泥棒アルド

かっぱかめ

第1話

「へ~い、らっしゃい!安いよ~!」

店先から顔を出した店主の軽快な声が辺りを飛び交っていく。

「今日も相変わらず賑わっているな」

ここは現代ガルレア地方の主要都市、王都ユニガン。町の北側には壮麗なミグランス城が聳え立ち、西にはカレク草原、東にはセレナ海岸が広がっている。

赤色屋根の家が軒を連ね、石畳に整えられた通りの傍らには豪華な街頭や色とりどりの花壇が並べられている。

そんな王都ユニガンを訪れた少年が一人。

凛とした黒色の双眸、きりりと伸びた眉毛にすらりとした鼻筋。自慢の黒髪はワックスで固めたのか見事に整えられている。

動きやすい様に青色の下着の上から肩あてのような赤いマントを羽織り、両手には金色に光る籠手を装着している。下半身は黒色でまとめ上げられており、地肌の露出はほとんど見られない。

そして何と言っても目を惹くのが、腰抱えた大剣の存在だ。

「そこの兄ちゃん、何か買って行くかい⁉」

「今は、遠慮しておくよ」

武器屋の親父が声を掛けるように、彼の容姿は紛れもなく冒険者そのもの。

そして実際に少年、アルドは時を旅する冒険者であった。

そんな彼に、この後あんな事態が待ち受けるとは――




「……おい、頼むよ~」

「何度も言ってるだろ。これはお前がするべきだ!」

太陽の光が真上から差し込むこの暖かい時刻、王都ユニガンをぶらぶらと歩いていたアルドは立ち止まり、声のした方向へと顔を向けた。

何やら隅の方で、2人の男が言い争っているようだ。

(なんだ……?)

気になったアルドがゆっくり近づいて行くと、男達もアルドの存在に気付いた様子。

「どうかしたのか?」

「どうもこうもねえよ。……そうだあんた!俺の話、聞いてくれないか⁉」

しょぼくれた顔を浮かべていた青髪の男の表情が一転、目を光らせてアルドの眼前に顔を近づける。

「あ、ああ……」

勢いに押されてつい首肯してしまったアルドは若干の不安を隠し切れない。

「おい!他人を巻き込むのは……」

そう言って青髪の男を静止させるのは、それまで言い争っていた黒い口髭が特徴的な男だ。一見すると青髪の男よりも年上に見えるが、2人は一体どのような関係性なのだろうか。

