二人目の英雄


 まばゆい光を通り抜けた先で俺の眼に映ったのは、今まさにマスターゴブリンらしき生物が、その巨大な手をフィオ達に振り下ろそうとしている光景だった。


「フィオッ!」


 咄嗟にフィオの名前を呼ぶ。その瞬間、緩慢だったフィオの動きが戻り、隣にいたアイリスを抱えて後ろへと飛んだ。

 直撃こそ避けたが、地面を叩き付けたことで発生した衝撃波によって飛ばされてしまう。

 抱えているアイリスを守るために受け身をとれなかったフィオはしたたかに打ちつけられた。


「二人を頼む! 俺はこいつを引きつける!」

「はい!」


 レイナが二人へと駆けだすのを視界の隅に収め、俺は剣の切っ先をマスターゴブリンへと向ける。

 マスターゴブリンへの最初の感想は大きい。身長は10mを越えるのではないか、それでいて非常に丸い。体重も相当なものだろう。

 肌身は普通のゴブリンと同じで緑色。だが、気持ちマスターゴブリンの方が深めの緑色だ。 

 大きさが強さに比例するわけではない。けれど、肌を刺す威圧感が眼の前の存在が強者であることを示していた。

 これほどまでのプレッシャーは初日のあの化け物以来だ。

 幸か不幸か、その経験のおかげで冷静に敵を見据えることができる。


「…………」


 まだ何もしていないのに汗が頬を伝う。剣を持つ手に力が入る。

 俺の役割はフィオ達が動ける程度に回復するまで時間をかせぐことだ。勝つ必要はない。

 とはいえ、力の差は歴然。警戒しているのか、マスターゴブリンがこちらの様子を窺ってくれているから何とかなっているだけだ。

 このままジッとしててくれよと願うが、現実はそんなに甘くはない。

 マスターゴブリンが手を高くあげる。隙だらけの緩慢な動きだ。


「はっ!」


 試しに近づいて一太刀いれてみる。

 だが、刃は肌の表面にかすり傷を残すことすらできなかった。脂肪ではなくて筋肉なのだろうか、固い感触が手に残る。

 手が真上に到着する。俺は足に力を込め、すぐさま離脱を行う。

 単純にでかいだけではない、ウィングスパンも人と比べておかしなぐらい長い。範囲から逃れるために全力で走る。


「のわっ!?」


 先ほどのスピードをイメージし、余裕を持って行動したのにギリギリだった。

 地面に着弾したことでおきる爆風に体が浮き上がるが空中で一回転して上手く着地する。

 その拍子にたまたま前傾姿勢となったので飛び出す。


「こういう敵の弱点は眼って相場が決まってるんだよ……!」


 勇気づけるために力強く言い切り、マスターゴブリンの手を上って行く。

 緩い坂道など数秒で終わる。肩へと到達した俺はむき出しになっている眼に剣を突き刺した。


「なっ……!?」


 俺は眼の前の光景が信じられなくて思わず声をあげる。


「何で眼までこんなに硬いんだよ!?」


 体重はかけている。両手にも、両足にもしっかりと力が込められている。剣だって本物だ。

 なのに、貫かんばかりに放たれた切っ先は硬い壁に阻まれているかのように進まない。

 ……壁? もしかして、さっきのも筋肉に阻まれたわけではなく。

 

