こんな展開、聞いてない。~ボウリング同好会のゴタゴタ忘備録~
おじゃが
第0話 ボウリングとの出会い
「もぉ、できんよ」
そう言ってわぁわぁと泣いていた、幼少期の私。父は、そんな私を眺めながら、こう言った。
「腕は、真っ直ぐね」
言われるがままやっても、ボウリングの5ポンドでも重く、思うように投げられない。そんな泣き虫な私に、父は根気強く向き合ってくれた。
「投げるときは、4歩歩くんだよ。やってみな」
「うんわかった」
父とは、隔週でボウリングを練習していた。小1の頃から小6まで2ゲーム練習投げていた。最初はガター有りで何度も跳ね返り、ピンが当たることが嬉しくて何も考えずに投げていたが、ガター無しで真っ直ぐ投げることはとてつもなく難しい。習得するのに3年ほどかかると見ている。これほど深く、難しいボウリングを、父親は1つひとつ丁寧に教えてくれた。
「スパットを見るんだよ。7つある矢印のうち、右から3番目を見て投げるの」
小学校の6年間の間に私は、ガター無しで1ゲーム90点をいい時で取れるようになっていた。ボウリングを長く続けることで、スコアが上がっていくことが、私にとっての自信になっていったのだ。
結局、私はボウリングで父親のを超えることができなかった。父親のスコアは150点と一般人の中では上手い方である。しかし、200点を超える人もいるのだということ。オイルでボールの曲がり具合が違うということなど、大学時代にたくさんのことを学んだ。そして1レーンだけを使う「ヨーロッパ方式」が当たり前だと信じていたし、MY靴というボウリング専用の靴も父親のおさがりを利用していた。今はかわいいMY靴もあるようで、少し羨ましいが、ボウリングではたくさんのことを学んだのだ。
ボウリング場には自販機があり、ヨントリーの烏龍茶に出会い、ボウリング場に着くなり何度も父親に「欲しい」おねだりし買ってもらうのが楽しみで。少しほろ苦いのが絶妙にクセになった。ゲームセンターも隣にあり、m兄さんのゴーカートというゲームで遊べることも楽しかった。毎度200円払わないとできないが、父親はそんなおねだりも受け入れてくれた。今思うと、よくそんなおねだりを聞いてくれたなぁと思う。そんなボウリング場が大好きだったし、行きつけのボウリング場が潰れた時は本当に悲しかった。
あれから6年。私はずっとボウリングをすることもなく、中高生活をすごしていた。しかし、ボウリングを通じて大切な人と巡り会うことになる。
そんな私の物語を、私は誰かに聞いてほしい。それだけが願いだ。
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