5.

 翌日、店内は、領主邸宅爆破事件の話で持ち切りだった。

「カゲか」

「いや、領主が地下室に、武器や火薬をしこたま溜め込んでいたってよ」

「あそこの税の取立てが厳しかったのは、そういうわけか」

「だけど、領主は撃たれていたんだろ。額に一発、ドンと」

「主人の死体を見た侍従がトチ狂って放火したって聞いたぞ」

 酒を囲み、脇に女を座らせ、男たちは声高に、仕入れた情報を交換しあった。

「沙月ちゃん、怖かっただろ」

 盃に酒を注がせながら、ひとりの客が沙月を労わった。たちまち沙月は目を潤ませ、しおらしく頷く。

「火の回りが早くて。もう、お客様ともお会いできないかと思った」

 出てもない涙を指で掬う仕草に、周囲の客は口々に慰めの言葉をかける。

 離れた席で、彩羽は、興ざめた目でその様子を見ていた。

 昨夜店に戻ると、沙月は、亡霊を見る目で迎えた。なんだ生きてたのと、擦れ違い様に吐き出された言葉が、彩羽の胸に重くもたれている。

 別の客の酌をしながら、彩羽はさり気なく脚を引き寄せた。手持ちの仕事服の中から、最も裾が長く、脚が隠れるものを選んだ。服の裾から昨夜の傷が見えていないか、何度も確かめた。

 太腿から脛にかけてついた無数の擦り傷が、布に触れてチリチリ痛む。傷を見れば、客は根掘り葉掘り話を聞こうとするだろう。

 助けてくれたテゥアータの男のことも、誰にも話していない。話せば、地郷公安部と狩人の捜索がかかり、彼は逮捕、処刑される。それは避けたかった。

 しかし、あの炎の中、自力で脱出したことに疑問を抱かない人は少ないだろう。

 様々な嘘を考えてはいるが、この店の客は知識人が多い。質問攻めにあっても隠し通すことが出来るか、不安だ。

 今夜はもう、誰もが沙月に注目してくれますように。誰にも個室へ呼ばれませんように。どうかこのまま、何事もおきませんように。

 肉の塊をじっくり時間をかけて香草とともに煮込んだ料理と、地郷南部で採れるという貴重な米を使って仕込んだ酒を運びながら、彩羽は出来るだけ目立たないよう体を小さくした。

「そういえば、彩羽ちゃん、危ないところ助かったんだって?」

 ふいに、遠くの席からどら声が聞こえた。彩羽は危うく、盃に注いだ酒をこぼしそうになった。

 震えながら顔を上げると、室内の半分以上の目に見つめられていた。

「すごいな。あんな炎の中から」

 期待を込めた幾つもの視線が、腕に、腰に絡みつく。息が苦しくなった。品の良さそうな初老の客がにこやかに、最も恐れていた問いを口にした。

「私も麓から見ていましたけど、凄い火の勢いでしたからね。どうやって脱出できたのですか?」

 周囲の客たちも口々に、誰が、どんな人が、名乗りを上げたものはいなかったのか、地郷公安部の見解はどうだと言い始めた。

 彩羽はひたすら、空になった盆を抱えて首を振った。

「ひとりで」

 精一杯答えるが、たちまち、それはないだろうと否定された。

「沙月ちゃんから聞いたよ。箪笥に挟まれちゃったんだって?」

 そうなのよと、すかさず沙月が割って入った。

「ふたりがかりで持ち上げようとしたけど無理で、泣く泣く逃げたの」

 違う、あんたは助けようという素振りすらしなかった。

 喉元まで上がる言葉を飲み込み、盆を抱える手に力を込めた。

「まあまあ。そんな大勢で質問攻めにしたら可哀想だろう。ここは俺が」

 男の一人が立ち上がった。

 彩羽の常連客で、抵抗する女をものにする瞬間がたまらないと、おおっぴらに言う男だ。その言葉の通り、嫌悪に動けなくなる彩羽の足をこじ開け、無理やり捻じ込んでは、苦痛に呻く様子を堪能する。蘇る痛みに、彩羽は思わず後ずさった。

 客は、嫌らしい目を細め、上質な上着の前を軽くはだけさせる。回りの者が、やんや、やんやとはやし立てた。

「あら、残念でした。先客がいるの。ごめんなさいね」

 ふわりと声が降ってきた。この店の女たちを取りまとめる宮美みやびが、立ち上がった客に片目を瞑る。震える彩羽の手から盆を抜き取ると、そっと肩を押した。

「お客様よ。行きましょう」

「は、い」

 そっと唇を噛んだ。

 呼ばれてしまった。あの地獄のような奥の部屋へ。全身が粟立つ。胃の辺りが気持ち悪くなる。それでも、拒むことは許されない。

 大勢の不満を背に、彩羽は宮美に従った。新しい盆を渡される。満たされた水差し、伏せた盃が載せられていた。

「お客様は、先にお通ししてあるから」

 何もないかのように見える壁の一部へ、ふたりの姿は吸い込まれた。奥の間への入り口だ。天井から床まで、壁に似た色の薄布が幾重にも吊り下げられている。幅の中ほどに入った切れ込みをかき分けて進むと、暗く長い廊下に出る。

 ここから先は、性を売る場所だ。案内役の女に呼ばれたなら、両側に並ぶ部屋の一つで、客の求めるまま体を提供しなければならない。

 背を押された。言下に「しっかりね」と言われているようで足が竦む。 

 彩羽は冷たい汗をかきながら進み、並んだ扉の一つで足を止めた。

 廊下の最も奥、今の店主に代替わりした年に増設したばかりの部屋だ。暗がりでもまだ新しさを感じる扉の取っ手に、羽飾りの付いた白い花輪が掛かっている。これが、彩羽の印だ。

 『藤紫』の女たちは、それぞれ印となる花輪を持っている。これがかけられた部屋が、仕事場になる。客が先に案内されて待っていることもあれば、女が部屋で客を待つこともある。

(乱暴な客では、ありませんように)

 強く願いながら、足を踏み入れた。

 壁に掛けたランプの灯りが、白っぽく塗りこめた壁に反射して、部屋全体をぼんやり明るくしている。ランプの下に、客が頼んだ飲み物などを置く小さなテーブルと椅子がある。どの部屋も、作りや物の配置は同じだ。

 何より気持ちを塞ぐのは、部屋の大部分を占拠する豪奢な寝台だ。上質な綿や羽毛を詰めた寝具は厚みがあり、ただ睡眠をとるためであれば、この上なく快適だろう。しかし、それはまた、押し付けられたなら逃げ場のない、柔らかな拘束道具だった。

 いつものようにすればいい。怖いのは最初だけ。あとは、何も考えず、何も見ず、何も感じず、ただ、木彫りの人形となって横たわっていればいい。なされるがままに時間が過ぎれば、解放される。

 念じながら、足元ばかりを見て腰を折った。

「彩羽でございます」

 声が震えた。

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