独り仲間外れで余るのは死ぬほど辛い
寂しかった。独り。好きな人同士グループになって、っていうよくある小学校のランチのグループわけは、いつも余っていた。ぽつり。余り物同士がくっつく。つまりクラスの嫌われ役と一緒のグループになる率が高いというかほぼ確定で、なんらかの嫌みを言われるのは必然。
辛かった。独り。修学旅行で皆が枕投げしているのを観察しながら私は布団にくるまって寝た振り、多分ばれていた。いや、絶対バレバレだった。
苦しかった。独り。学習発表会で私の番がきて黒板の前に立つと、足も手もガクガクふるえ、上手く発表できなくて、教室内がシーンとなる。誰もいない冬の波打ち際の砂浜みたいに侘しい空気になる。
小学生らしくなかった。独り。とぶようにうちに帰り、わんわん泣けばいいものを、人間、あまりに苦しいと、胸がつまって無表情になる。感情が抑圧され自分が何を感じているのかわからなくなる。
ただ、つまらないなあと思っていた。人間不振になり、世界が嫌いだった。
朝焼けが美しく、夕闇が切なく、星空が壮大であることなど私にとってはどうでもよかった。
小学三年で、わたしは死にたかった。
道路をぼんやりながめ、孟スピードでいきかう車を眺める。陸橋の上からここから飛び降りたらどうなるだろうと考える。
電車のプラットホームにたち、落ちてみたいな、と呟く。不健康だ。死を考える小学生、たかだか10歳。肌はピチピチしていて、エネルギーに溢れていて脳も発達しまくりなはずの10歳。
10歳が死にたいなんて、きっと大人にはわからない感覚だが、私の人生はこの時からずっと尾を引いている。私の根本は、暗いんだなと自覚した瞬間である。大人になっても、このころの感覚は忘れない。
死と隣り合わせの登下校。それでも不登校にはならなかったし引きこもりもしなかった。なぜかはわからない。多分、孤独に耐える強さも実は持ち合わせていたのかなと今は思う。
読書が、好きだった。みんなから相手にされない分、本の中の人と、コミュニケーションをとっていた。読書は、作者との対話である。作者の思考にふれ、私の楽しめるファンタジーの世界が、本の中には広がっていた。
そして読書をとおして、世界には、もっと不幸な子供たちがいる、ということを知った。
集団は苦手だ。仲間に入れない。人が誰もいないときの孤独と、人がいるのに感じる孤独とは質がちがう。後者のほうが深刻である。
誰もいないド田舎で、アルプスのよぼよぼのおじいさんと暮らすハイジ。大自然を駆け巡りヤギにエサをやり空中ブランコを乗りこなし、走り回って花を集めて遊ぶ。そういう孤独は健全だと思う。
だが、私の経験した孤独は違う。同い年の子達がいっぱいいるなかで、存在を消し、迷惑にならないように気を使い嫌われたくないとおどおどした結果結局誰からも相手にされないつまらなさの塊になった。
嫌われたくないから、深く関わらない。
個性が出せないから不満で不機嫌になる。
むっつりして笑顔がないから人が離れていく。
同い年のこは気を使ってはくれない。子どもというのは残酷で正直で興味ない人にはとことん冷たい。
私は、さびしかった。つらくて苦しくて死にたかった。消えたかった。
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