自分の魔力しか生成できない。そうなるとユーヤの魔力が徐々になくなってくるんだ」
「……それって何か問題でもあるのか?」
「ユーヤの魔力をもらってから、今まで以上に調子が良くて自然に馴染んでたから……な、なくなると欲しくなるんだ!」
「は、はい!?」
言い訳の論理は立てたが、恥ずかしさはそれとは別であり、ところどころどもりながら説明する。
なまじテレが本気なため、雄也は嘘に全く気付かない。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれ!?」
「ユーヤが悪いんだ! 僕をこんな体にしたから!」
「えぇ!?」
フィオの言い訳は全てが嘘なわけではなかった。雄也の魔力をなくなるのも欲しくなるのも本当だ。
ただし、生理的欲求のみなら十分にコントロールできる範疇だが。
「ユーヤなしだと生きていうぐぐ」
「待った待った! と、とりあえず声を抑えてくれ」
時刻は深夜、万が一誰かに今のやりとりを聞かれでもしたら誤解されてしまう。
限界を超え、思考が彼方へと飛んで行ってしまったフィオは尚も叫ぼうとするが、何とか落ち着かせることに成功した。
「それで、えっと、どういうこと、なんだ?」
「に、二度も言わせるな。……定期的にユーヤの魔力を譲渡してほしい」
「……夢か」
「…………」
現実逃避はフィオのチョップによってあっさりと妨げられた。
「渡すのは良いんだけど、方法は?」
「…………」
「は、はははっ、嘘だろ、嘘だよな、嘘だと言って!? マジックアイテムを使ったやり方があるんだよな!?」
「……普通の渡し方だと無理だと思う。それとは根本的に違う」
「ま、まじかよ」
フィオが見た結果ならば、それは覆すことのできない現実。
雄也は肩をがっくりと落とす。
(そこまで嫌がらなくても)
同性である“親友”から定期的にキスをねだられる。
一般的に考えて、雄也の反応は非難されるものではないのだが、そこは難しい乙女心。
なのだが真実は――
(まじかよ……。フィオ相手とかいつかとんでもないことやらかしそうで怖いんだけど……)
嫌がるどころか抵抗はそれほどなかった。
前々からフィオのことを可愛い、意識してしまうなどなど異性に抱く感情を持っていた――フィオは女の子であるため正常ではあるのだが――ので、変な話キスをすること自体に忌避はないのだ。
問題は自分が性別の壁を越えてしまうかもしれない点だけである。
それでもフィオの体に関わることであり、原因を作ったのも自分である。いくら助けるためであったとはいえ、責任は感じていた。
雄也は覚悟を決めた――。
「フィオ」
「ユーヤ」
「もう一度聞くけど、俺の魔力がないと困るんだよな」
「う、うん。違和感が付きまとって、心のバランスが保てなくなる」
「そっか……。おし、わかった! 定期的に譲渡する」
「い、良いのかい!?」
まさかオーケーされるとは思っていなかったので本当に驚いている。
「まあ、俺のせいだしな。責任はとるよ」
「あ、ありがとう」
雄也の言葉に眼を見ることができない。彼は何も悪くない、悪いのは全部自分なのに。
今なら間に合う……けれど口は動かない。
「で、でも、良いのかい。僕なんかで」
罪悪感を薄れさせたくて、いじわるな質問をしてしまう。
「フィオは可愛いからな。キスぐらいむしろご褒美かもしれん」
「そ、それなら、良かった」
「ツッコんでくれませんかね……」
「えっ!?」
図書館から始まった事件は、最終的に雄也とフィオの奇妙な関係を作り上げた。
そのことでフィオが余計に秘密を話し辛くなってしまうのだが、それはまた別のお話。
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