第28話 引きこもりの琴梨ちゃん
十秒ほど抱き締めあったあと、琴梨ちゃんは俺の胸から身体を離した。
「ごめんなさい。感情が暴走しちゃいまして」
「少し落ち着いた?」
「ごめんなさい。まだ頭が混乱してます」
「そりゃそうだよね」
「きっと明日になれば大丈夫です。今日は帰りますんで」
「分かった」
「また明日」
「うん。また明日」
琴梨ちゃんはとぼとぼと帰っていく。
その背中が見えなくなるまで見送った。
──しかし『明日』がやって来ることはなかった。
次の日から琴梨ちゃんは学校に来なくなってしまった。
もちろん電話をしても、メッセージを送ってもなんのリアクションもない。
そんな状態が三日間続いた。
「俺のせいだ。俺のせいで琴梨ちゃんはっ……」
放課後、足は自然と琴梨ちゃんのクラスに向かっていた。
既にみんな下校して誰もいない教室に一人で立ち尽くす。
窓から入る西日を机の天板が反射して目が痛くなるほどの眩しさだった。
ガラッとドアが開き、とっさに振り向く。
逆光でシルエットしか見えない人影が立っていた。
「琴梨ちゃん……?」
「いいえ。違います」
黒いシルエットが近付いてきて、その顔がはっきりと見える。
「君は……」
「琴梨の親友の
はじめて聞くその声は、思っていたより少し高くて幼かった。
「何があったのか知らないですけど、琴梨は先輩のせいですごく傷ついてます」
「ごめん」
「私に謝られても困ります」
マキちゃんは鋭い眼光で俺を睨み付けていた。
「断っておきますけど、私はあなたが大っ嫌いです」
「うん。知ってた」
「そういう軽口叩くところも嫌いです」
マキちゃんは腰の辺りで握った拳を震わせていた。
「でも……先輩を好きになった琴梨は好きでした。前よりたくさん笑うようになったし、先輩の話をするときは目をキラキラさせていた。先輩においしいものを食べさせたいって料理の勉強したり、髪のセットも念入りにしたり。呆れるくらい可愛かった」
琴梨ちゃんの笑顔を思い出し、胸に重く鈍い痛みを覚える。
「なんであんな変な人好きなんだろうってずっと不思議だったし、いまも理解できない。だけどまっすぐに先輩を愛する琴梨を応援していた」
「……俺が全部悪いんだ」
「そんなことどうだっていい。それよりもさっさと琴梨を助けてあげて。このままだとあの子、闇に飲まれて戻ってこられなくなる」
「でも俺の顔なんて見たくもないんじゃないかな?」
「そんなの知らない! 自分でなんとかして!先輩がどれだけズタボロになっても琴梨を助けて! どれだけ拒絶されても、罵られても! 悔しいけどいまの琴梨を救えるのは先輩しかいないの!」
マキちゃんの叫び声で目が覚めた。
この期に及んで俺はまだ保身に走っていたと気付かされたからだ。
彼女の言う通り、どれだけ嫌われようが、拒絶されようが、俺は琴梨ちゃんに謝らなくてはいけない。
「ありがとう、マキちゃん」
「今なら家にいるはずだから」
「あっ……」
「どうしたんですか?」
「琴梨ちゃんの家、どこだかはっきりとは知らない」
「呆れた! 付き合ってるのにそんなことも知らないんですか!? そんなことだから……まあその文句はまた今度」
マキちゃんは紙に住所を書いて渡してくれた。
「ありがとう」
「早く行ってあげてください!」
俺は全力で廊下を駆け、駅まで走り、琴梨ちゃんの家へと急いだ。
息が切れて脚が縺れる。
邪魔な伊達メガネを放り投げ、目にかかるうざったい髪をかきあげる。
琴梨ちゃんの実家は住宅街の中にあった。
玄関の前にささやかな花壇があることくらいしか特徴のない家だが、琴梨ちゃんの実家だと思うとなんだか妙に愛おしいものに思えた。
息が整うのを待たずにインターフォンを押すと琴梨ちゃんのお母さんらしき人が応対してくれた。
「はい?」
「藤堂と申します。琴梨さんはご在宅でしょうか?」
「あー、あなたが藤堂くんね。ちょっと待ってて」
しばらくして玄関が開き、琴梨ちゃんによく似たおばさんが現れる。
「ごめんね。あの子、誰とも会いたくないって」
「僕が悪いんです。僕が琴梨さんを傷つけてしまって」
「琴梨は思い込みが激しくて一直線にしか進めないから……きっと藤堂くんともちょっとしたすれ違いが原因でへそを曲げちゃったんでしょ?」
「違うんです。本当に僕のせいで」
「ほら、上がって。部屋には入れてくれないと思うけど、ドアの前からでも話しかけてあげて」
「すいません。ありがとうございます」
琴梨ちゃんの部屋は二階にあった。
扉には木製の小鳥のプレートが掛けられており『kotori's room』と書かれてある。
「琴梨ちゃん。俺だ。藤堂だ。家まで押し掛けてごめん」
「……会いたくありません。帰ってください」
顔を見なくても琴梨ちゃんが泣きそうな顔をしてるのが分かる、弱々しい声だった。
「顔を合わせて話そう」
「先輩の顔なんて見たくありません」
「俺のことは嫌っても構わない。それだけのことをしたんだ。でも学校も行かずに引きこもってしまっている琴梨ちゃんを放ってはおけない」
「……明日には学校に行きますから」
「ダメだ。その場凌ぎで言ってるんだろ」
しばらく返事がなかった。
ドアの向こうにいる琴梨ちゃんの微かな変化も見逃すまいと、俺は耳を澄ましていた。
「先輩は私の気持ちなんて、全然分かってません」
「じゃあドアを閉じたままでいい。話をしよう」
琴梨ちゃんは肯定も否定もせず、ただ喋らなくなった。
でもその無言は拒絶ではないと肌で感じた。
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