千古の胸懐 〜師匠の恋愛、成就させたい弟子〜

とまと

回春

 部屋の中をセッセと動いて回る青年の姿。


 暖炉に追加の薪をくべ、外からの冷気が入ってこないように、部屋の中を暖める。冷たい水を鍋に入れ、暖炉の火を使いお湯を沸かす。カサカサと布団の擦れる音がして、ベットで横たわる老女が小さく声を出す。


「ノクス……」


 老女は幾重にも重ねられた布団から手を出し、青年を呼ぶ。


「師匠!」


 ノクスは師匠の側に駆け寄り手を握る。


「ノクス、側にいておくれ。私は病気じゃないんだ、何もしなくて良いんだよ」


 何かをしていないと落ち着かないノクス。何も出来ることがない不甲斐なさから、涙が溢れてくる。


「師匠、もう一度お考え下さい! 師匠ほど魔法を熟知し、深淵に触れた魔法使いはいません。何か方法があるはずです!」


 ノクスは懇願する、ここ数日は毎日のように頼みこんでいた。


「もう充分だよ、私は人より十二倍も長生きしてるんだ。心残りはあるけれど、それももう良いの」


 老女の心残り。禁術を使い寿命を十二倍に引き伸ばしても叶えたかった想い。それは世界に春を取り戻すことだった。


 千年前、突如現れた魔法使いにより、世界から春は奪い去られ、全てを閉ざす冬だけが残った。美しかった惑星テルースには、芽吹くことのない種が残され、終わりのない冬に人々は笑顔を失い、湖に張られた氷のように心を閉ざしていった。


 老女はどうにかして世界に春を取り戻したかった。


 書物を読み漁り、魔法の研究に没頭した。全てを捨て去り研鑽を積んだ。


 十の出会いと百の別れを経験した魔女は、千年経ったのち自ら編み出した魔法を行使したが失敗に終わっている。


 それからの一週間、老女は目に見えて生気が失われていった。寿命という名の死神が歩み寄り、そっと隣に立つ。随分と待たされた死神は、かすように老女から気力を吸いとっていく。


 ノクスは只々ただただ泣いていた。


「いいかい、よくお聞き。心を一つに、最後まで愛を信じるのよ」 


 魔法で最も強い想い『愛』、千年の時が彼女の感情を薄め、寿命と共に引き伸ばした為魔法は失敗した。そうノクスは考えている。


「あぁ師匠、貴女が本当の愛を知っていれば、必ず願いは成就されたはずです!」


「そうだねぇ……。すうっと喉を通る恋の匂いも、胸がきしむ愛の苦味も思い出せないが、……私の若い頃にはそういった感情があったかもねぇ……」

 

 老女はそう言葉にすると、何か思い出したのか、艶やかな笑顔になる。


「ノクス……。貴方は辛い環境で育ったのに、ちっとも心が汚れていない。その心があれば、闇の魔法に打ち勝つことが……出来るかも……しれな……い——」


「無理ですっ!! 師匠で駄目だったことを未熟な私が成し遂げるなんて! お願いです……、私の命を使って生き延びて下さい。そして今度こそ、……師匠の手で!」


 ノクスは師匠の手から力が抜けていくのを感じ取っていた。笑顔の残る顔から、すうっと血の気が引いていくのも、僅かに脈打っていた身体が、今は止まっていることも、全て分かっていた。


 分かっていた。


 ノクスはそれから三日間、師匠の食事を作り、顔を濡れたタオルで拭き取り、師匠の書いた魔法書を読んだ。


『美味しい』と聞こえ。

『ありがとう』と微笑み。

『楽しんで学びなさい』と語り掛けてくる。


 四日目の朝。ノクスは亡き師匠を大切に抱きかかえ、家の扉を開けた。


 朝日がもみの木の隙間から差し込み、サラサラと積もる雪を照らす。


 ノクスの喉を、すうっと冷気が通り、肺を満たす。真新しい風に全身が震え、久方ぶりの優しい空気がノクスを包む。


「必ずや、師匠の恋愛を成就させてみせます」


 ノクスは師匠に語りかけ、一歩前へ踏み出した。

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