そして、当然の如く力を揮う

 戦域。

 十数年前に、数名の異能者達が力を結集させて開発、創り上げられた異空間。


 文字通り異能を存分に解放して戦うための領域であり、街の役場で設けられている能力操作試験で合格した一五歳以上の人間なら、合い言葉を入力し次第、誰でも使用出来る。

 能力は使いたい放題。その場で致命傷を負おうとも、戦闘が終了した際に完治しているため、死という決着は存在しない。


 普段は存在しない空間だが、展開と解放の号令により、異空間に創り上げられる。


「そう言えば、聞いてなかった……名前」

「噂聞いてたんじゃなかったの?」

「名前までは、伝わってない」

「名乗る必要は無いわ。後で否が応でも知るから! 次に出すビデオのタイトルにしてあげる! あんたと、あんたの彼女の名前も含めてね!」

「それは叶わない」

「『俺が勝つ』って言いたいわけ? 生意気なんですけど!!!」


 圧縮された風が、大砲のように打ち出される。

 まともに受ければ、人の体など軽々と吹き飛ばされるだろう風圧の砲弾が楓太に迫り、実際に楓太の体は吹き飛ばされた。

 が、楓太は何事もなかったかのように空中で態勢を立て直し、着地。灰色の前髪の下で光る青い双眸にて、自分が吹き飛ばされた距離を女の位置から見て、威力を計る。


 喧嘩を売られた方であると言うのに、冷静だ。

 過ぎるくらいの冷静と平静が、女の気分を逆撫でた。


 突き出した五指の先から、銃弾サイズの風の弾を乱射。見えない風の弾幕が、楓太に接近を許さず、狙わずして偶発的に当たる弾が、ジリジリと楓太の体力を削って行く――と言うのが、女の算段だった。


 が、楓太は突っ込んできた。

 見えない弾幕など恐れる事などないとばかりに、平静を保ったまま走ってくる。

 灰色の前髪の下、青々と輝く瞳の中央に据えられた藍色が、さながら勝利を確信しているかのような強迫観念を呼び起こして、女に乱射をやめさせ、楓太に攻撃を集中させた。


 が、そんな事をしたところで意味はない。

 弾幕が張られようと攻撃が集中されようと、楓太は自らが風と化したかのように縦横無尽に駆け巡りながら、確実に距離を詰めていく。


 直接触れなければ発動しない能力なのか。

 それとも能力は高速移動に限られ、攻撃手段は近接戦闘しか持たないのか。

 はたまた攻撃手段はあるものの、冷静さを奪うために敢えて接近して来ているのか。

 楓太に関する情報の欠如が多過ぎて、女はどれとも判断出来ない。自分がジワジワと見えない攻撃で追い詰め、嬲り殺しにするつもりだったのに、ただ距離を詰められるだけで精神的に追い詰められていく。

 それも楓太の狙いなのか違うのか。やはり判断するには、材料が足りな過ぎる。


 そうして迷っている間にも、楓太は風の隙間を縫うように掻い潜って迫り来る。

 確実に迫られ、着実に距離を詰められる圧迫感に圧し潰されそうになった女は、判断を誤った。少なくとも今ここで、自らの視界さえも封じられるような風の砲弾を撃つべきではなかった。


 結果として、軽率な判断だった。

 彼女を護るどころか、むしろ塞がれた視界の盲点を突いて迫り来る楓太の手が魔の手に感じられるほど、自らの恐怖心を煽る形になってしまった。


 首を掴まれ、軽々と持ち上げられる。

 身長差はそこまでなかったから、楓太は目一杯腕を伸ばして持ち上げているはずで、頑張ればつま先くらい地面に付きそうなものが、まったく届かない。

 何より首を掴む楓太の握力が尋常ではなく、呼吸がままならない。風の操作など行う余裕はなく、すぐさま現状を打開する事を求められた。


 が、首を絞める手を剥がそうとしても指が入らず、呼吸がままならないためにどんどんと抵抗するための力を、意識と共に奪われていく。

 足掻けば足掻くほど、もがけばもがくほど、一方的に苦しくなっていく。

 圧倒的実力差に、溺れていく。


「桔梗の可愛いところは、俺、だけのものだから……ごめん。君を許すわけには、いかない」


 異能力は、生まれ持った髪の色の濃さによって、その質を大きく変える。

 女は、生まれ持った緑色の髪と共に得た風の力で、今まで敗北らしき敗北を味わった事がなかった。


 攻撃にしろ防御にしろ、相手には風を感じる事は出来ても、捉える事は出来ない。

 舞い上げる塵や埃さえ、光の入射角度を風で調整して反射、屈折させて極めて見えにくくする事は難しくもなく、ましてや風なんて防御不能の災害を相手に、まともに対峙出来る相手さえいなかった。