「デビットは黙っとけ!」

デビットと呼ばれた口髭の男を振り払い、青い髪の青年はアルドの肩をがっしりと掴む。

どうやったって逃がさないという強い気持ちがひしひしと伝わって来た。

「俺の名前はリトマって言うんだ。お前さんは?」

「アルドだ、見ての通り冒険者をしている」

「やっぱり!俺の思った通りだ!あんたを見込んで一つ、頼み事があるんだが……」

リトマと名乗った少年が白い歯を見せて不敵に笑う。

「冒険者さん、彼の話なんて聞かなくて――」

「おいデビット!俺が話してるんだぜ」

真剣な表情でアルドの傍まで近づいて来るデビットに対し、リトマは睨みを利かして追い返す。

「……」

デビットを押しのけて、再びアルドへと視線を向けるリトマ。しかめ面を浮かべるデビットをよそに、会話を進めて行く。

「肝心の頼み事についてなんだが……」

リトマがズボンのポケットに手を突っ込む。

そうして恐る恐る取り出されたモノは白色の便箋だった。

「その……、これをある女に渡してほしいんだ……」

これまで強気な態度を見せていたリトマがどこか恥ずかし気に言い淀んだ。表情を見ても、目はどこか虚ろで口元も緩んでいる。

ここまで来れば、流石のアルドだって見当が付くというもの。

「ラブレター、ってところか?」

「――んなっ!どうして分かった」

仰天といったようにリトマが目を見開く。

「えっ、そんなに驚かれても……」

「ま、まあ実際は、告白場所に来てもらう誘いみたいなもんだけどよ……」

リトマは恥ずかしそうに頬を掻いた。

なるほど、ラブレターそのものという訳ではなくとも、リトマの告白に関する手紙であることは間違いないようだ。

アルドは自身の考えを纏めるように小さく頷いて、口を開いた。

「そうか……なら、この頼みは受けられない。リトマが直接渡すべきだと思うぞ」

アルド自身、告白の経験が無いため偉そうなことは言えない。ただ、誠実さを見せないのは男としてどうなのだろうか、と思うところはある。

「やはり、あなたもそう思うでしょう!」

それまで静観を続けていたデビットが突如2人の間に割って入る。彼の考えもアルドと同じだったようだ。言い争いの理由はこの件についてだったのだろう。

「な、なんだよ2人して。仕方ねぇじゃねえか、恥ずかしいんだからよ……」

居心地悪そうにリトマは視線を宙に泳がせた。見ず知らずのアルドに頼むくらいなのだから、どうしても直接渡す決心がつかないのだろう。

「なあ、この通り!お願いだよ~」

両手を合掌させてリトマが上目遣いにアルドを見つめる。

「……」

無言のまま時が過ぎる――

このまま見捨てると言うのも忍びない。肩を落としたアルドは深くため息を付いた。

「はぁ……分かったよ。この手紙を渡せばいいんだな?」

話を聞くだけ聞いて断るのも失礼な話だ、とアルドは自分に言い聞かせた。それに告白の前段階だと言うのなら、少しくらい手助けしてもバチは当たらないだろう。

「ちょ、ちょっ――」

「流石!俺が見込んだ男だぜ!一目見た時からお前ならやってくれると信じてたぜ!」

デビットの言葉を掻き消す勢いで、リトマがアルドに飛びつく。

「……それで、肝心の相手というのは?」

先ほどから道行く通行人に白い目で見られていることを認識しているアルドは、出来るだけ手短に済まそうと会話を強引に戻した。

「ハルさん……に渡してほしい。今の時間だと……カレク草原に居るはずだ」

「カレク草原か……もう少し具体的な場所は分からないのか?」

このままでは広大なカレク草原を当ても無く探し回らなくてはならない。薄霧のかかっているカレク草原では猶更困難だ。

「う~ん……確か今日は、西側で採集する予定だったか……?」

「……そうか、助かる」

曖昧な答えではあったものの、情報が何もないよりは幾分かましだ。

「ところで、この手紙はすぐに渡さなければならないモノのか?」

ここまで聞いたアルドだったが、敢えてカレク草原に行って渡すよりも、町に戻ってきた時など、落ち着いた場所で渡すほうが確実と言うものだ。しかし――

「今すぐ、直接、渡してくれ!」

リトマはすぐさま喰いかかって来た。

「何か特別な理由でもあるのか?」

「占い師に占ってもらったんだがな、今日の俺は恋愛運が最高らしい」

「……それで?」

今のところアルドにはピンと来ない。

「だから今日を逃すわけにはいかないんだ!そして夕方に告白、これが絶対条件だ!」

拳を握りしめながら、リトマは高らかに声を上げた。

きっとそのような条件が適切だと占い師に告げられでもしたのだろう。

帰ってくることを待っていては、予定の時間を過ぎてしまう恐れがある。

それなら仕方ないとアルドはさらに話を進める。

「よく分かった。それじゃあ肝心なハルの特徴について教えてくれないか?」

何人もの女性がカレク草原でうろついているとは到底思えないが、聞いていても損は無い。

「あの可愛さは遠目でもすぐに分かるだろうよ。茶髪の可愛らしいポニーテールに整った顔立ち。腰に巻いた赤い――」

「ハハハ……」

そんなリトマの説明を最後の方は苦笑いしながら聞いていると、重々しい表情を浮かべたデビットがアルドに視線を送っていた。

リトマが自身の世界に入り込んでいる隙に、2人はひそひそと会話を始めた。

「どうしても、受けるおつもりですか?」

「……ああ、あのまま放っておく訳にもいかないしな」

デビットには申し訳ないが、今更撤回できるはずも無かった。

「……そうですか、分かりました」

デビットはそれだけ言うと浮かれた様子のリトマを残して、その場を去って行く。

対して、しばらく口を動かしたリトマははっと気が付いたように動きを止めた。

「そうだ!俺はもう一つ、告白の準備があるからまた後で合流な。門の前で待ってるぜ~!」

アルドに手を振るリトマは通行人にぶつかりながら帝都の石畳を駆けて行き――やがてその後ろ姿は人ごみに消えていった。

「嵐のような奴だったな……」

一人取り残されたアルドはもう一度手紙に目を落とす。そこには震えた文字でDr.ハルと記されていた。態度はどうであれ、彼の気持ちは真剣なものだろう。

「それじゃあ俺も行くとするか。確かカレク草原の西側と言っていたな」

手紙をバックへとしまい、装備の確認を手短に済ましたアルドは王都の西門へと向かった。




「ここら辺だよな……」

アルドはその場に立ち止まり、辺りを見渡した。

王都ユニガンとバルオキーの間に位置するここカレク湿原はその名の通り、じめじめとした空気が充満している。周りに生えている植物もシダ類やキノコなど湿気を好むものばかりだ。

