6)

「ハヤト」

 マサキの叱責に、少年は動きを止めた。

「真実がどうであろうと、この人を責めてはいけない。いいな」

 あからさまに悔しそうな顔で、ハヤトはマサキへ寄り添った。

 背丈は、中背のマサキの鳩尾辺りまでしかない。口元しか見えなくとも、幼さを感じさせる。それでも、毅然とユズを睨みつける姿に、気迫があった。

「んじゃ、ハー坊。まーくんを頼んでいいか」

 緊迫した空気をものともせず、コウは少年の頭へ手を載せた。

 分かった、と短く答え、少年は確かめるようにベルトへ手をかけた。拳銃を携帯している。

 こんな小さな子に、拳銃など。

 怒りに似た感情が、湧き起こった。

 やはり、カゲは、恐ろしい集団だ。柔和な雰囲気に、騙されてはいけない。

 ユズは、服の裾を握った。

 ユズの心中を知らず、コウは微笑みかけてきた。

「状況とか、俺たちが何者か、分かってるよね。ごめんけど、目隠しをさせてもらうよ」

 彼は、懐から出した手拭いを広げた。気の良さそうな眉端が下がる。

「分かった」

 仕方ない。ユズは大人しく目を閉じた。

 頭の後ろで結ばれた手拭いは、清潔そうな石鹸の香りの奥に、薬草と煙の臭いが染み付いていた。


 どれくらい歩いたのか、分からない。だが、それほど長い間ではなかったはずだ。

 通された部屋にも、薬草の臭いがした。血生臭さもあった。

 目隠しを外され、ユズはそっと室内を見回した。

 全ての窓に、内側から板を打ち付けてあった。ランプが二台灯され、部屋の一角を照らしていた。光の中に、寝具が敷かれていた。町と異なり、寝台はない。床に直接寝具が広げられている。

 その上に寝かされた兄は、体の大部分を包帯で巻かれていた。辛うじて包帯を免れた目の近くにある黒子が、ダイチの証だった。

 枕元で、壮年の男が薬草をすりつぶしていた。彼の茶色のもみ上げは、豊かな髭と繋がっていた。

「刃物による傷より、火傷のほうが酷い。あまり多くは話せないけど、間に合ってよかった」

 呆然とするユズへ耳打ちすると、髭の男は席を空けた。

 ユズは、寝具の枕元に座った。身を屈め、ダイチの顔を覗き込んだ。

「にい、さん?」

 おずおずと囁けば、兄は薄く目を開けた。眼球が動く。ユズを認めると、涙を浮かべた。呼吸が荒くなる。

 何かを伝えたがっている。包帯の下で口が動く。だが、漏れ出るのは隙間風に似た掠れた音だけだった。

 そっと、コウが声を掛けた。

「これ、何だか分かるかな。ダイチさん、火の中に飛び込んで取りに戻ったらしいんだ」

「それで、こんな火傷を?」

 コウが頷いた。ユズの手に、小さなものが載せられた。

「ユズちゃんに、渡して欲しいって」

 手の内に収まる木箱に、ユズは首を傾げた。

 箱自体は、見たことがある。指輪を納めるものだ。ランプの灯りに近づけると、地郷で名の売れた装飾品店の印も確認できた。が、年数が経った上に酷く擦れて、それと知る人にしか分からない。

 結婚指輪の箱かと考えた。

 兄は、教員だった両親の上司の娘と見合い結婚をした。厳格な家だったから、教員を辞めたとなれば、あちらの実家から非難され、離婚もした可能性が高い。突き返されたのか。

 しかしユズは、即座に否定した。金銭に卑しい嫁だった。返すより、売って金にするだろう。

 だとしたら、指輪は既になく、箱を何かに代用しているのか。

 ダイチが、濡れた目で見詰めている。視線に込められた熱意を感じ、開けてみた。

 中身は、意外にも指輪だった。滑らかな布に抱かれるように、ランプの光を反射させる。銀色の台座に、青い石が嵌っていた。だが、嫁に贈ったものではない。あちらは、もっと豪華な意匠だったのを覚えている。指輪の内側に小さく文字が彫られているが、ランプの弱い灯りでは読めなかった。

 ユズは首を傾げた。

「なに? この指輪」

「ウ、ア」

 兄の声が掠れた。聞き返すが、乱れた彼の息は音声を妨げる。コウが器の水を布に浸し、唇を潤してやるが、ダイチの息は整わなかった。繰り返し、同じように呻く。

 何度か聞くうちに、ユズはひとつの名前を思い出した。

「フウカ?」

 兄が、かすかに頷いた。

 近所に住んでいた、兄の幼馴染みの少女の名だ。ユズも小さい頃、よく遊んでもらった。真っ直ぐな黒髪が美しく、優しかった。舞の真似事をして路地裏でクルクル回るユズを褒めてくれた。

 ダイチとフウカは、幼いユズにも分かるほどに、想いを通わせていた。だが、兄が教員になる少し前、小さな工場を営んでいた彼女の父は体調を崩し、働けなくなった。貧しくなった家計を支えるため、フウカは花街へ売られていった。

 望まない婚姻を、不満ひとつ漏らすことなく受け入れた兄だったが、密かにフウカを想い続けていたのだろうか。

 だとしても。

 こみ上げた怒りに、ユズは、箱ごと指輪を投げつけた。床を跳ねた指輪は、暗がりを転がって灯りの外へ出た。

 なだめるコウと髭の男に両脇を捕らえられながらも、感情をむき出しにして叫んだ。

「どういうこと? 私に、フウカを探して渡せっていうの? 最期の最期に、花街に売られた昔の女? せめて、謝ってよ。妹の人生めちゃくちゃにしたんだから、謝ってよ!」

 荒い兄の呼吸が、次第に細くなっていく。

「私、ミカドに認められたんだよ。なのに、なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないの!」

 振り上げた足が、寝具の端を蹴った。

 ダイチの体が、痙攣し始めた。

「レンさん」

 コウが鋭く囁いた。

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