ショートショートJAZZ
小倉麻未
ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET
「今夜ひま?」
彼からのLINEは、いつも突然で、いつも素っ気ない。
「ひまやで!久しぶりにあそこの中華食べたいわー」
すぐ近くに座っているのに、オフィスにいる私たちは、LINEじゃないと会話ができない。
「オレ残業だから」
ん?ご飯を作って待ってろってことなん?
「部屋を片付けといてほしい」
なんでやねん。
「今週末うちのがこっちに来る」
彼は奥さんのことを、“うちの”と呼ぶ
“うちの”と聞くたび、うちの何なん?そういう名前なん?って、少しイラッとする。
「悪い」
ほんま、相当悪い男やわ。
道ならぬ恋をするなら、単身赴任の男を選ぶのは、実は悪くない。
会える場所があるし、外食がちなのでデートもしやすい。相手にとっては知り合いが少ない土地だから、比較的コソコソしなくて済むと思う。
私たちのルールは、外出時には帽子をかぶること。私が忘れっぽいから、彼の部屋には私の帽子がいくつか溜まっている。
そんな風に気をつけているつもりでも、一度だけ、知人に声をかけられたことがあった。道の向かいから、私の高校の同級生が子供を二人連れて、きらきらと賑やかに歩いてきたのだ。
「あ、ひさしぶりやん!」
向こうが気付いたので、少しだけ立ち話。
「めっちゃ肌白いし、夏どこも遊び行ってへんの?昔から白かったもんなぁ、うらやましいわ。うちなんて、まっくろやでー」
色の白いは七難隠す。彼女には、隠すべき難がないのだ。
「日陰におんねん」
少し離れたところで待ってる彼にも、聞こえるように言ってやった。
含まれた意味に気付かず、友達はほなまたなーと、子供たちに手を引かれて去っていく。"息子は小さな恋人”なんて、言ったりするけれど。彼女には夫がいて、さらに小さな恋人が二人もいるのか。
日陰の女と、真っ黒に日焼けした日向の女。
友達のうしろ姿を、さぞ羨ましそうに眺めていたのだろう。
近寄ってきた彼が、優しい声で言った。
「今夜は焼き肉にする?」
なんでやねん。
結局、私たちは人目を避けて会うことが多いのだけど、私は彼の部屋が好きではない。
“うちの”が食器から家具まですべて同じブランドで揃えた部屋は、シンプルだけど味気ない。まるで“うちの”が『仮暮らしです』と、主張しているようだ。
実際に彼は、ほとんどの物を東京に置いたままにしている、と言っていた。趣味で集めているレコードの中でも、貴重なものだけ持ってきた、と。
ただ、彼は音楽が大好きというわけでもないらしい。
「貴重なレコードは、持ってるとそのうち価値が上がるから」
なんやそれ、へそくりみたいなもんなん?と聞いたら、ははは、本当に君はおもしろいね、と目を細めていた。その上品な笑い方に、私は惚れてしまったのだった。
そんな彼の部屋でひとり、“うちの”のためにダラダラと片付けをしていると、スルッとマグカップが手から滑り落ちてしまった。
「あ!」
全身の血がブワッと駆け巡り、毛が逆立つような不愉快な一瞬の中で、「人のものを壊したらいけない」という想いがよぎる。
不道徳なことをしているが、育ちが悪いわけではない。
なす術なく、そのままシンクに吸い込まれていったマグカップは、ポコンというまぬけな音を立て、パカンと綺麗にまっぷたつに割れた。
もっと気をつければよかった、と反省しそうになって、慌てて開き直る。そもそもなんで私が、こんな想いをせなあかんのやろ。
彼のことが、“うちの“のことが、なんだか猛烈に腹立たしくなって、ペアで揃えてあるもうひとつのマグカップに手を伸ばし、今度はわざとシンクに叩きつける。
ポコン、パカン。
ヴヴッと携帯が震えた。彼からのメッセージだ。
「悪いね。今度焼き肉食べにいこう」
せやから、なんでやねん。
私は別に、焼き肉が好きなわけじゃない。
きっと“うちの”が好きなのだろう。
時計を見ると、まだデパートが営業している時間だった。
さすがに人のものを壊したままにしておくのは、気が引ける。
“うちの”が好きなブランドの店を横目に通り過ぎ、別のお店で似たようなマグカップを探す。少し値段が高いが、まぁ、いいだろう。
たくさん使わせてもらったのだ。
熨斗(のし)を付けて、返してやる。
急いで彼の部屋に戻ると、新品のマグカップを2つ、食器棚に納める。台所に立つ人だったら違和感を覚えるだろうが、自分では何もしない彼は、ぜったいに気が付かないだろう。
バサッバサッと大きな音を立てながら、ゴミ袋に空気を入れて広げ、そこにどんどん物を詰めていく。
化粧水、乳液、洗顔、歯ブラシ、コンタクトレンズの消毒液、パジャマ、下着、もこもこ靴下、タオル、雑誌、少女漫画、塩と醤油とマヨネーズ以外の調味料すべて、そして、壊れたマグカップ2個。
もうぜんぶいらん。
どさっとゴミ袋を玄関に置き、靴を履いたところで「あ!」と思い出す。
身体を動かして火照っていたから、コートを忘れていた。
あと帽子も。本当はこれも捨てたいけど、ゴミ袋の口を閉じてしまった。
運の良い帽子とコートを片手にまとめてギュッと持ち、私は玄関のドアをどかんと蹴り開けた。
外灯の明るいほうの道を歩きながら、彼に最後のLINEを入れる。
「ゴミまとめた」「自分で捨てて」
携帯をしまうため鞄を開くと、彼の部屋から頂戴した貴重なレコードたちを確認し、目を細める。
週末はひまやし、レコード屋さんにでも行こうか。
そのあとは、友達を誘って中華を食べに行こう。
どうせあぶく銭や、パッと使うに限るで!
♪♪♪♪♪♪♪
『明るい表通りで』(訳:小倉麻未)
♪
コートと帽子を掴んで さあ いこう
イヤなことは ぜんぶ 玄関に置いて
足を一歩 踏み出せばいい
陽の当たる 明るい道のほうへ
♪
パタパタ ドキドキ 聞こえるでしょ
軽やかな足取りは まるで音楽!
ステキな人生が 待ってるから
陽の当たる 明るい道を行こう
♪
ずっと日陰を歩いてきた 不幸話の大行進
でも もう怖くない さ迷うのは 辞めたの
♪
たとえ一文無しでも
気分はすっかり 億万長者
靴のほこりだって 金ピカに光る
それが 陽の当たる 明るい道よ
ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET
Lyrics : Dorothy Fields
♪
Grab your coat and get your hat
Leave your worries on the doorstep
Just direct your feet
To the sunny side of the street
♪
Can't you hear the pitter-pat
And that happy tune is your step
Life could be so sweet
On the sunny side of the street
♪
I used to walk in the shade with my blues on parade
But I'm not afraid... This rover's crossed over
♪
If I never had a cent
I'd be rich as Rockefeller
Gold dust at my feet
On the sunny side of the street
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