そんな地帯を好きで訪れる者はやはり少なく、道中で出会った人物は相変わらず猫に餌をやっているシオンただ1人。

「もしかしてあれか?」

薄霧に覆われた視界に、茶色の髪が揺れた。腰を下ろしてただひたすらに何かの作業をしているようだ。

ゆっくりと近づいていったアルドは屈んだままの女性に背後から声を掛けた。

「ちょっといいか?」

「!……どちら様でしょうか?」

作業に熱中していたようで、不意に声をかけられた女性は肩をビクンと震わせた。アルドの方を振り向いた彼女の瞳はどこかぎこちない。

良く見ると女性は採集をしており、傍らに置かれた竹籠にはここでしか取れない希少なシード類が詰まっていた。

リトマの証言からしても彼女がハルに違いないだろうが、一応確認はすべきだ。

「えっと、あんたがハルで間違いないか?」

「え、ええ……私の名前はハルですけど……」

どうして名前を知っているのかという疑いの眼差しがアルドにチクチクと刺さる。

誤解を解くためにアルドは両手でぶんぶんと手を振った。

「安心してくれ、怪しいモノじゃない。これを渡してくれと頼まれただけだ」

アルドはリトマから預かった手紙を慎重に取り出してハルに差し出した。

ハルは手に持っていた採集物を籠に入れて、遠慮がちに腕を伸ばす。

「手紙、ですか……?」

女性は慎重に便箋を開き、中に収められていた手紙を一読した。

唇に手をあてながら、数回瞬きを繰り返すと――

「……あ、ありがとうございました」

ぎこちないお辞儀を繰り返したハルはもう一度手紙を読み返し、丁寧に便箋へとしまった。

「ああ、よろしく頼む」

リトマから受けた依頼はこれで無事完了。

これ以上言いたいことも無かったのでアルドは王都に戻ろうと踵を返した。

その直後だった――

「きゃっ!」

静寂の中に一筋の悲鳴が走った。その声の主は間違いなくハルだった。

「どうかしたか⁉」

アルドはすぐさま振り返りハルの下へと駆けた。

薄い霧の中、アルドの視界に真っ先に入ったものは、サファギンの姿だった。

深海のような青い体表に半魚人を思わせる特徴的な手足。そして何より、手に持った歪な斧によって不気味さが一段と増している。

その後ろではひときわ目立つ赤い色をしたひょうたん型のシルエット、ツルリンが2匹潜んでいた。採集物の詰まった籠へと懸命に蔓を伸ばしている。

回復を得意とするモンスターだ。今回のようにサファギン、他にはリチャードといった攻撃的なモンスターの傍に控えていることが多い。

威嚇するように斧をちらつかせるサファギンを前に、ハルは苦渋の表情を浮かべていた。

「おい、こっちだ!」

アルドは叫びながら腰に掛けたオーガベインを抜き出す。

「ギョッ!」

近づくアルドを目にしたサファギンは声を絞り上げた。

背を向けていたツルリンも異変に気付き、抱えていた籠を放り投げて戦闘態勢へと入る。

「手加減はしないからな」

前方に攻撃役のサファギンが陣取り、後方で回復役のツルリンが構える。

サファギンを攻撃しても逐一回復されてしまうのがオチだ。だからこそ、先に狙うのは後方のツルリン。

アルドはサファギンに直進。対峙すると見せかけ、斧を振り上げると同時に体をスライドさせる。誰もいない地面へと斧を振り下ろすサファギンの横を通り、ツルリンに一直線。

回復に長けた代償なのか、ツルリンの攻撃は弱くリーチも短い。2匹とは言え警戒する必要は余りない。

「「キュッ!」」

流石に予期していなかったのか、小さく声を発したツルリンの動きが止まった。

「ファイアスラッシュ!」

炎を纏い振り下ろされた斬撃は片方のツルリンに直撃。

「ギュッ――!……」

一瞬にして沈黙、灰と化す。

「ギュ!ギュギュッ!」

もう片方のツルリンは仲間を倒されて冷静さを取り戻したのか、敵対心を向けるかごとく全身の葉を尖らす。

どれだけ適わない相手と分かりながらも立ち向かってくるのは、モンスターたちの本能なのかもしれない。

アルドはもう一度剣を構えて息を吸った。

「ハヤブサ斬り!」

渾身の連撃は断末魔も挙げさせず、ツルリンの命を刈り取った。

