第13話 封印の代償

 封印から解き放たれたデュランのやりによって、クレアの身体がつらぬき飛ばされ宙を舞う──


 あまりの衝撃的な光景に、思わず目を奪われる。ゼギルが言葉を発しているが、耳に届いてこない。まるで時が止まったかのような感覚。


 クレアが死ぬ……!


 怒りに身をゆだねて瘴気しょうきを放っていた俺は、その衝撃で我に返った。


 ペトラに泣きついていたカリンにもそれは伝わったらしく。


 ──刹那せつな、カリンと目が合った。

 意志の疎通、アイコンタクト。


「カリン!!」

「──《天馬てんば内車うちぐるま》!──」


 察してくれたカリンの召喚獣に飛び乗り、空中でクレアを抱き止める。


「──《瘴撃波しょうげきは》──」


 振り返り、クレアに向けて一斉に放たれた攻撃を弾き返した。


退くぞ!!」


 瀕死のクレアを守りながら百人を相手にするのは不可能だ。ここは──いったん逃げるしかない……。


「ぐ……うぅ……ぁぁ……」

「《メルト・ヒール》!」


 クレアは腹をつらぬかれている。一刻も早く回復させなければ命が危ない。痛みに苦しむ顔なんか見たくない。


「逃がさないよ? お姉ちゃん……」

「──《大黒柱だいこくちゅう》──」


 ペトラの追撃か……!

 地面から、大量の虫が黒い柱となって沸き上がる。あっという間に上空の俺たちへ迫ってきた。


「──《内蔵うちのくら》!──」


 前に乗っているカリンが下方へ手を向けると、空中に巨大な門が現れた。勢いよく上ってきた虫の柱が、その中に吸い込まれてゆく。


「ごめん、ごめんねペトラ……! 必ずあとで助けてあげるからね……!」


 カリンの天馬が速度を上げる。これなら何とか振り切れそうだ。

 しかしここで逃げ切ってしまったら、どうなるか。悪魔の男、ゼギルのことだ。この魔族たちを使って民間人を襲いかねない。


 ……クレアを回復させて、戻ってくる。それしか──



「おかしいですな、アルフレッド殿」



 突如、無数の光の剣が地面に突き刺さる。魔族たちが一斉に立ち止まった。


「あ? 何だよもう帰ってきたのか、クリストフ」


 守護聖徒の第二位、か?


「あなたに教えて頂いた教祖ベルモンドの居場所。いざ向かってみれば、魔王軍から手厚い歓迎を受けてしまいましてな。これは一体どういうことですかな?」


「せっかくツアーに招待してやったんだから、もっと満喫すりゃ良いものを」


「どのようにして呼び寄せたのかは存じ上げませんが、こちらの魔族たちもほうむって差し上げましょう」


「百の敵を相手に、威勢の良いことだ」


「覚悟はよろしいですな。一騎当千、《千列せんれつ老師ろうし》──いざ参る!」



「ま、待って、クリストフ……!」


 カリンが天馬を急停止させ、振り返る。


 その瞬間。


 光の剣が、最前列の魔族たちに容赦なく突き刺さる。


 ──容赦なく。


「ぎぃああああああああ!」


 当然、ペトラも例外ではなかった。追撃の虫を操る手が止まり、代わりにゆっくりと膝をつく。地に倒れ伏した身体があっという間に血の海に沈む。


 ──遠巻きに見ても明らかなほどに、魔族として死をげた。


「嫌……」


「ペトラ……」


「いやあああああぁあぁあああ!」


 天馬から身を乗り出すカリン。転落する勢いだったので慌てて抱き止める。クレアの回復のために逃げなければならない現実と、戻ってやりたいという思いの狭間で揺れ動く。召喚主の激情に天馬も困惑している。