「うわっ!」


 結論にたどり着くと同時に、マスターゴブリンが身を揺らしたことによってバランスを保てず落下する。

 マンションの4、5階から落ちたようなものだが大きなダメージを負うことはなかった。

 超人化万歳だ。


「って、危なっ!」


 うちつけた後頭部をさすりながら自分自身に呆れていると、突然光が遮られたので素早く逃げ出す。

 遮ったのはマスターゴブリンの足であった。

 威力はこちらの方が高いらしく、これまでで一番大きな音がしたと共に砕け散った床の破片が飛来してくる。

 あまりの速度に一粒一粒が凶器だ。


「こなくそ……!」


 全てを避けることは諦め、急所と大きめなものだけを剣で防ぐ。

 小さな破片が頬をかすめ、そこから一筋の赤い液体が流れる。血だ。

 しかし、そんなことに構ってなどいられない。眼を見開き、マスターゴブリンを凝視する。

 俺の予想が正しいならあいつは体の周りに薄い、けれど強固な壁を展開しているはずだ。常時張っているのか、攻撃されると判断して張っているのかはわからない。

 前者か後者かで難易度がケタ違いに跳ね上がる。

 斬った時の感触を思い出す。現状、俺にあの壁を打ち破る力は期待できない。


「落ちつけ、俺……」


 頭を振り、心を落ちつける。

 俺のするべきことはあいつを倒すことではない。皆で無事に学園へと帰ることだ。

 マスターゴブリンの動向に注意しつつレイナ達の方を見る。

 アイリスは怪我もなく、正気に戻ったみたいだが、フィオは衝撃をモロに受けたことが響いているのか片膝をついて辛そうだ。

 二人が肩を貸して何とか立ちあがる。レイナがこっちを向き、頷く。

 よし、後は三人が入口につくまで粘ればいいだけだ。

 帰還石を地面に叩きつけ、魔法陣が展開、発動するまでにはおよそ五秒。

 マスターゴブリンの動きは早くない、狭い通路の中で使えば十分間にあうはずだ。

 ポケットにしまってある帰還石を服の上から確認する。ちゃんと感触が返ってきた。

 安堵する。このような場面でアイテムを失くすのが、漫画やアニメでのお決まりだからだ。

 所詮創作だろと言うなかれ、異世界でマスターゴブリンとかいう化け物と戦っているこの状況は十分現実離れしている。

 ゴールへの道筋が見えたことで自然と無駄に入っていた肩の力が抜ける。

 同時に狭まっていた視野が広がり、マスターゴブリンだけでなく部屋の背景なども眼に入ってきた。集中できなくなっているわけではない。落ちついたことで様々な情報を処理できるようになったのだ。

 マスターゴブリンに用意された部屋なのだろうか、あの巨体がそこそこ自由に動ける広さ、円状の床、円の中心の真上には光源があった。気になるのは壁や床に幾何学模様が描かれていることだ。

 何かが引っかかった。


「何だ……?」


 再び打ちおろされたマスターゴブリンの手の平をかわし、床、壁、天井へと眼を凝らす。

 方形・三角形・菱形・多角形・円形などが組み合わされた模様は床はまだしも、壁にはあまり似合わない。


「魔力だ! ユーヤッ!」

「ッ!」


 突如聞えてきたフィオの大声によってやっと気づいた。

 床や壁が灰色であることに加え薄くて見辛いが、床や壁の模様に沿うように天井から黒い光が流されていく。

 まるで魔法陣を展開するように……。


「くっ!」


 体が寒くもないのに震え、俺は思わず持っていた剣で壁を斬ろうとする。

 だが、返ってきた衝撃に手が痺れた。マスターゴブリン以上の固さだ。

 物理的に止めることはできない。なら、逃げるしか……!