「ギョギョッ⁉」

流れるような一連の動作にサファギンは素っ頓狂な声を発した。

振り向いたアルドと目が合ったサファギンは躊躇なく突進してくる。勢いよく振り下ろされた斧を剣で受け止め、返しの斬撃で一閃。

「ギョッ!」

絶命の声を残し、サファギンは地面へと倒れ伏した。

アルドは左手に持った剣を振り上げ回転。最後に後方へと振り下ろし、剣を鞘へと納める。

「す、すごい……」

控えめな拍手と共に感嘆の声がハルの口から漏れる。

「これくらいどうってことないさ。それより大丈夫か?」

「私は大丈夫です。本当に助かりました」

とりあえずダメージは受けていないようなのでアルドはほっと胸を撫でおろした。

「……あっ!」

深くお辞儀を繰り返すハルは何かに気づいた様子で声を上げた。そして道端で無造作に転がった採集籠の下へと小走りで駆けて行く。

「良かった……」

ようやく安堵の表情を浮かべたハルは籠を胸の前でぎゅっと抱きしめた。

「いつも一人でこんなことをしているのか?」

籠の中にはロートスやロートスシード、カーネリアンといった貴重な素材が詰め込まれている。そこら辺の花や草とは採集難易度の訳が違う。

長時間こんな場所に居れば、モンスターに襲われることは明らか。

まして彼女はかなりの軽装であり、今回のように標的となりやすいはず。

「危険だと言うことは分かっているんです……」

それでも続けなければならない理由がある、と言わんばかりの様子だ。

「けど安心してください。取ったものを見捨てれば辛うじて逃げることはできるので……」

モンスターたちにとって彼女の存在よりも採集物の方が優先順位は上なのだろう。

とは言えモンスターと遭遇すること自体が危険な事には変わりないし、何より苦労して集めたであろう素材を放棄しなければならないのは精神的に辛いことだ。

「誰かに見張りを頼むことなどは出来ないのか?」

ハルを守るガーディアンでもいれば、安心して採集に取り組めるだろうが――

「それは……厳しいですね。私に親しい友人なんていませんし、お金も無いですから」

自虐的に笑うハルだが、その笑みは程なくして消えた。

アルドも薄々気づいていたが、ハルは金銭的に苦労しているに違いない。だからこそ稼ぎを得るために希少な素材を集めているのだろう。

「そうか、俺が傍にいてやれたらな……」

アルドにも自分のやるべきことがある。いつもハルの護衛を引き受けることが出来るとは限らない。

「……」

「……?どうかしたか」

ハルは口を半開きにして、アルドを見上げていた。

「い、いえ!何でも……」

ハルは手のひらをぶんぶんと振って体を縮こまらせた。僅かに頬が赤く染まっているのが見て取れる。

「熱でもあるのか?」

「だ、大丈夫です!」

縮こまっていた体をビクンと持ち上げ、純真な視線がアルドに向けられた。

「そうか、でも無理はするなよ」

「……はい、心配してくれてありがとうございます」

こんな健気なところにリトマは惹かれたのかもしれない。

もう一度深々とお辞儀をしたハルは小さな笑みをこぼした。それは今まで見た中で、最も自然な微笑みだった。

「……あっ!」

「?」

アルドはふと閃いた。リトマがハルの護衛になれば万事解決するということに。

であれば猶更、二人の関係が上手くいってほしいものだ。

きょとんと首を傾げるハルにアルドは首を横に振った。

「いや何でもない。……それじゃあ、今度こそ気をつけてな」

小さく片手を挙げて、アルドは改めて帝都に向かって進み出した。門の前では今か今かとリトマが待ちあぐねている事だろう。それを思うと少し憂鬱になるアルドであった。

「……あっ、お名前――」

そんなことを考えていたためか、背後からの問いかけにアルドが気づくことは無かった。




「おお、やっと戻って来たか!」

予想通り、西門の前で待ち構えていたリトマはアルドの姿を見つけるや否や突撃。

デビットはリトマを見放したのか、どこにも姿が見当たらなかった。

「どうだった⁉」

「ああ、ばっちりだ。たぶん……」

何もなかったという訳ではないが、頼まれた内容はこなすことができた。