「やだ……うぅ……」


「うわああぁああぁああぁあああん!」


 昨日は馬乗りにしてもなお暴れ回っていた少女が、今は支えなければ崩れ落ちてしまいそうなほどに弱々しい。


 そっと抱きしめる。細い背中からは守護聖徒の肩書きを感じられない。ほおを伝う涙が、雨のように肩を濡らしてくる。しばらくみそうにない。



「……前へ、進んでくれ」


 天馬の背中を軽く叩いた。


 光の剣と黒い瘴気が交差する戦場から、遠のいてゆく。すまない、カリン……。





 俺たちは聖令都市オルセートの隣、歓楽都市カディノの外れの森へ降り立った。


「立てるか?」

「ぐす……ひっぐ……うん……」


 どうにか落ち着きを取り戻したカリンに手を差し伸べ、天馬から降ろす。


「《メルト・ヒール》」


 正念場はここからだ。クレアの回復に専念する。まだ油断できない状態、気は抜けない。


 隣でカリンも不安そうに見守る。クレアの瞳からはすでに光が消えかけていた。口をかすかに動かし、何かつぶやいている。


 またか。「ごめんなさい」は聞き飽きたぞ。前を向いて進むためにも、今は黙って大人しくしていてほしい。


「な、なに言ってんのよ……できるわけないじゃない……」


 クレアの呟きを聞いたことのないカリンが、耳をそばだてていた。

 できるわけない……? 何の話をしている。


 気になった俺はクレアの口元へ近づき、耳を傾けた。





……殺、して……」



 な……!


「なに言ってる……死なせない。絶対に死なせない。絶対にだ!」


 回復魔法に力を入れる。心も身体もボロボロに傷付いてしまったから、弱っているんだろう。せめて身体が元通りになれば、心だって……いや待て。


〝さあ、復讐の始まりだ!〟


 ゼギルはそんなことを言っていた気がする。仮に元気を取り戻したとしても、あの戦場に戻ったら……あの悪魔のもとに戻ったら。


 クレアの心は再び壊されてしまうかもしれない。


「……逃げよう……ここから。全部忘れて。やつらの手の届かない、どこか遠くの場所へ……」


 この子には、憎しみとは縁のない生活を送ってほしい。数日間しか一緒に過ごしていないが、心の底からそう思ってしまうほどには不幸が続きすぎた。


「ちょっと! やめなさい! やめなさいって!」


 ふと見れば、カリンがクレアの手を押さえている。──ナイフを握りしめた、クレアの手を。首を流れているのは涙ではなく、自傷の血。


「放しなさい! 放しなさいよ! これ以上、自分の身体を傷付けないでよ!」


 クレアはかたくなにナイフを手放さない。このナイフ、本当に役に立たない。


「そうだぞ、まったく……傷を増やしやがって。回復する身にもなってみろ──」


「ごふっ、こほっ、こほ……」


 クレアの口から血が流れる。プラチナブロンドの髪が赤く染まってゆく。


 な、なぜ……腕はカリンが押さえているはず……。まさか──


 舌を……噛み切ろうとしている……。


 本気だ……クレアは本気で死のうとしている。


「ば、バカ野郎! そんなことしても苦しむだけだろう……!」


 こうなったら、ドレインで力を奪うしか……いやダメだ。ここまで身体が傷付いた状態では、むやみに魔力を吸い取ることは死を意味する。


 そして、自ら死を選ぼうとする彼女に対して回復は意味をなさない。何とか死なせずに済む方法はないものか……。



 ……。


 くそっ……。


 クレア、許してくれ。


 いや、許さなくて良い。





慈悲じひ深き我らが主よ」



「な、なにやってんのクラウス……?」


 クレアの詠唱は何度も聞いてきた。もう完全に暗記した。

 しかも邪神の封印魔法ってことは、魔族の俺も当然使えるわけだ。



「願わくば、恒久こうきゅうの平穏を与えたまえ」


「やめてよ……」


 何が『逃げよう』だ。クレアはいつだって逃げずに立ち向かってきた。

 それに、この封印騒動も元はと言えばゼギルが俺を連れ戻しに来たのが原因だ。俺のせいなんだ。



「──《メル・トジコ》──」


「そんなことしたら、クレアが……」


 俺がかたをつける。それまで、どうか静かに見守っていてほしい。



「彼の者を──封印せよ」


「……クレアが魔族に堕ちて、アンタが恨まれるじゃない!」


 封印魔法の目的は憎しみの増幅だったか。俺に向けられる分には構わない。クレアが死を選んでしまうよりはずっと良い。瘴気は俺が押さえ込もう。どうにかして。……どうにか、して……。


 クレアが強烈な光に包まれてゆく。


 目の前に、ほのかに青白く光る墓が出現した。


 触れれば内側が透けてしまうんだったな。痛々しい姿からは正直、目を背けたい。

 ……我ながら最低だな。カリンも引いていそうだ。

 すぐに手をかざし、ペンダントサイズまで縮小させる。



 が、そこで強烈な吐き気と目眩めまいに襲われた。


 ──思い出した。


 封印の反動。


 クレアが吐いてしまったこともある、あの反動。


 だが今なら分かる。これは反動なんかじゃない。


 封印の▪︎▪︎


 身体的ダメージではなく、▪︎▪︎的負荷。



 ──クレアの▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎……!



 ──



 ────



 ──────


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る