 剣をもっていない手でポケットから帰還石を取り出し、皆の所へと急ぐ。

 まだ光は床まで達していない。逃げるには今しかない。


「ユーヤ君ッ!」

「え!? のわーーーッ!」


 レイナの悲痛な叫びのおかげでマスターゴブリンの一撃を何とかかわす。

 けれど、巻き起こった風はどうしようもなく、飛ばされてしまう。


「いてて……」


 強く体を打ちつけたが、あちこち痛むものの眼に見える怪我は負わなかった。

 タフな体に産んでくれた顔も覚えていない母親に感謝したいところだが、そんな暇はない。

 飛ばされたことでレイナ達と距離ができてしまった。

 何より、光が床に到達し、ゆっくりと流されていく。

 俺が手をついている床も黒に染まり始める。俺は言いようのない嫌悪感に蝕まれ、そこから飛び退く。

 あれは人には良くないものだ。本能がわめく。


「ユーヤ君、こっちです!」


 離れたところからレイナが必死に俺を呼ぶ。

 見るとフィオとアイリスが苦しそうにせき込んでいる。


「待ってろッ! すぐそっちに――」


 最後まで言いきることはできなかった。

 強烈な波動が体を突き抜ける。空気が震撼していた。

 圧倒的な力が、魔力が空間を支配する。


「あ……ああ…………」


 レイナが糸が切れたように座りこむ。その姿は生きることを諦めたかのようだった。

 それほどまでに絶望的な絵なのだろう。

 俺はゆっくりとマスターゴブリンを見上げる。額には角が生えており、あげられた両腕には黒いオーラが巻きつけられていた。

 角持ち。詳しくは知らないが、きっと化け物の中の化け物の証のようなものなのだろう。


 ――ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!――


 マスターゴブリンが雄たけびをあげる。レイナの体が大きく跳ね上がった。

 その咆哮は問答無用で人に己の脆弱さを突きつける。二度目とはいえ慣れないものだ。

 態度が気にいらなかったのか、マスターゴブリンの血のように赤い眼は俺だけを捉えている。

 恐怖に屈してしまったレイナ、苦しそうにせき込むフィオとアイリス、俺を標的としているマスターゴブリン。

 どうすべきかはバカでもわかる。

 だが、それを選択するにはとてつもない勇気が必要だ。


「俺は……」


 ふと、幼い頃に好きだったアニメを思い出す。

 よくある王道ファンタジーアニメだ。俺は、そんなアニメの主人公が大好きだった。

 カッコ良いという意味では他にも色々なキャラがいた。でも、喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜怒哀楽が激しい主人公が一番輝いて見えたのだ。

 だから、俺も主人公になりたいって憧れていた。……いや、憧れているんだ。

 主人公が悩むように、人は色々な価値観を持っている。自分にとっての正義が、人にとっての悪になってしまうことを俺は若輩ながら知っているつもりだ。

 だけど、悩んでも、苦しんでも、逃げ出したくなっても、テレビの中の主人公は前に進み続けた。

 そして、自分の信念を貫いた。


「俺は……!」


 何故、俺はこんなわけもわからない世界に投げだされて順応できたのか。

 出生がこっちだとか、適応能力が高いとか、色々あるけどよ。何より、待っていたんだ。

 子供が抱くバカみたいな夢、俺も主人公に――。


 ――英雄(ヒーロー)になりたいって!


 誰もがなれるわけではないことはわかっている。

 それでも、俺は必死になって夢を持ち続けていた。

 小学校、中学校、高校と進学する度に最初は一緒になって眼をキラキラさせていた友達が笑うようになった。当り前だ。俺の方がおかしいのはわかっている。

 だけど、俺は諦めたくなかった。

 思春期特有の反発精神だったのかもしれない。

 それがどうした! 現に俺は今、ここに、異世界にいる!

 あちらで普通の人生を送るのだって、きっと幸せだったに違いない。こちらなんて、二カ月も経っていないのに二度目の死の危険だ。

 わざわざ望む奴なんて頭のネジが緩んでいるか、自分が死なないとでも思っている夢見がちな子供だけだろう。

 そうさ! 俺は頭のネジが緩んでおり、しかも自分が死ぬわけがないと思っているダメダメな子供だ!

 初っ端で死にかけて運良く助かっただけなのに、平然と異世界で暮らす壊れたバカ野郎さ!


 ――どうせ壊れているなら、こんな死が身近な世界を望むアホったれなら、命をかけて英雄(ヒーロー)ごっこをしてやろうじゃねえか!


 もし俺にその資格がないのならば、どうにかして手に入れてやるだけだ。

 俺がこれからすることは、傍から見たら無謀な行動だろう。そんなことは知ったこっちゃない!

 命あっての物種? 生きる目的があっての命だろ!


