異世界-1

 俺の名前はかるま 天音あまね。18歳。現役高校3年生だ。

 ちゃんと高校に通っていたかと言われれば、そんなことはなく。欠席ばかりの不登校児だった。


 別に好きで不登校をやっていた訳では無い。

 学校に行ったところで相手にされるどころか「なんで来たんだ」とか、何もしていないのに「やだ、怖い〜」だとか周りからは言われる始末。

 普通に過ごしておけば何も言われないのに、なんでそんなことを言われるのかって? それはまぁ、色々とあってだな……。


 そんな不登校ライフを送っていた俺は今、色々あって高度10,000m上空にいた。


「嘘だと言ってくれぇぇぇええ!!!」


 その叫びは、文字通り虚空に消えた。

 なんで高度10,000mの上空にいるのかって? わからん。日課である神社の掃除を済ませ、日の出を楽しんでたらこうなってた。

 あぁ、夢なら早く覚めて欲しい。


 背中に感じる空気、全身が下へと引っ張られる感覚。覡衣装の袖がバタバタと音を立てており、さっきまで下にあった雲は今、自分の頭上にあった。五感全てが、自分は今、落下していると自覚させてくれる。


 全く、人間の五感ってのはすげぇよな。だって……ーー。


「ーーだって、認めたくない現実からどんなに現実逃避しても現実だと教えてくれるからなぁ!!」


 自分が混乱しているということは分かっている。

 だって、気づいたら変な空間にいたと思ったら、見知らぬ女に「あなたたちいらない」とか言われて、高度10,000mから落とされたんだぞ? しかもそれが夢ではなく現実ときた。混乱しない方がおかしい。


 あっそう言えば。俺以外に3人いたけど、さすがにアイツらも混乱してるんじゃ……。


 そう思って周囲を見回すと、案の定、あの場所にいた3人も落下していた。


 金髪美少年は、まるでスカイダイバーのように、大の字になって地面の方を真っ直ぐと見ながら落下している。

 着物を来た黒髪の男は、空中であぐらをかきながら腕を組んで落下している。

 あとは、間違いなくこうなる引き金を引いた軍服の男だがーーあそこに立っていた時と同じように、足を揃えたまま紅茶を飲んでいた。


 いやまぁ、あの時まるで慌ててなかったから、こんなことだろうと思ってたけどさ?


「あんたら少しは慌てたら!!?」


 そう大声を出すと、着物の男が腕を組んだままこちらを見てこう言った。


「そう慌てなさんな」と。


 いやいやいや、この状況で慌てるなというのが無理な話では。


「そうだよ。慌てることないよ」


 と少年は至って冷静な表情で言った。

 そうなのだろうか? 本当に慌てる必要ないんだろうか?


 そう思い、最後にこの中で1番呑気にしている軍服の男の方を見る。

 軍服の男は、飲んでいたティーカップを左手に持っていた小皿にカチャリと乗せると、ふぅと小さく息を吐いて口を開いた。


「こりゃヤバいなぁ」

「……ほぇ?」


 軍服の男の予想外の言葉に思わず、間抜けな声が出る。

 え、なに。めっちゃ余裕そうな顔してるのに? 大丈夫そうな雰囲気だったのに? そんなこと言っちゃうの?


「お前さん、よくKYとか言われない?」


 着物の男は、軍服の男のことを見ながらそう言う。

 着物の人、直球だな。


「けーわい? 聞かぬ言葉だな」


 と軍服の男は、首を傾げて眉間に皺を寄せながら着物の男に聞く。

 おっと、どうやら彼は知らないようだ。さぁ、どうする着物の人。


「空気読めない奴って意味だよ」


 まるで躊躇なんて知らないと言った表情で、美少年はそう言った。

 おやおや少年くん、けっこう辛辣だね。


「なるほど。それならよく言われたな」


 と軍服の男は顎に手を当てながら、真面目な顔で言う。

 あ、よく言われてたんだ。


「しかし、空気という透明なものを読めるのか? 我には見えないんだが……」


 軍服の人、そういうところだよ。……って、ん? あれ?この人、屁理屈とかじゃなくて結構ガチで言ってない?


「というのは冗談で。あえて空気を読まない方が面白かったりするだろう?」


 軍服の男は、そう言って不敵な笑みを見せる。

 あー、なんとなくこの軍服の人の性格分かってきたかも。あれだ、クズだわこの人。


「なるほど。そうやって他人の醜い感情を逆立てるのか」


 そう言ったのは着物の男。

 おっと、どうやら着物の人もそこそこにクズだったようだ。


「人同士の醜い争いは面白いよね〜」


 と笑顔で少年はそう言う。

 おやおや、もしかしてここにいる人達はクズばかりですかね。あ、ちなみに俺も人間同士の醜い争いは面白いと思う。だが、俺は断じてクズではない。健全な青少年だ。


「他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだよね〜」

「全くだ」

「ほぉ、良いな。その言葉」


 少年の言葉に着物の男は何度か頷く。軍服の男は、その言葉が気に入ったのか、何度か復唱している。

 ほんと、この言葉を考えた人は天才というか根っからのクズというか。人の本質を理解しているからこそ、生まれた言葉なんだろう。

 そんな、クズ同士の会話みたいなことをしていると、少年が何かに気づいて口を開く。


「どうやら、そろそろ地上のようだね」


 その言葉に下を見てみると、地上は緑に生い茂っており、地平線には山脈らしき青い山肌が連なっているのが見える。


「おぉ……」


 と、ついつい言葉を漏らしてしまう。


「……ぬ? あれは……」


 何かに気づいた着物の男は左の方を見て、そう呟いた。

 全員が着物の男が向くほうを見ると、そこには前腕が蝙蝠のような翼になっている蜥蜴のような生物ーーファンタジーを代表するあの生物が宙を飛んでいた。

 それはこちらに近づいてくると、真上を通過する。風圧が4人の身体を揺らした。


「すげぇ……!」


 現実では考えられないような光景に、目を輝かせる。本当にこれが現実なのだと。現実でよかったとそう思う。

 もう、あんな世界とはおさらばだ! 俺はこの世界で好きなように生きてやる!


