プラガールとイカレスチックボーイ

たもたも

第1話 ロリジーサンとイカレテナイボーイ

 3月の終わり。未だに重ね着が欠かせない肌寒さの中で、ワイルドな俺は半袖で思案にふけっていた。といっても、総合スーパーの中なので温度は年中一定なのだけれど。


「スッポン……いや、やっぱ攻め過ぎか?」


 両手に持つのは鍋用のスープ。今日の予定を踏まえれば右手のスッポンが有力なのだが、下心の権化みたいなものを用意するのは気が引けた。かれこれ10分近く悩んでいる。その背中に、大きな影が落とされた。


「どうした、悩める少年よ」

「……急になんすか、おじさん」


 振り返ると、半袖半ズボンの見知らぬおじさんが仁王立ちしていた。ワイルドであるはずの俺はジーパンなので、おじさんの方が一枚上手ということになる。


「人を見かけで判断するとは、やはり君はまだ少年だな」

「おじさんはじゃないでしょ。結構体ゴツイし」


 がっちり肩幅と主張の控え目な顎髭。服装の不協和を除けば、20代後半か30代手前といったところだろうか。でないとすれば、お兄さんとおじさんの境目、センシティブラインに触れてしまったのかもしれない。


「いや、俺は今年で35歳。ムチムチの現役おじさんだ」

「嫌な響きだ……」

「健康ランドの帰りに、酒のつまみを買いにきた」

「さすがは現役、しっかりおじさんしてるんすね」


 おじさんは満足げに口角を上げて、視線を俺の手元に移した。


「鍋か」

「そうっす。彼女と鍋パするんで」

「いいじゃないか。俺も学生の頃に鍋パで彼女をゲットしたんだぞ」

「驚くほど要らない情報あざっす」


 ところで、俺はなんでこのおじさんと話を続けているんだろうか。彼女との鍋パの準備という幸せな労働を営んでいる最中だったはずだ。


 適当なタイミングで別れを切り出そうとしたが、それよりも先におじさんが口を開いた。


「昔はたらという魚のスープもあったらしくてなぁ。あと数十年早く生まれてりゃ、最高の酒のつまみになっただろうなぁ」

「……」


 2060年、地球の海から魚が消えた。マイクロプラスチック――プラスチックの塵により、食物網の繋がりは破壊されたのだ。2090年現在、生き残っている魚は地上で養殖されているわずかばかりの魚だけだ。とても高価なもので、一般家庭生まれの俺は魚というものを食べたことがない。


「まぁ、がんばりたまえ。大人の階段は険しく脆く、そして幻想的だ。酒でも飲まないとやってられんぜ」


 酒のことしか考えていなさそうなおじさんは、背中越しに親指を天井に向けて立ち去って行った。一体何だったんだ、あれは。


「……やべ」


 おじさんとの無駄話で余計な時間を使ってしまった。腕時計を確認すると、待ち合わせ時間までそう余裕はない。残り時間は髪のセットに使って、鍋の種類は彼女と決めることにしよう。


**


「結構良い感じじゃねーか!?」


 スーパーの清潔感あふれるトイレの手洗い場。ワックスでテカテカと光る髪は、我ながら良い感じにキマッている。昨日、夜通し動画サイトで予行練習をしていた甲斐があったかもしれない。


 興奮気味にサイドを鏡で確認したり、トップに遊びをつけていると、出入り口で動く小さな物陰があった。


 姿を現したのは小さな少女。西洋風の赤いドレスは、出入口の壁に擦れるほど幅が広い。少女はぺこりと頭を下げて、個室トイレに入っていった。


 少女は決して、男子トイレと女子トイレを間違えたわけじゃない。トイレの前には性別判定マットが敷かれており、生得性別以外のトイレには入れない仕組みになっている。つまり、あの少女は男なのだ。


「むしろ、とんでもねぇ年の爺さんの可能性しかないんだよなぁ……」


 地球から魚を奪ったマイクロプラスチックは、人間に対して多大な恩恵をもたらした。魚が死滅した2060年、とある会社が設立された。名はPK2。人間の体内に蓄積されたプラスチックを用いて、魔法のような再生医療を確立したのだ。それにより、人間は肉体的死因をほとんど乗り越えた。一部の富裕層のお年寄りは老いた体を捨て、プラスチックで新たな肉体を手に入れるようになった。ある人は若さを、ある人は遠い昔に諦めた欲を求めた。


「時間ねぇ」


 本格的に待ち合わせ時間が迫ってきていた。待ち合わせは少し遅刻した方が母性を刺激するのではないかと思ったが、わざわざ嫌われるリスクを取る必要はないだろう。


 使い切りワックスの余りをゴミ箱に投げ捨て、トイレを後にしようとした時だった。


 キイィン


 とても小さな音だった。それでも、プラスチックが吹き荒ぶ時代に生きる者は、誰ひとりとして聞き逃さない音。聞き逃してはならない音。


「……耳栓してくりゃよかったな」


 背後の非常ボタンを押すと同時に、個室の扉が吹き飛ばされた。中から出てきたのは、やっぱり赤いドレス姿の少女。先ほどと違うのは、目に光が宿っていないことと、肩からイソギンチャクのような太い紐――『ウィップ』が飛び出ているということ。


 緩慢な動きでこちらを見据えた少女、改め、プラスチックの怪人は、目にも止まらぬ速さで飛びかかって来た。

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