「おらーッ!」


 俺は右手に持っていた帰還石を大きく振りかぶり、レイナ達の所へと投げた。

 小学生の時、野球で投手をやっていた俺の一番の特徴はコントロールだ。

 狙い通り三人の中心点で帰還石が砕ける。

 すると、三人を乗せるように魔法陣が展開された。


「ユーヤ君ッ!? どう……!」


 我に返ったレイナの疑問は途中で空へと消える。

 邪魔をしてくるかとも思ったが……。

 内心で首をかしげる。

 展開して発動するまでの間、マスターゴブリンは微動だにしなかった。

 ふーん、フィオとアイリスに襲いかかったことから、てっきり俺達全員を標的にしていると思っていたが、存外俺に夢中なのかもしれない。

 真意はわからないが、好都合だったので感謝しておこう。


「殺そうとしてくる魔物相手に感謝ってのもおかしな話か」


 自分の間の抜けた思考につい笑ってしまう。

 覚悟を決めたおかげか非常に心が軽い。

 恐怖はもちろんある。けれど、それ以上にワクワクするのだ。


「なははっ、これじゃ英雄(ヒーロー)と言うよりバトルジャンキーじゃないか」


 あくまで高揚しているのは、俺がこの窮地を脱することができるかどうかが楽しみだからだ。

 他人事みたいだが、要は自分は英雄(ヒーロー)かどうかを判断する材料にしたいのさ。

 俺が名を残す男ならば、こんなところで死ぬわけがない。だから、生き残る。

 逆説的だが生き残ったら資格があるという寸法だ。

 それを何度も繰り返していき、いつの日か英雄(ヒーロー)になれるように頑張る。

 英雄(ヒーロー)に明確な基準はない。何をもって英雄(ヒーロー)になれたとするかは俺にもわからない。

 良いさ。前を向いて走り続けていたら何かしらあるはずだ。

 とにかく、まずはこの死地を乗り越えよう。

 実は俺には秘策があった。

 勝つ必要はない。死ななければ良いんだ。俺が決めた。英雄(ヒーロー)は負けないのではない、死なないんだ。

 だからここは……!


「三十六計逃げるに如かずッ!」


 剣を鞘へと素早く収めると、俺は身をひるがえす。

 突然の行動に面を喰らったのか、マスターゴブリンは動かない。

 そうさ。勝つ必要がないのなら多少身体は痛むが、体力が残っている俺一人なら逃げたら良いのだ。


「ぶへっ!」


 しかし、俺の目論見はもろくも崩れ去った。

 通路へ逃げるために入口をくぐろうとしたら激突したのだ。

 尻もちをつきながら、ぶつかったものを見る。だが、前方には何もない。

 まさかと思い、ノックするように手の甲をふると三度固い感触を得る。


「自分の周り以外にも張れるのかよ……!」


 こんな強固な障壁をそこら辺に気軽に張れるとは想定外だ。

 唯一の策――まあ、策と言うほど考えられたものではないが――を破られたため、事態は切迫する。 

 俺からしたらとても広い部屋だが、マスターゴブリンから逃げ続けるには厳しい。

 レイナが教師を呼んでくれるとは思うが、最悪障壁を壊すことができないと考えておいた方が良いだろう。

 つまり、俺はどうにかしてこいつに勝たないといけないわけだ。

 勝つ必要がないなら、という前提条件は儚く消え去った。


「結局やるしかないってかッ!」 


 気合いを込めるために腹から声をだす。

 言霊、というものがあるように案外口にしてみることはバカにできない。

 俺の叫びに反応してマスターゴブリンも動き出す。


「行くぜ!」


 左手で柄を持ち、柄尻に右手を乗せて走りだす。

 マスターゴブリンは黒い渦を纏った右腕を後ろへと引く。


 ――右ストレートだ!


