人の好みは千差万別

 ノクスは紙袋を二つ抱え、ミレの元へと帰ってくる。


「本当に戻ってきた……」


 ミレはこの見たことも聞いたことも無い珍生物に、少しだけ興味が湧いてきた。


「お待たせしました。そこにちょうど良い公園がありましたので、そちらで食べましょう」


 ノクスは先立って歩き誘導する。とぼとぼと後を付いて行くミレ。公園にはパラパラと人がおり、みな様々な楽しみ方をしている。二人は空いたベンチに腰掛ける。大人三人がゆうに座れるベンチの端っこギリギリ、落ちる瀬戸際に座るミレ。ノクスはミレの行動の意味を悟り、直ぐ横に座る。アンバランスなベンチ。一言文句を言おうとするが、笑顔で差し出される紙袋に言葉が詰まる。


「……ありがとう、ちょっと今持っていないけど、お金はちゃんと払うから」


 ミレは珍生物に貸しを作りたくなかった。


「いえ、お金はいただきません。これは今日という素晴らしい日に感謝を込めて、私に奢らせて下さい。それに元を辿れば師匠のお金です」


 ノクスが今持つお金は、元々は師匠の所有物である金や宝石から得たお金だった。本来なら返すべきだろうと思うが、どう説明すれば良いのか分からず、多分受け取ってはもらえないだろうと考える。

 

 ミレはノクスの言葉が全く理解できない。だが短い付き合いだが対処法は何となく分かってきていた。『深く考えないこと』それに正直お金は殆ど持っていない。


「そう、ほんと素晴らしい日だとか私のお金だとか全く意味がわからないけど、食材に失礼だから頂くことにするわ」


「ええ、是非に。師匠の好きなフルーツと温かい紅茶です。熱いのでお気をつけ下さい」


 紙袋を開けると、紅茶とフルーツの甘い香りと、二切れの焼いたパンの芳ばしい香りが、鼻を通り胃袋へと落ちる。


(理想の朝食……)


 王都に来てから、節約の日々を送るミレ。スキエンティア魔術院に合格した際には、ご褒美に食べようと思っていた理想の朝食だった。何故ミレの好みを知っているのか疑問が残ったが、腹の音が考えを消し去る。


(考えてはダメ、感じるのよ、舌で……)


 欲望に負け、モグモグと食べ始めるミレ。


 時刻は午前九時、スキエンティア魔術院の方角から、時刻を知らせる鐘の音が響いてくる。一通り食材を堪能し、紅茶で喉を潤す。


「そういえば貴方は何年生なの?」


 ミレは温かい紅茶を両手で握りしめて、質問する。


「今日から入学する予定でした」


 ノクスは何事も無いように返事を返す。


「貴方新入生なの!?」


「えぇそうです、師匠と同じ十八歳です」


「同い年? 見えないわね。年上かと思ってた。ってそんなことより新入生なら、九時から式典が始まるんじゃないの!? こんな所で私と朝食を食べてる場合じゃないでしょ!」


 ミレは立ち上がり、ノクスに魔術院へ向かうよう促す。


「いえいえ、もう入学しません。師匠の居ない魔術院など、薪のない暖炉。私にとってはもはや意味の無い場所なので」


 柔らかい表情で紅茶を飲むノクス。


(考えたら負け、考えたら負け……んっ?)


「はっはぁーん、分かったわよ貴方の魂胆こんたんがね! そう貴方の目当ては私だったのね!」


 あまり回転の速く無い脳をフル回転させ、答えを導き出すミレ。


「えぇ、その通りです!」


 やっと分かってくれたことに喜ぶノクス。答えの返事が返ってきているのに気付かないミレ。


「凛々しい顔立ちに、スラッと伸びた手脚。泣いている女性に自然と出るハンカチや女性の好みを熟知した朝食。全て合点がいく……、そう貴方は新手の『ナンパ師』ねっ!」


 腰に手を当て、ビシッとノクスを指さすミレ。この珍生物の目的が判明し、脳内に『名探偵ミレ』が爆誕ばくたんする。


「あははっ! 『ナンパ師』ですか? それはとても愉快な発想ですね」


 師匠の思わぬ一面に、つい声を出して笑ってしまうノクス。


「笑っていられるのも今のうちよ。確かにこれ程の美少女は、そうそうお目にかかれないでしょう。惚れてしまう気持ちも分からなくはないわ。でもね! 目的が分かった以上、この身体には指一本触れさせません! 残念だったわねっ」


 勝ち誇り、高笑いするミレ。


「いえいえ、それは有りえません」


 ありえないの答えにムッとするミレ。


「フンっ、今更誤魔化そうたって遅いのよ!」


 がすまいと問い詰める。


「師匠のことはとても尊敬しています。それにカリアンドラのように美しい髪も、マリガーネットのように力強い瞳もきらびやかで素敵です」


 思わぬ反撃に脳がユラユラと揺れ、血液が顔に集まる。


「ですが、好みではありません。私の好みのタイプは、しゃがれた声に、深みのあるしわみそぎ落としたように真っ白な白髪はくはつと、研鑽けんさんを積み、固くなった手のひらを持つ女性です」


 ノクスは千年後の師匠を思い浮かべ、笑顔になる。


「えっ? でもそれって……お婆ちゃん?」


 ノクスは頷き続ける。


「はい、百歳を超える女性がタイプです」


 完全に脳が停止する。自分の推理がハズレ、しかも身体が目当てのように言ってしまった己を恥じるミレ。顔に上がった血液が、ストンと足元まで落ちる。


「今の師匠では若すぎます」


 柔らかく相手を傷付けるノクス。


「じゃ、じゃいったい何が目的なのよっ!」


 考えるのをやめる名探偵ミレ。


「私の目的は一つ。師匠、貴女に素敵な恋人を見つけ、『真実の愛』を知ってもらいたいのです』


 あわれむような悲しむような微妙な表情になるミレ。


(この珍生物、ぶっ飛んでるわ……)


 

 弟子の心師匠知らず、理解される日は遠い。



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