 あの世界では絶対に味わえないような経験。そして、これからこの世界で経験するであろう様々な事に胸を躍らせる。




 が、その前に……。




 残念ながら異世界に心を躍らせている暇はない。何故なら、地上が刻一刻と近づいてきているのだから。

 今、時速何キロで落ちているのかは分からないが、少なくともこのままでは間違いなく死ぬことは明白である。


 さて、どうしたものか。"あの力"を使えばもしかすると……。


 などと考えていると、美少年が声をかけてくる。


「ねぇ」

「……ん? あ、あぁ」


 突然、手を差し出してきた美少年。俺は少し困惑しながらその手を掴んだ。


「あとは……近いのはあんただね」


 美少年は着物の男を見ると、同じように手を出す。着物の男は特に困惑することはなく、何も言わずに少年の手を掴んだ。


「あんたは……」


 そう言って美少年が見たのは軍服の男。


「大丈夫だ。まずは2人を」


 軍服の男は、ふっと笑みを浮かべてそう言った。

 少年は真剣な表情でコクリと頷く。


「……分かった」


 少年は2人の手を掴んだまま1度丸く蹲る。すると、少年の背中から蝶のような羽が生えてきた。

 それはまるで、教会にあるステンドグラスのような虹色の輝きで、1枚の羽の大きさは少年の身体の5倍はあるだろうか。その圧倒的な存在感と煌びやかさに目を奪われる。

 これには着物の男も驚いたのか、口を開けてそれを見ている。


 少年は羽を1度羽ばたかせると、真っ直ぐと地上を見つめる。


「軍服の人」

「ん?」

「あんたもちゃんと地上に降ろすから」

「期待しておこう」


 軍服の男がそう言って小さく笑うと、少年は2人の手を強く握りしめ、全速力で地上へと向かう。


 あまりの降下速度に、裾や袴はさっきよりもバタバタと激しく揺れる。さらには瞼や口がめくれる。

 ゆっくりと首を動かして着物の男を見ると、表情は真顔なのだが、俺と同じように瞼や口がめくれていた。

 少年はと言うと、何故か瞼や口はめくれてはおらず、真剣な顔で真っ直ぐと地上だけを見つめていた。


 やがて、木々の葉の形が見えるようになるまで降下すると、少年は羽を大きく羽ばたいて一気に速度を緩める。

 そして、俺と着物の男を先に地上に下ろすような形で、ゆっくりと地上へと降りた。


 地面に足が着く。

 俺は足の裏に地面を感じると、膝は言うことを聞かず、ぐにゃりと曲がった。


「あら?」


 予想外のことに、目を開いて驚く。


「仕方あるまい。あんな経験、普通はせんからな。現に儂もこのザマだ」


 着物の男はふっと小さく笑ってそう言った。着物の男も、俺と同じように地面に腰を下ろしている。


「それじゃあ2人とも、ここで待ってて」


 宙に浮かんだままの少年はそう言うと、再び上空へと急いで飛び立った。

 焦っているのだろうか。小枝や葉っぱが落ちてくることを見るに、半ば強引に木々の間を進んだのだろう。


 それから僅か10秒ほどだろうか、近くの木々がガサガサと音を立てる。

 もう戻ってきたのだろうか? 予想以上の速さに、俺は着物の男と目を合わせる。


 その時だった。突如、ものすごい速度で何かが2人の間に落ちてきた。土煙が俺と着物の男を包む。


「ゴホッゴホッ……な、なんだ……?」


 土煙を手で振り払いながら、何かが落ちてきた方を見ると、何やら影があった。

 着物の男の影かと思ったが、影の形からしてそれは無いだろう。


 突如強い風が吹き、土煙が掻き消える。

 そこには、まるでスーパーヒーローのように着地した軍服の男の姿があった。近くに少年の姿は見えない。


 軍服の男は何事もなかったかのようにスっと立ち上がると、軍服に着いた土埃をはたき落とす。


「あんた……」

「ん? なんだ?」

「……いや、なんでもない。それより、あの少年くんは?」

「あぁ、あの少年なら……」


 軍服の男は上を見ると、再び木々がガサガサと音を立てはじめーー焦った様子の少年が、木々の隙間から出てくる。


「あの軍服の人がいな……く……て……」


 少年は軍服の男の姿を見て、次第に声を小さくすると、顔を俯かせながら地面にふわりと降り立つ。虹色の羽は光の粒となって消える。


「……何も聞かなかった。いいね?」


 少年の言葉に、俺と着物の男は1度視線を交えると、小さく頷いた。


「……あ、あぁ」

「……承知した」


 そんな、少し気まずい空気をまるで読もうとしない男が1人。


「我ならここにいるぞ?」

「……」


 軍服の男に、少年は無言で拳を振り上げた。

 それを見て、着物の男は瞬時に少年を抑える。


「てめぇ! まじぶち殺してやるぅう!!」

「どーどーどー。落ち着いて」

「え、なに? もしかして我、また空気読めてなかった? これは失礼した! アッハッハッハッハッ!!」


 軍服の男は高らかに笑う。

 果たしてこんな連中とこの先やっていけるのかと、俺はクソデカため息を吐いた。

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