 力を溜めた時とは段違いの速さで全てを粉砕せんと拳が迫りくる。

 俺はそれをジャンプ一番かわす。速度は相当なものだったが俺の動体視力なら捉えられる。紙一重で黒い塊は横を駆け抜けていった。

 通った時の風圧だけで相当な圧力を感じる。直撃したら終わりと考えて間違いないだろう。

 マスターゴブリンを強者たらしめる所以はきっとあの強固な障壁だ。攻撃自体は体の大きさに物を言わせたゴブリンらしい単純な動きでしかない。

 しかし、シンプルな思考なため行動は読みやすいが、その反面これといった攻略法が思いつかない。

 なら、俺がやることは全力で一撃を放つことだけだ。

 理屈で考えれば俺みたいなひよっこの一撃が通じるわけがない。けれど、やるしかない。


「おらよっと!」


 伸びきった腕に飛び乗り、もう一度頭へと駆け上がる。

 どうせ攻撃するなら、上手くいけば大ダメージを与えられる部分を狙うのは当たり前だ。

 ……これから放つのは掛け値なしで全力の一撃だ。だからこそ、必ず障壁を越えなければならない。

 

「うぉぉぉおおおおおッ!」


 相手を殺さんばかりの咆哮。

 ねじ切れんばかりに上半身を捻り、両手は目線の高さまで剣を持ちあげ、マスターゴブリンの眼が射程範囲に入ると同時に解放する。見よう見まねの抜刀術だ。

 滑るように、鞘から刀身がその金属部分を真上にある光源で輝かせ現れる。その勢いそのままに上半身に蓄えられた力も加え、おまけとばかりに右手を鞭のように振るう。

 剣身が眼球へと吸い込まれるかと思った時、例の衝撃が腕を襲った。


「ぐっ……!」


 触れる数mm手前に存在する見えない壁に、完全に勢いを殺されてしまった。

 勝負は俺の負け。後は必死に逃げ回りながら教師が来てくれる可能性にかけるしかない。

 そう決めていたはずなのに、俺は力を込めるのを止められなかった。

 動きの止まった俺を捉えるべくマスターゴブリンは肩に左手をやる。

 早く逃げないと……!

 だが、やはり俺の脚は肩から離れない。

 ああ、そうかよ! そんなに越えたいかよ! だったら、とことんやってやろうじゃねぇか!

