奴を消せ!
大河かつみ
(1)
車を走行中、俺は奴の存在に気づいた。ワンボックスカーの後ろの荷物スペースから確かにカサカサという音が聞こえてきた。厄介な事に高速道路を運転中だった。嫌な予感がしつつも今更、高速を降りたくはなかった。既に日が暮れており少しでも早く会社に戻りたかった。
(まだはっきりした訳ではない。)そう自分に言い聞かす。
しかし、淡い期待は次の瞬間、もろくも崩れ去った。奴は空の助手席の背もたれの左裏から不意に現れたのを横目ではっきり確認した。先程、業務用小型冷蔵庫の入れ替え工事をしたのだが、おそらく積んだ旧い冷蔵庫のモーター部にでも潜んでいたに違いない。このワンボックスカーに奴と俺だけがいるのか。
「マイッタナ。・・・」
俺は奴が大の苦手なのだ。どうして、ああも奴らは気色悪いんだ。黒光りした身体に俊敏な動き、急に羽を広げて飛ぶ恐怖。大の男の俺だがリビングなどで急に現れた時は思わず飛び上がってしまう。流石に女房、子どもがいる時は平静を装うが本当のところは悲鳴を上げて家から出てしまいたいぐらいだ。その様な訳で、自らスリッパなどで叩くことなど、とてもじゃないが怖くてできない。駆除するのは女房に任せている。女房はキャアキャア悲鳴を上げながらも気丈にスリッパなどで叩きつぶしてくれるのだ。我ながら、つくづく情けないと思うのだが、男だって生理的に怖いものは怖いのだ。文句あっか!
でも、今はその女房殿もいない。もしも、奴が俺に向かってきたら?さらに俺の身体に這いまわってきたら?そんな事でもあったら俺はたちまちパニックになってハンドル操作を誤り、よその車や壁に激突し、大事故を起こしてしまうに違いない。それだけはなんとしてでも回避せねばならない。自分ひとりでこの難局を超えなくては。どうする?どうする、俺!
(2)
俺だって奴が怖いが、奴だって人間が怖いに違いない。きっとやみくもに動かないに決まっている。そうだ。鼻歌でも歌おう。やれる範囲で片腕をぐるんぐるん回してみよう。どちらも威嚇になるはずだ。そうすれば奴は警戒して隅に引っ込み、じっと大人しくしているに違いない。そうしてそのまま会社に戻ればいい。旧い冷蔵庫を降ろすのに誰か後輩に手伝わせ、その時についでに始末してもらおう。
そう考え俺は適当に鼻歌を歌い、右片手ハンドルで運転しながら空いた左腕をぐるんぐるん回してみた。すると奴はサササと機敏に動き、なんと俺の方に向かってきた。
「うそっ!」
俺は慌てて身体を右ドアのほうに反らした。威嚇されたのは俺の方だった。
奴はそのまま背もたれをあちらから、こちら側に渡りきると、そのまま右側面を這い、背もたれの後ろ側に廻り込んで視界から消えた。その間、たった数秒だと思うが、俺の目線のかなり近い所を通過したせいもあり、恐怖のあまりスローモーションのように長く感ぜられた。
とは言え視界からいなくなったのは良かった。張り詰めた緊張が一気に緩和された。このまま大人しく会社まで共存していこうじゃないか。そう奴に言いたい気分だった。
(3)
次のサービスエリアを超えれば、直ぐにAインターだ。そこで高速を降りればほんのニ十分程度で会社に着く。もう少しだ。もう少し大人しくしていろよ。いいな。分かったな。
そう念じながら運転していると信じられない展開になった。なんと奴は天井にいたのだ!しかも俺の真上に。・・・
「マジかよ。」
一気に血が逆流した。上目遣いで奴を確認する。身体が硬直し、ハンドルを持つ手が震えた。すると突然、大きなクラクションが後ろから鳴った。
「あっ!」
俺は無意識にブレーキを踏んでいたのだ。大きく減速したので後続車が慌てて右に車線変更して抜いていった。間一髪、追突こそしなかったが、クラクションに驚いた俺は、後頭部や背中全体を座席の背もたれにぶつけた。その振動で、あろうことか奴は俺の頭の上に落ちてきたのだ!
「ひえっ!」
反射的に頭にいる奴を左手で払いのけたが、落ちる前に奴は羽を広げプーンと羽音を立てて飛び始めた。
「きゃ~きゃ~!」
乙女の様な悲鳴を上げる俺。奴は俺の顔の前を右に左に飛び、そのたびに俺は頭を振りながらよけ続けた。
この状態でまともにハンドル捌きを出来る訳がない。いつの間にか車は左の路肩に向かって流れていく。
(ぶつかる!)
そう思ったが、丁度サービスエリアに入るレーンに入り奇跡的に側面をぶつける前に体勢を立て直した。
奴は俺の左足の膝上にとまりやがった。悪寒が走り、気が遠くなりそうだったが気力でハンドルを握り右足でブレーキを踏みながら徐々に減速していった。奴は俺の左足の太ももで動きを止めている。これ以上、俺の身体を登ってこない事を願った。
「落ち着け、落ち着け。大丈夫、大丈夫。」
そう呟きながら駐車スペースに止めた。
俺はインパネからダッシュボードを観察し何かないか探った。煙草の火をつける為のシガレットライターが目に入った。俺は奴を刺激しないようゆっくりと左手でそのシガレットライターを外し、そうっと太ももにいる奴の上に持っていき照準を合わせた。
「神様。・・・」
ゆっくり熱源を奴に近づけ、そして一気にその背中に押し付けた。奴がビクッと反応した。足をバタバタさせ抵抗する。
「ひいぃ!」
思わず目を瞑った。奴の羽の焦げる匂いがした。
「神様、神様。・・・」
奴の背中に尚もシガレットライターを押し付ける。
奴の狂ったような六本の足の動きによる感触を太ももに感じ、気絶しそうになりながらも心を無にして耐えた。やがて動きが鈍り、とうとう奴は動かなくなった。
そーっと右手でドアの取っ手を引き、身体全体をドアにぶつけて外に飛び出した。スタントマンの様に路上に二、三転して仰向けで止まった。そうっと目を車の方にやるとその途中の地面に焼死した奴の身体とシガレットライターがあった。
「終わった。全て終わった。」
そう呟くと俺は脱力し自然に高笑いした。周囲で他のドライバーたちが(何事か?)という感じで俺を見つめていたが、構わず俺は笑い続けた。
そのままサービスエリアで温かいコーヒーを買い、車の中でしばらく休んだ。放心状態だったが、コーヒーを飲んだおかげで徐々に気持ちが持ち直してきたようだった。満を持して再び車を走らせ高速道路に乗った。もう少しだ。もう少しで会社に着く。・・・
そう思った矢先、後ろでカサカサという音がした。嫌な予感がした。・・・・
そう。奴は一匹ではなかったようだ。
おしまい
奴を消せ! 大河かつみ @ohk0165
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