入学からひと月足らず。言うなれば、黒船の襲来
月詠学園は、いわば井の中の蛙が大海を知る場所だ。
国内二位の倍率を誇る入試と言う狭き門を潜り抜け、日本中から集まった実力者たちが
戦域と言う、死傷を削除される戦場にて戦い、もしくは戦いを見て、心が死んだ者から抜けて行く。
自分の力を過信した者は、むしろ過信したままでなければ生き残れない。
自信を喪失した者は、取り戻さなければ消えるのみ。
三年と言う、長いようで短い期間を生き抜いた卒業生らは、後に語る。
月詠学園は、多くの若者達の自信が水死体のように浮かぶ、荒波に揺れる大海であると。
* * * * *
「……おはよう、ございます。お
「あぁ。おはよう」
いるとわかっていても、緊張してしまう。
実の父親は顔すらも知らないし、今更知りたいとも思わないけれど、恋人の父親だ。
近い将来には家族にもなるけれど、立場を表す義父の二文字は同じでも、再婚した母の夫と、恋人の父親とでは意味合いがまるで変わってくる。
結果的に、このまま行けば、桔梗にとって双方の意味を兼ね備える存在となるが、そうとわかっていても――いや、わかるからこそ、緊張してしまうと言うものだ。
それらを除いても、芙蓉の役職柄、黒髪の桔梗は警戒を怠れない。
「元気なようで何より。息子とも、仲良くしてくれているようだね」
「はい。私は息子さんが、楓太の事が、大好き……です」
「そうか」
広げていた新聞を折り畳んだ手が桔梗の頭に置かれて、優しく撫でる。
親子だからなのか、頭に感じられる手の温もりと優しさが、楓太のそれと酷似していた。
「楓太の秘密を知っているのは、君だけだ。出来る事なら、これからも支えてやって欲しい。楓太もきっと、君を支えてくれるはずだ」
「はい。お
「楓太は……まだ寝ているのか。朝弱いのは、相変わらずだな」
「もう、出掛けるの……ですか」
「今回は夜には帰って来れる。ただその前に伝えておきたい事があってね。桔梗にも関係のある事だ」
* * * * *
月詠学園は、井の中の蛙が大海を知る場所だ。
多くの若者達の過信とも言うべき自信が喪失し、水死体の如く浮かぶ死の海だ。
自信を失って去り行く者あれば、未だ大いなる自信を抱き、大海に飛び込む者もいる。
入学より一ヶ月足らずで空いた空席を狙い、他の学校から転校する形で参戦して来る者達がやって来る。彼らも消えて行った者達と同じ、自分の実力に自信を持った、実力者達だ。
「る……ルフィナ・アントゥフィエヴァ、です。よ、ろしく、お願い、しましゅ……!」
「
しかしまさか、外国から来るとは思ってもみなかった。
ロシアからは、フワフワの綿のような柔らかい質の銀髪をサイドテールでまとめた女子。
フランスからは、なかなか挑発的なフランス語を混ぜて来る、金髪蒼眼の男子。
さながら、黒船の襲来が如く。
ただし残念ながら、一ヶ月と経たずに半数以上が不登校、及び自主退学してしまったクラスの中に、怯える人は誰もいない。
自分達のクラスを現状へと貶めた、二人の絶対的強者の存在を知っているからだ。
黒船たる彼らもまた、二人の存在感にすぐさま気付いた。
学校内のクラス一つという、圧縮に圧縮を重ねた社会を支配する人が、知らぬうちに発している気迫の重苦しさは、万国共通と言う事である。
芙蓉より前以て二人の来校を聞いていた桔梗と楓太も、彼らが自分達を意識している事に真っ先に気が付いた。
おそらくは今日の内にどちらか――少なくとも、挑発的フランス人の方は来るだろうなと思っていたのだが。
「あ、あの……!」
まさか、ロシア人の方から先に来るとは思っていなかった。
放課後、風紀委員の総会に向かおうとした二人を、彼女が呼び止めたのである。
「え、えと……えっと……」
モジモジと指を動かして、絡めて、終始落ち着かない。
月詠学園に入れたと言う事はそれだけの実力はあるはずだが、当校でこうも消極的で、最初から自信無さげな性格は珍しい。
もちろん、強気である方が強いなんて理屈はない。逆もまた然り。弱気だから弱い、なんて事はない。
「る、ルフィナは、ルフィナ・アントゥフィエヴァ、でしゅ!」
(噛んだな……)
(噛んだわね……)
彼女自身、最後に上手く発音出来なかった事に気付いたらしく、涙目だ。
顔を真っ赤にして膝を抱えて座り込んでしまった彼女は、今にも泣き出しそうである。
「落ち着いて? ゆっくりでいいから」
「ありがとう、ごじゃぃましゅ……」
桔梗に撫でられるルフィナは、さながら先生に宥められる園児のよう。
ただ体格的には正反対で、ルフィナは脚が長い高身長。胸部も臀部も女性的に膨らんだいわゆるモデル体型で、体系と性格が不一致であるようにさえ、思ってしまえた。
「落ち着いた?」
「はい……ありがとござぃます」
「それで、用って何かしら」
「は、はい……ルフィナ、聞きました。二人はこのクラスのフーキ委員だって。だから、その、会わせて欲しいです。フーキ委員長、レンゲ・イザヨイさんに」
――月詠学園の三年生、十六夜蓮華を他国が狙っている。彼女と何かしらの関係を築くため、学園に生徒を送ってくる国もあるだろう。奇しくも二人は、彼女がいる風紀委員にいると聞いた。だからと言う訳ではないのだけど、もしも彼女と接触しようとする生徒がいたら、注意して欲しい。その子を引き金に、彼女を取りに来る算段でいるかもしれないからね
芙蓉の予想が的中したと、断定するにはまだ早い。が、おそらくはそうだろう。
巧みに操る十三ヵ国語の言語で以て、他人を支配する黒髪少女。
自らの能力による支配を拒むが故に彼女がしてきた努力が、万国共通の兵器と化してしまった現状を、皮肉と笑って欲する他国の侵略。
送り込まれた方は、知っているのかいないのか。
いずれにせよ、彼女のような青年を送り込んででも十六夜蓮華を欲する国の意思については、痛いくらいに伝わってくる。
「ダメ、ですか……?」
楓太は、父が良く漏らす愚痴を思い出す。
公務員の仕事はクソッたれだ。
自国の利益のためと言い訳して、最終的に自分の懐を温め、自分の生活を潤す事しか考えられなくなるから嫌いだ。
汚職政治家や、裏の黒い部分と繋がっている国会議員など、そういった人物が敵として出て来る作品が多数あって、そうした印象が根深く付いていると言うのに、いざとなれば作品の制作者から制作出来る環境さえ奪って来る。
だから嫌いだ――と、公務員でありながら公務員を罵倒する父の姿を思い出した楓太は、一歩前に出て、
「いいよ」
と答えた。
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