朱に交わると

@tenzituosusuki

朱に交わると

「それじゃあね、みかんちゃん! また明日!」

 雨の日の帰り道。

いつもの分かれ道で、そう言って駆けだすさくらちゃんに返事を返す。

さくらちゃんはそれに答えるように、大きく踏み込んだ片足を軸に体を軽やかに反転させると、後ろ歩きでこちらに向かって腕を振る。

「こけても知らないよーってほらー」

 案の定足を引っかけたさくらちゃんは、なんとかこけずに持ち直すと、照れたように頬をかくと、また駆け出して行った。

 黒、赤、青。行き交う人々の傘の色に混じるように、さくらちゃんのピンクの傘が小さくなっていく。

「もう、子供っぽいんだから」

 なんて、おねーさんぶってみるけれど、わたしだって人のことはいえない。

 もう見えるのは赤色だけで、ピンクの傘はもういない。

 わたしも帰るため、振り返って帰路につく。都合のいいことにほかに人影はない。

「―――♪」

 傘をくるくると回しながら、少し開けた口から歌声が漏れる。

 雨の日は好きだ。

 降り注ぐ雨粒が、傘に、地面に、ぽつぽつと音を立てて弾ける。

 その音につられて弾む気分が、気の向くままに歌い出しても、雨音が打ち消して誰かに聞かれることもない。

 ピチャンという音に、思い出したように足元を見る。

 お気に入りの、オレンジの長靴。オレンジ色は傘とお揃いで、ママにどうしてもってねだって買ってもらった。

 お気に入りだけど、雨の日にしか履けない特別な靴。

 ジメジメしていて、髪の毛もうねってなかなかきまらない。気を付けてもいつもびしょびしょになる靴の中。

 だからいっつも雨の日は嫌いだった。

 けどいまは、お気に入りを履ける特別な日。

 特別な日と思うと、前まではうるさかった雨音も、うっとうしい水たまりも、なんだか素敵なものに思えてきて、いまでは雨の日を楽しみにするようになった。

 そんなことを考えながら、チャプチャプと意味もなく歩いていた水たまりが終わると、また次の水たまりを見つける。

 ふと、先ほどのさくらちゃんの動きを思い起こして、ふふんと笑う。

「やっぱり、子供っぽいなんて笑えないな」

 少しだけ助走をつけて、トンッと軽く跳ねる。

 踏み込んだ右足が、膜を破るように水を弾き飛ばすと、そのまま体を一回転。

 眼の認識が追いつかない。風になびく自分の黒髪の隙間から覗く、形のぼやけた色だけの世界。

 こうすると、いつもの景色が違って見える。

 アスファルトの黒、レンガブロックの灰色、上から覗く木々の緑、そして———赤?

 瞬間、まるで土台が崩れたように視線が下がる。

「え? なに……ッ?」

 支えを失ったまま立っていられるはずもなく、わたしは水たまりに尻もちをつく。

「いたっ……くない?」

 水たまりの深さなんて、たかが知れている。そのはずなのに。

「なに、これ……」

 最初に踏み込んだ右足は、すでに膝まで沈んでいた。それだけじゃない、倒れたときについた残りの手足も、まるで底なし沼のように抜け出せない。

 そこでわたしは、こちらに歩いてくる人影に気が付いた。

「すみません! 助けてください! ここ、おかしいんです!」

 赤い傘をさしたその人影は、わたしの叫び声に何の反応も示さず、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 赤い傘の人影が目の前にくるまでの間に、わたしはもう胸元まで沈んでいたが、それを気にする余裕はなかった。

 女の子用の学制服。たしか、わたしが入学する近隣の中学校のもの。

 でも、それじゃない。そんなことはどうでもいい。

 鼻が曲がるほどの悪臭。まるで風船のように膨らんだ身体。傘を持つ、制服の袖口からのびた右手はパンパンに膨らみ、赤黒く変色している。 

 こわいこわいこわい。こんなの、人間じゃない。


 ◆


「―――ッ! ―――ッ!!」

 もう首まで沈み、涙を流しながら叫ぶ少女。

しかし、降り注ぐ雨音は、そんな少女の歌声を掻き消した。

 トプンッと、少女が沈み込んだのを見下ろしたソレは、赤い傘を捨てると、少女の落としたオレンジの傘を手に取った。 

「―――♪」

 傘をくるくると回しながら、少し開けた口から歌声が漏れる。

 オレンジの長靴で水たまりを踏みしめながら、少女は帰路について消えていった。


 赤い傘もまた、誰かと消えた。

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