 理性を無視し、本能に忠実になる。左手も柄にかけ、ありったけの力を込める。


「ぐぐぐっ……! だぁぁああああ!! こな、くそぉぉぉおおおおおッ!」


 諦めてたまるか。想いを込めて叫ぶ。

 すると、いきなり体から力が抜けた気がした。

 ふと、剣に眼をやる。剣は青白い光に包まれていた。

 時を同じくして刀身がゆっくりと進み始める。

 たった数mmの出来事だ。そんなに長くはない。

 けれど、俺にとっては一分にも十分にも感じる瞬間だった。


 ――ウ、ウガァァァアアアアアアアアアッ!!!!!――


 眼を斬られたマスターゴブリンがうめき声を上げながら暴れ始める。


「お、おっと!」


 もちろん肩に乗っている俺もその振動を受けるわけで、落とされる前に下りる。

 床には眼からこぼれおちたであろう血が水たまりのようになっていた。良く見ると俺の服や手も血で汚れている。

 とりあえず、潰されないように端によってマスターゴブリンの様子をうかがう。

 障壁のおかげで痛みに慣れていないのか、眼を抑えて地団駄を踏んでいる。

 致命傷ではなさそうだ……。ちっ、浅かったか。

 突然のことに表面しか斬ることができなかったらしく、倒すほどのダメージは与えられていない。

 もう一度行くかとも考えるが、暴走に巻き込まれて潰されるのがオチだ。

 かと言って、このまま手をこまねいていても落ち着かれたらジ・エンド。


「あっ」


 脳裏に障壁によって出ることができなかった入口が思い浮かぶ。

 そうだ。今ならきっとあそこから出られるはずだ。

 マスターゴブリンに気づかれないよう慎重に向かう。


「よしっ!」


 予想通り、塞いでいた障壁は消えていた。

 このまま上の階に逃げ、後は迎えが来るまで待っていれば良い。

 追ってくるにしても、ダンジョンを壊しでもしない限り無理なので安全と考えて間違いないだろう。

 これで終わりだ。そう思った。


「え?」 


 何かが崩れる音が耳に届き、上を向く。

 視界を覆ったのは巨大な岩の塊だった。マスターゴブリンが無造作に放ったパンチで崩壊した天井が落ちてきたのだ。


「あっ……」


 ゆっくりとスローモーションで岩が落ちてくる。

 これ、死ぬな。

 ぼんやりとそんなことが頭をよぎった。

 まあ、一矢報いたし、レイナ達は無事だろうから及第点か。

 俺は死を受け入れ、やれやれと言わんばかりに眼を閉じようと――、


「ユーヤ君ッ!」


 胸に衝撃を受け、俺は後方へと突き飛ばされた。

 少し遅れて岩が地面へと落下した音が響く。


「ッ……!?」


 受け身を一切取れずに背中から倒れこんだため、強い痛みを感じながら起きあがる。


「ど、どうなってるんだ?」


 思わず呟いた俺の疑問への答えは、すぐそこに提示されていた。


「…………う、嘘、だろ?」


 願うが眼前の光景は変わらない。


 ――レイナが俺の代わりに岩の下敷きになっていた。


「レ、レイナッ!」


 声が裏返る。そんなことを気にしている余裕はない。

 すぐに容体を確認する。


「良かった……! まだ生きている!」


 呼吸をしていた。顔色もそんなに悪くない。どうにかして衝撃を幾分か殺したのだろう。

 だが、楽観視はできない。すぐに医者に見せないと。

 どうにかして岩をどかせようとするが、かなりの質量でビクともしない。


「動けよ! 何で動かないんだよ!」


 剣を投げ捨て、体当たりを敢行する。

 だが、動く気配がない。


「待てよ! 待てよ待てよ! 意味がわかんねー! 何で、レイナがこんなことになってんだよ!」


 苛立ちから岩に向かって文句を言う意味のない行動をしてしまう。

 けれど、感情が落ちつかない。

 当り前だ! 眼の前でレイナが死にかけてんだぞ!?


