5)
カゲが舌打ちをした。負傷を感じさせない素早い動きで、少年の横へつく。少年の足を蹴り上げると同時に、首根っこを押し下げた。
「きゃん!」
子イヌみたいな声を上げ、少年の体は宙でクルリと回転した。そのまま、鞠のように地面を転がる。止まった時には、両足の裏をしっかり着地させ、ちょこんと座っていた。
カゲの体が傾ぐ。
軸足にしたのは、刃傷を負った足だった。縛った布にも血が滲み始めていた。肩で息をしながらも、カゲは少年を厳しく見据えた。
「戦意を失った者へ止めをさすなと、言っただろう」
「もぉ、分かったよ」
不満を露に、少年は立ち上がった。服を叩いて、土や枯れ草を落とす。
「人質とられて脅されてやってるかもしれないって、言いたいんでしょ。だから狩人は減らないんだよ」
ユズの手の中に、ダイチに差し出されたナイフの冷たさが蘇った。狩人に命乞いをするなら、自らの手で反逆者を殺せ、と。
ユズは、三人の狩人を見やった。土や植物の灰汁で汚れた服を纏った彼らも、自らの、あるいは家族の命を守るために、武器を手にしたのか。
少年に名残惜しそうな顔を向けられ、ネズミ男は悲鳴を上げた。そのまま、恐怖のあまり気を失う。
少年はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、倒れている骸骨男の服の端をつまんだ。短刀の血を拭い、鞘へ収める。
トリが囀った。
カゲと少年が、同時に顔を上げた。
つられて枝を透かし、ユズは首を傾げた。夜だ。夜行性の猛禽類ならともかく、小鳥が囀るだろうか。
謎は、すぐに解けた。カゲが指を唇に当てた。澄んだ囀りが響く。指笛だ。
さっきより近い位置から、応えが返ってきた。
「さて」
振り返られ、ユズは、ぎくりと足を止めた。この隙にと、少しずつ後退しているところだった。
カゲが苦笑した。
「誰も彼も、言うことを聞いてくれないな」
「「だって」」
ユズの声に被ったのは、少年の甘えた口ぶりだった。刹那、ゴーグルに隠された彼と視線が合ったように思った。
互いに戸惑う。
闇を割って、明るい声が近付いた。
「あ、いたいた。て、なんかもう事が終わってる感じ? 俺の出番はなさそうだね」
背の高い男が、鳶色の癖毛を掻きながら下りてきた。
カゲが眉の端を下げる。
「すまない。また、監視をかいくぐってしまったようだな」
少年の頭を押さえ、無理やり謝らせようとする。
じたばた抵抗する少年を笑い、長身の男は顔の前で手を振った。
「それだけ、脱走術が上達したってことだよ。喜ばしいことじゃないか」
「だけど」
「俺が許可したんだよ」
長身の男はそう言うと、カゲの腰へ手を伸ばした。傷を負った方の尻を軽く叩かれ、カゲは顔を顰めた。
「この子の勘は、たいてい当たるから。間に合ってよかった」
長身の男は、少年の固い茶色の髪を撫でた。
味方を得て、少年は俄然強気になった。薄い胸を張る。
「コウが言うとおりだよ。俺が来なかったら今頃マサキはやられてたじゃない」
おや、と長身の、コウと呼ばれた方が少年の鼻をつまんだ。
「俺たちが、このお客様に名前を明かさないようにしていたのに気がつかなかったのかなぁ?」
「ふげ」
マサキと呼ばれたカゲも、腕を組んでわざとらしく何度も頷いた。
「まだ、詰めが甘い」
キュウンと項垂れる少年に、マサキは一瞬頬を緩めた。が、すぐさま表情を引き締めた。コウを見上げる。それだけで、コウは察したようだ。
「他の人は、もう戻っている。学問所を経営していた男性も救出した」
「兄さんを」
思わず、ユズは身を乗り出した。
コウが、改めてユズを見た。こげ茶色の目をすがめ、心得たように頷いた。
「彼が言っていたのが、彼女か。会いたがっている。伝えたいことがあるそうだ。最期になるかもしれない。会ってくれるかな」
今更、何を伝えるというのだろう。
兄への不信感が勝り、俯いた。だが、コウが言う、最期かもしれないという言葉が胸に刺さった。
ユズが脱出したとき、兄は相当な傷を負っていた。争うことを嫌う人だったのに、ユズを逃がすため、体を張ってくれた。その礼だけでも、言うべきかもしれない。だが、面倒ごとに巻き込んだのだ。それくらい、してもらって当然だ。
足元で、枯れ草が風に揺れる。葛藤が続いた。
マサキの手が、肩に載った。
「行った方がいい」
彼は、コウを仰いだ。
「お連れしてくれ。俺は、後から行く」
「了解。って、そんなに酷いのか」
眉を顰め、コウは身を屈めてマサキの太腿へ顔を近付けた。
マサキはわずかに足を引いた。反対の足の影で傷を隠す。
「掠っただけだから、大丈夫だ」
嘘だ。
ユズは唇を噛んだ。
覆面の刃は、かなり深く彼の足をえぐっていた。もし、ユズが彼の命令を守り、木の上で隠れ続けていれば生じなかったかもしれない傷だ。いくら相手がカゲであろうと、ユズの良心は、いっとき痛んだ。
「そうか。治療の準備をしてもらうけど、気をつけて来いよ。じゃあ、行こっか。ダイチの妹さん」
何も知らずマサキの肩を叩き、コウはユズへ笑いかけた。
正直に怪我の原因を言うこともない。無理やり自分を納得させ、ユズはぎこちなく頷いた。
「ちょっと待って」
鋭く、少年が立ちはだかった。
「もしかして、マサの怪我ってねぇちゃんのせい? マサは、こんなヘマはしない」
「油断したんだ。この人は関係ない」
当のマサキが柔らかく諌めた。その額に、大粒の汗が浮かんでいる。顔色が良くないのも、月光の青さではないだろう。
そこまでして、ユズを庇う気が知れない。
ユズを見上げる少年の目元に、月明かりが射した。色付きゴーグルの一部が透き通り、彼の鋭い眼差しが垣間見えた。その目は、ユズの頭の内、心の底を見透かしているようだった。
一瞬、鼓動が止まった。思わず胸元を押さえた。それでも本心を隠せる気がしない。
無言のユズに、少年は唇を引き締めた。ゆっくりと、短刀の柄を握る。
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