 だが、今、この戦いにおいて初めて負ける。

 圧倒的なまでの差を突き付けられ、女は今初めて、完膚なきまでの敗北を知る。

 井の中の蛙は大海を知る事も出来ず、大海を前にして沈んでいく。自ら踏み出した足下にいた蛇に気付かず、丸呑みにされて消える。


 ボキッ。


 そんな、小さくも重々しい破裂音が最後に聞こえて、女は完全に意識を狩り取られた。


「終わった」

「ん」

「ありがと」


 戻って来た楓太に、桔梗は頭頂部の毛先をブンブンと振り回しながら出迎え、眼鏡を渡す。

 目玉が引っ繰り返り、口から大量の泡を噴いて失神している女の醜態に周囲が引く中、桔梗はチラッと一瞥を配り、


「殺した?」


 と平然と聞いた事で、周囲の緊張感を引き上げた。

 楓太もまた、冷静に自分がやった惨状を振り返って、小さく吐息して。


「殺してない。けど、殺したかったよ。桔梗を犯す、なんて言うから」


 と、桔梗に続いて周囲から一線を引かれる。


 さもわざとらしく、自ら彼女と同じ地点に立ったかのように。

 彼女を護るナイトと言わんばかりに、彼女の側を維持し続けようとしているようにも見えたが、やはり、素の感情をそのまま吐露しているだけのようにも見えて、周囲は恐怖を隠しきれなかった。


「……帰ろうか」

「えぇ」


 手を繋ぐ楓太がリードする形で、共に女を跳び超えて帰る。

 その場に残された他のクラスメイトが呆然と立ち尽くし、女が未だ白目を剥いたまま倒れていると、パン、と高い音が鳴った。


「はい。立ち尽くしていないで、解散を。後は私達で始末しておきますので」


 肩を出す形でブレザーを緩めに羽織った紫髪の女性が、いつの間にか女の側に立っていた。

 来れば絶対に気付けるだろう存在感を放っていたのだが、誰も彼女の到来に気付けず、彼女の能力故だとも思えないほど、頭の回転が鈍くなっている。


 目の前で泡を噴いて倒れている同級生が、いつか来るやもしれぬ己の未来を案じているようで、先の入学式での学園長の言葉と重なり、言動の一つ一つが遅れてしまうのだった。


 そんな彼らにまた、女性は高く響く拍手を鳴らして下校を促す。

 次はない、とでも言うような視線にまた一種の怖さを感じた学生らが、これ以上は許容量を超えると逃げる勢いで退散していった。


 自分と倒れている泡噴き女生徒しかいなくなった教室で、女性は疲れたように吐息する。


「淫行、売春疑惑のある生徒の指導に参ったつもりが、先を越されてしまいましたね……どうしましょうか、一先ず……」


 と、女性は自分の豊かな膨らみに手を入れ、妖しく、タブレット端末を取り出して見せた。

 ただし、自分自身で無人にしてしまったので、見ている者はいなかったが。


「……もしもし? こちら、風紀委員の恋城寺れんじょうじ愛美まなみです。くだんの売春疑惑の新入生を招き入れたまでは成功したのですが、どうやら先を越されてしまったようで――いえ、相手とは出くわしてません。もう退散してしまったようです……えぇ、はい。はい……わかりました。ではまず、犯人捜し――あぁ、犯人はこの子でしたね。では、犯人に泡を噴かせた犯人を、捜すと致します」


 ――その頃の二人。


 パン屋の前で止まる桔梗。

 ガラス越しに見える焼きたてのクリームパンを凝視する桔梗と、クリームパンとを交互に見る楓太の脳内で、おそらく起こり得るだろう未来を想定。


「あらあらまた買って来たの? もう……そんなにクリームパンばかり食べてると、出したくないところが出ちゃうわよ?」

「出ないもん……出ないわよね? 出ないよね……フゥ太」


 熟考。


「……一つだけ買って、半分こしようか」


 嬉しそうに毛先を振る桔梗を見て、やっぱり一個ずつ買ってあげたい気もしなくはなかったが、桔梗が叱られないためにも我慢して、一個だけ買う楓太であった。

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