第5話 勇気の犠牲

 マーシャに口を塞がれ、ナイフを突き付けられたクレア。


「お前も仲間だったのか、あいつの」

「あなたは殺すつもりだったのだけれど。私の仕掛けナイフ、どうやって防いだのかしら?」


 光の障壁に入り込んできたナイフは、こいつの罠だったのか。道理で読めなかったはずだ。


「もう一度、やって見せて?」

 ──瞬間、ナイフが俺の肩に突き刺さる。


「ぐっ……!」

 動作が早すぎる。さすがに判断が追いつかない。

「あらあら」


 マーシャは乱れた黒いマフラーを整え、再びナイフを手にしている。

 このマフラー、乙女のたしなみかと気にしていなかったが……。こうしてみると禍々まがまがしさを感じる。


 いや、そもそもこいつ、まるで人が変わったようだ……。見た目ではクレアとさほど変わらない若さなのに、何なんだこの落ち着きぶりは。


「……なぜ、あの大男を助けなかった? 最初から二人で攻めていれば……話が早かったんじゃないか……?」


「欲に目の眩んだ者は〝道〟を見失うもの。彼は彼なりに、役割を果たしてくれた。ちなみに──」


「そうしてあなたが時間稼ぎをしている間にも、この子の首にはナイフが突き刺さっていく。ゆっくり、ゆっくり。へびが獲物を噛みしめるように……ね」


「〜〜っ〜〜っ〜〜!」

 クレアのあかい瞳は恐怖で縮こまり、小刻みに震えている。苦悶くもんの表情は見るにえない。


「くそっ──」

「あなたが手を動かしたら、私も同じくらい動かしちゃうかも?」

 思わず手を止める。


「あなた、本当は▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎使えるんでしょう? その吸収魔法」


 ──二本目のナイフが反対の肩に突き刺さる。気付かれない程度に軌道を逸らしていなければ、今頃は心臓に……。


「……」

「たび重なる危機をその身で感じているはずなのに、あなたに焦りの表情は見られなかった。それはあなたが力を▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎ということ。

 そしてそれを知らなかったからこそ。この子は今、こんなにもおびえている。かわいそうに、信用されていないのかしら?」


 空気が張り詰める。まるで隙を見せないマーシャ。その黒い瞳は今まさに俺たちの命を握っている。


「そこまで熱い視線を送られていたとはな……不覚にも」


 最初から狙っていたのだろう。ジャルメラに絡まれる芝居をしつつ、俺たちを観察していたわけだ。だとしたら──


「この子は連れていく。あなたはここで、死んでちょうだ──」



「不覚にも俺は、▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎▪︎を好む男に見えたらしい」


「? 何を──はっ⁉︎」


 マーシャはとっさにクレアから離れようとするが、口を塞ぐ手が離れない。


「あああああああぁぁ! ぁぁ……」


「──設置式《ワーナー・ドレイン》──やっと効いたか」


〝封印は……任せたぞ〟


「……ぁ……初めに肩を……叩いた時、に……?」


 魔力を吸い取られたマーシャは、未練がましくクレアの背中をなぞり、倒れ込んだ。気は進まなかったが、念のために仕掛けておいて正解だった。


れ合いの苦手な俺がどんな気持ちだったか分かるか? 多大なるを犠牲にしたんだぞ」


 肩に刺さったナイフを抜き、傷を一通り回復させる。この女、あの大男よりもよほど危険なやつだった。


「はぁっ……はっ……ぅ……はぁっ……!」


 フラフラと座り込んだクレアはよほど動揺していたのか。首から流れる血を気にする以前に、いまだに目の焦点を合わせられずにいる。


「すまない。俺が魔力を分けた時に触れたせいで、罠の効果が弱まってしまったみたいだ」


 俺が手をかざして首の傷を回復させると、クレアは俺のローブにしがみついてきた。思わず後ずさりそうになったが、すぐに意図を理解した。昨日デュランに泣きついていた時の演技とはうってかわり、必死な様子がひしひしと伝わってくる。


 まだ二十年も生きていないであろう若さだ。あれだけ怖い目に遭ったのは初めてだったのかもしれない。とはいえ、物理的に励ます手段を俺は持ち合わせていない。何か声をかけるべきか。


「あ、足に力が入りません……」

 よく聞け俺、立てなかっただけらしいぞ。

「無理しなくて良い。少し休もう」


 俺たちは道の端に腰かけた。それにしてもこの道は人通りが少ない。少ないどころか、俺たち以外誰もいない。「近道なので」と選んだわけだが、とんだ足止めを食らった。いや、目的の相手は見つかったし別に良いか。


 ──問題はマーシャとかいうこの女。


 封印すべきかと思ったが、気になることを言っていたのでひとまず拘束している。仕掛けナイフはここでも有効活用させてもらった。仕掛けられていた場所を探って見つけたこのロープ、なかなか手頃な長さだ。両手を合わせられないようにしておけば、あの瞬間移動の能力は使えないはず。


 こいつの能力、おそらく制限がある。


 俺の目の前から消えたあの時、こいつは手を合わせていた。そう見せかけた可能性もあるが、だとすれば。ワーナー・ドレインの罠に掛かった時、すぐに瞬間移動で逃げなかったのはおかしい。手が吸い寄せられていたとはいえ、助走もなしに瞬時に移動できる能力なら、簡単に振りきれたはず。


 瞬間移動の発動条件は、『手を合わせること』と見て間違いない。


 そんなことを考えていると、隣に座っていたクレアがおもむろに立ち上がる。良かった、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。クレアがジャルメラの墓に手をかざすと、みるみるうちに小さくなる。


 向き直ってこちらに戻ってきた時には、首から天然石のペンダントをぶら下げていた。青白い色合いは、はかなげなプラチナブロンドの髪と黒いシスター服によく似合っている。


 ……えっ、今すごいことが起きなかったか?


 その墓、持ち運びできるのか……。


「クラウスさん、先ほどは……本当にありがとうございました」

 両手を重ね、心なしか震えた声で深々と頭を下げるクレア。

「災難だったな。こいつが目を覚ましたら色々と問いただしてやろう。それに──」


 と、続けようとした俺の言葉を遮って。


「大切なお願いがあります」


 意を決したように、何やら意味深な言葉をかけてきた。不意打ちを食らった俺は何の準備もできていない。


「アルカンテ大聖堂まで、一緒に来てもらえませんか?」


 これは……どういう展開だ?


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