「ユーヤ、君……」

「レイナ!?」


 岩の下から声が聞え、慌てて頭を下げる。

 視線を合わせるとレイナは弱弱しく笑った。


「良かった……。無事で…………」

「はぁ!? 何言っているんだよ! 今死にかけているのはお前だろうが!」

「良いんです……。私は…………」

「え……?」


 レイナの言うことが理解できなかった。

 相当変な顔をしていたのだろう。レイナがくすくすと笑い声をもらす。


「死にたいわけじゃないですよ……? ただ、ユーヤ君を守れて良かったな、って思っただけです…………」

「良く、わかんねえよ」

「ユーヤ君には、そんなつもりは、なかったと思います……。でも、私には、とても嬉しいこと、だったんです………」


 意識が薄れてきたのか声がか細く聞こえにくくなってくる。


「な、なんだよ? 俺が何をしたって言うんだよ?」

「ふふっ……。秘密です…………」


 震える声で聞き返すと、前と同じように人差し指を口にやり、教えてくれなかった。

 そのままレイナは眼を閉じる。


「レイナッ!?」


 口に手をやる。呼吸は微かだ。

 眼に見えて長くは持たないのがわかる。


「どうして……」


 後ろの方でマスターゴブリンが唸り声をあげる。

 痛みが治まったのだろう。これでもかってぐらいの殺気が浴びせられる。


「何が、英雄(ヒーロー)になりたいだよ……」


 自嘲気味に呟く。 

 大切な人すら守れない奴が調子に乗ってるんじゃねえよ。


 ――ガァァァァアアアアアアアッ!!!!!――


 部屋が振動する。マスターゴブリンが走りだしたのだ。

 そんなことはどうでもいい。どうやったらレイナを助けられるんだ。

 俺にとっての正義って、どんな局面でも生き残ることだったのか……? 俺が英雄(ヒーロー)に憧れたのは信念を貫き通すことだ。




『英雄(ヒーロー)の信念って、大切な人を守ることなんじゃねえのかよ!』




 ――世界が時を止め、“英雄の記憶”が現れる。




 俺は驚くこともなく、開かれたページの名前を読み上げた。


「“守護者”エクレール・アレクサンドル」


 ――条件は揃った。


 “エクレール・アレクサンドル”の記憶が解放される。


「来いっ!」


 英雄の記憶が光の粒子となり、俺の体へと取り込まれる。

 ドクンッ、と心臓が力強く鼓動をあげた。


「はっ!」


 掛け声と共に手から放たれた雷撃によってレイナに乗っていた岩を消滅させる。

 ついで迫ってくるマスターゴブリンに向け、無造作に雷を放つ。


「レイナ……」


 レイナを抱き上げる。呼吸は微かだが、眼に見える外傷はない。

 金属がぶつかる音がしたので下を見ると、手鏡のようなものが落ちていた。

 魔法が付与されたアイテムみたいだ。恐らく、これが怪我のない理由だろう。

 だが、レイナは気を失っている。早く医者に見せた方が良いのは変わらない。


「あん?」


 大きな魔力の波動を感じてそっちを見ると、両手で黒い塊を生み出しているマスターゴブリンがいた。

 腕に巻きつけられていたものに加え、壁や床に走っていた魔力も吸収されている。


「させるかよ……!」


 レイナを通路に避難させ、止めるべく魔力を収束させる。

 自然と魔力が雷へと変換されるため展開された魔方陣が、手が、蒼白い光で包まれる。

 バタバタと魔力の収束に伴う奔流で服や髪がはためく。

 集中しろ。狙う瞬間はただ一つ……!

 マスターゴブリンの僅かな仕草も見逃さないように眼をこらす。


「今だ……ッ!」


 ――雷神の鉄槌(トールハンマー)――


 マスターゴブリンが魔力を溜め終わり、今まさに解き放たんとした瞬間を狙い、雷(いかずち)を黒い球体へと叩きこんだ。

 音をたてて球体が割れる。それに伴い、大爆発が巻き起こった。

 レイナの風除けをしていた俺はあまりの暴風に四肢に力を込めるが、それでも浮き上がりそうだったのでレイナを抱きしめて四つん這いになって踏ん張る。


「お、おさまったか?」


 風は数十秒にも及んだ。

 顔を上げると部屋は爆弾でも落ちたかのようにボロボロになっていた。

 その中心でマスターゴブリンが真っ黒焦げで倒れている。

 近づいてみると全身がゆっくりと光の粒子に変わっていく。残ったのは持っている物よりは少し小ぶりの魔昌石だった。

 雷を打ちだした己の右手を見る。それに合わせるように青白いオーラは空気に解けるように霧散した。

 途端に体が重くなる。……いや、元に戻ったと言うべきか。

 自分が生み出した光景に思わず左手で右手を掴む。


「……今はレイナを医者に連れていくことが最優先だろ」


 一旦、思い浮かんだ恐怖は頭の隅へと追いやる。

 そして、レイナがいる通路へと走り出す。


「ユーヤー! レイナー!」

「二人とも大丈夫かー!」

「クレア、あんたレイナちゃんだけ変な所に転位させて! 何かあったらどうするのよ!」

「ご、ごめんなさーい!」


 レイナの元へ着くと、通路の奥から聞きなれた声が壁を反射してやってきた。

 胸をなでおろす。どうやら、無事に終われそうだ。

 気持ちレイナの顔色が良くなったこともあって俺は気を緩める。そのせいか、途端に疲れが体を支配し、眠気が襲って来た。

 後は、任せても大丈夫だよな……。

 もう視界がかすんできた。一言、レイナを医者にと告げたかったが、どうやら間に合いそうもない。

 残された力を振り絞ってレイナを見る。綺麗な顔には傷一つついていない。

 何となくレイナはもう大丈夫だと思った。いつも通り根拠は勘だ。

 それを最後に、俺の意識は闇へと誘われるのであった。

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