如月

 —— ノクス…… ノクスッ!!——


 師匠の呼ぶ声が聞こえ、ヒエムス・ルナ・ノクスは深い底から意識を引っ張り上げる。


 背中に感じる雪の冷たさと、顔に感じるの光が、生きていることを教えてくれる。


 ゆっくりとまぶたを開く。久方ひさかたぶりに光を感じたのか、瞳を守ろうと瞼が抵抗する。そこは一面の雪景色、見渡す限りの雪原せつげんであった。


「師匠と住んだ森では無いな……」


 スクスクと伸びたもみの木も、師匠と過ごした草臥くたびれた我が家も見当たらない。だが年中氷の張った湖や、本を読んで過ごした大岩に見覚えはあった。どちらも姿形は同じでも、大層幼く見えた。


 ノクスは自ら行使した魔法の変化をゆっくりと確認する。成功する自信はあった。師匠の構築こうちくした理論とささげた師匠の亡骸なきがら、それに術者自らの寿命を十二の月を残し、捧げている。お釣りが来ることはあっても、足りないことはないはずだと。


( 残された時間は十二ヶ月……、まずは師匠を探さなければ)


 ノクスは身なりを確認する。師匠にもらった赤いストールを肩に巻き、上から星空のように青黒いローブを羽織はおる。手にはノクスと同じ歳の、若い白樫しろかしの木から作った杖。身体に目立った外傷は無く、視力も変わりなく遠くを見通すことが出来た。髪は相変わらずの癖っ毛で肩まで伸び、本人の意思に反してクネクネとウネっていた。前髪をつまんで視線の先に引っ張る。忌々いまいましくも白いままだった。ノクスの髪は夜のように黒かったが、何故か前髪だけは雪のように白かった。


 腰に巻いたベルトに袋があり、中身を確認すると大小様々な金銀宝石が袋の半分まで入っていた。


(これだけあれば、当分金には困らないだろう)


 闇の魔術師が現れ、四季から春を奪い去って以来国は崩壊し、ノクスの生きた千年先にこの時代の貨幣かへいは残っていなかった。そのため、研究用に残されていた鉱石を代わりに持ってきていた。


 ノクスは記憶を頼りに雪の上を南へとくだる。


( 確か千年前には、ふもとに村があったはずだ。まずはこよみの確認、それから師匠の現在地を調べなくては)


 ノクスは師匠の身の上話を聞くのが好きだった。


 優しい口調の師匠から聞く春は暖かく、抑揚のあるリズムから夏に思いをせ、しゃがれた声からは秋の寂しさを感じることができた。


(もし予定通り魔術が成功したのならば、今はフムス暦七百十六年の二の月のはず。この頃師匠はスキエンティア魔術院に入学し、二年目の学生生活を送っているはずだ)


 百八十六センチある長身のノクスは、脹脛ふくらはぎまで積もった雪をものともせずに、ドンドンと進んで行く。魔術成功の確証を得たい為、歩みは段々と速くなり、積もった雪がくるぶしの辺りまで減った頃には、け出していた。


 山の麓まで降りて来たノクスの目に、信じられない光景が飛び込んでくる。そこは雪が溶け、せっかちな春の花が芽吹き、大地に色をつけていた。


( 春がすぐそこまで来ている! なんて美しい景色なんだ……、だが何故?)


 鮮やかな春の黄色い花が、ノクスの蒼白い瞳すら溶かすように輝く。しかしそれと同時に一抹いちまつの不安な気持ちが押し寄せる。


「まさか時をさかのぼり過ぎたのか? 予定ではすでに、終わりの無い冬の世界のはず……」


 世界を冬に閉じ込めた悪の魔法使い。千年後に残った魔法使いの情報は少なく、女性であることと少しの見た目、それとノクスに忌々いまいましい運命を背負わせた『真名』だけであった。年齢や出身をしるしたこまかな史実しじつは残されていなかった。


( もしも時間軸がズレ、師匠が産まれる前に戻ったのなら私の残された時間では足りない。どうか、どうか愛を知ることが出来る年齢まで、育っていて下さい……)


 ノクスは天を仰ぎ、亡き師匠に祈る。


 麓の村を見つけ、急いで中へ入るノクス。入って直ぐの井戸にて、村民そんみんの老人が水を汲んでいた。


「ご老人! つかぬことをお聞きしますが、今はフムス暦何年でしょうか?」


 老人はおけから顔を上げ、いぶかしげにノクスの顔を見る、視線が一度瞳と合い、下から上へゆっくりとあがる。視線は髪の毛で一度止まると、また瞳へと戻る。


「なんだいあんた、旅人かい?」


 老人は初めて見るノクスに尋ねた。ノクスは視線を落とし、顔を背ける。千年後の人間と同じで、ノクスの容姿をきっと責めるだろうと思い、心が怯えてしまう。


「……はい。見聞けんぶんを広める為に世界を旅しています」


 嘘で答えてしまう。明らかに旅人には見えないだろうと思い、逃げ出そうかと迷う。


「そうかい、あんた学者か魔法使いかね。それにしても見聞を広めようって人間が、こよみも忘れちゃ先が思いやられるなぁ。今はフムスれき七百十五年の二月だよ、ついでに日付は十四日」


 パッと顔を上げ、目を見開くノクス。口元に自然と笑みがこぼれる。


( 良かった! 丁度一年ズレただけだった。だったら師匠の居場所はハッキリしている!)


 ノクスの表情に一瞬驚く老人。


「そんなにこよみを知れたのが嬉しいのかぇ? 変わった人だねぇ……」


 ノクスは一言老人にお礼を述べ立ち去る。


( ここからスキエンティア魔術院のあるサルトゥス王国まで、急げば一ヶ月で着く。上手くいけば入学試験に間に合い、師匠の同級生として生活できる。そうなれば私の目的も達成しやすいだろう」


 雪解けの道を、西に向かって走る。師匠のいるスキエンティア魔術院に、志を抱きい足を動かす。

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