「ん?なんかあったのか⁉」

「いや!何もなかったぞ」

ここでモンスターの話を引き合いに出せば、リトマが騒ぐことは目に見えている。

アルドは何とか笑って誤魔化し、話題を変えようと質問を投げかけた。

「ところで、2人はどういった関係なんだ」

ほぼ初対面のアルドにとって、両者の関係性は未知の領域だ。

ハル自身は嗜虐的な意図もあっただろうが自分に親しい友達はいないと言った内容を口にしていた。であれば猶更、2人の関係性が気になるところだが――

「ああ、まあ……色々だよ、色々」

リトマは髪をいじりながら曖昧に言葉を濁らした。

「……ん?話したことはあるよな……?」

不安に思ったアルドが恐る恐る問いかける。

これほどまでリトマが奥手なところを見るともしや――

「当たり前だ!まあ、立ち話程度だけどよ……」

「……そ、そうか。変な質問をして悪かったな」

ここまで聞く限り、リトマが一方的に相手を慕っているようにも見えなくない。

しかし結果がどうなるかは分からないものだ。案外奥手どうし、相性が良い可能性だって十分考えられる。

ともかくアルドに出来ることはリトマの告白が上手くいくよう願う事くらいだ。

「それじゃあ、健闘を祈っているよ」

リトマの肩をポンポンと叩いてエールを送ったアルドが横を通り抜けようとすると――

「何言ってんだ、本番はこれからだぜ?」

又もや離すまいとばかりに、アルドの肩をがっちりと掴んだリトマが低い声色で囁く。

「……」

こうなるのではないかとアルドは薄々感づいていた。

「ここまで手伝ってくれたんだ!最後まで俺の雄姿を見届けてくれるよな?な?」

「あ、ああ……そうだな」

半ば強引に押された形で、アルドは頷いていた。

「流石我が親友!それじゃあセレナ海岸まで行くぞ!遅れずについて来いよ~」

嵐が去るかの如く、リトマの背中が遠ざかっていく。

「あのやる気をハルの前でも見せられたら良いんだが……」

微かな不安を胸に秘め、アルドはとぼとぼと王都の東側へ歩を進めた。




「――これは運気が上昇するお守り!そして何より、セレナ海岸のこの場所、この時間は告白が成功することで有名なんだ。だから俺の告白は100%成功する!」

「そ、そうか……。いい返事が貰えるといいな」

相変わらずの熱弁に対して、アルドも相変わらず当たり障りのない返しを添える。

セレナ海岸の最北に連れられてきたアルドはリトマと共に、遥か彼方の水平線を眺めていた。オレンジ色に染まった夕日は空の色を幾層にも変化させている。

潮風と共に、白百合の独特な香りがアルドの鼻孔をほのかにつつく。

正に幻想的、という言葉がピッタリの空間だ。

この雰囲気につられて告白の成功が上がると言う噂は強ち間違いでは無いのかもしれない。

「それで、俺は見ているだけでいいのか?」

告白の邪魔にならないよう、近づいて来るモンスターたちを牽制するくらいなら買って出るつもりのアルド。だがそんなはずも無く――

「アルドにもきっちり、働いてもらうぜ~」

そう呟いてリトマは右手に掴んでいたバックを見せつけるように胸の前まで掲げた。

「リトマ、顔が怖いぞ……」

じりじりと近づくリトマに、アルドが顔を引きずらせながら後ずさりする。

そして一歩、また一歩と後退して行き――

2人の体は巨大な岩石の裏側へと消えた。

「……おい、待て、何するんだ!」

「動くなよ、抵抗する権利はないからな!」

「分かった!分かったから!う、うわーー!」

セレナ海岸の一端にて、アルドの悲鳴が木霊した。

「……おいこれって、もしかして」

「へへっ、似合ってるぜ。本来はデビットに頼む予定だったが……これなら大丈夫だ」

顎に手を当てて、満足げな表情を浮かべるリトマは、出来上がったアルドの身体を嘗めまわすように見つめる。

白い手袋に黒い籠手。半袖の黒いコートに、同じく漆黒のズボン。そして頭にも真っ黒のバンダナが巻かれている。

「泥棒の服装じゃないか⁉」

水たまりに反射した自身の姿を直視して、アルドはいつの間にか叫んでいた。

「正解だぜ!」

リトマは面白おかしく口元を緩めピースを作っている。

「『正解』じゃないだろ!俺に何をさせるつもりなんだ!」

返ってくる答えがバカバカしいものだとは嫌にでも予想は付くが、聞かずにはいられない。

「待て待て、そう焦るな。きちんと説明してやるからよ」

腕を組んで岩石にもたれかかりながら、リトマはこう切り出した。

「アルドには俺たちを襲う真似をして欲しい」

「……」

初っ端から不穏な響きがしたがアルドはひとまず聞き役に徹する。

「計画はこうだ。まずハルと二人きりの状態で俺が合図を送る。そしたら泥棒に扮したアルドが勢いよく登場。襲い掛かって来たアルドを俺が退治。そして高ぶったムードの中で告白……成功」

「え、えっと……」

あまりにも唐突かつ膨大な情報がアルドの脳内を駆け巡る。

何から聞くべきなのか、どう突っ込むべきなのか、思考が上手く纏まらない。

「合図は俺が咳き込んだ時でよろしく!それまでは誰にも見つからないようこの岩場で隠れといてくれ。冒険者なら泥棒によく出会っているから真似するくらい朝飯前だろ?後はアドリブで頼んだぜ。それじゃあ俺は約束の場所に行ってくる!」

「あっ――」

手を伸ばしたが既にもう遅い。

リトマは岩場から飛び出して、告白スポットへと走り去って行く。

アルドも後を追おうと岩場から飛び出したその時――

「やばっ!」

反射的にアルドは元居た巨石に身を隠していた。

アルドの視界に茶色いポニーテールを揺らしたハルの姿が映ったからだ。

「見つかってないよな……?いやそんな事、気にしている場合じゃないぞ」

今は自身の置かれた状況を冷静に見つめ直さなければならない。

「えっと、俺は一体どうするべきだ?」

リトマが企んでいるこの計画は遠回しにハルを騙すことに他ならない。

一方で、彼女を守る人が傍にいてあげて欲しい、という思いもアルドは持っていた。そのため告白の成功率が上がるかもしれないこの計画に乗ってやる動機もあるにはある。

「……それでもやっぱり、俺は手伝う気にはなれないよ、リトマ」

誰に聞かせるでもなく、アルドの呟きがこぼれ落ちた。

くどいようだがアルドに告白経験は無い。しかしこれから付き合いたいという相手に対して、初めから騙すというのは何か違う気がした。

「えっと、来てくれてありがとう!」

どうやら二人が顔を合わせたようだ。例の告白スポットから今アルドが隠れている岩陰はそれほど距離が離れていないため、難なく二人の会話は聞こえてくる。

盗み聞きのようにも思えるが致し方ない。

(流石に今出て行くわけには行かないし、ここで待つしかないか」

今飛び出したらハルに怪しまれかねないし、二人の顛末を知りたいと思うアルドが居る。

告白が成功すればアルドの存在なんて忘れるだろうし、失敗した時はいくらでも愚痴を聞くつもりの決心を付ける。

「来てくれて、ありがとう」

2回も同じ言葉を繰り返す程、リトマの緊張が伝わって来る。

「あっ!はい、お手紙ありがとうございました」

「……」

「……」

そしてすぐさま沈黙が訪れた。

「……ここの景色、綺麗ですよね」

沈黙に耐えかねたのか、リトマが無難に切り出す。

「あっ、はい、私もそう思います」

お互いが距離感を掴めていない、そんなぎこちない会話。聞いているアルドもどこか恥ずかしかった。

そして先に本題へと突っ込んで行ったのは、意外にもハルの方だった。

「えっと、それで話というのは……」

アルドにも緊張の糸が走る。リトマの心中は語るまでも無いだろう。

「ああ、それのことなんだけど……ごほっ、ごほっ!」

ここでリトマの宣言通り、大袈裟とも思える咳が辺りに響いた。

それでもアルドは決して動こうとはせずに、じっと身を潜め続ける。

「大丈夫ですか?少し座って休んだ方がよろしいのでは……」

「え、ええ大丈夫、ですよ……ごほっ、ごほっ‼」

「……やはり座りましょう、ね?」

聞こえていないと思ったのか、さっきよりも大音量でリトマは咳き込む。

(許してくれリトマ)

心の中で願ったアルドは目を閉じて、ひたすらに時が過ぎるのを待った。

いつまでも反応が無いと分かればリトマも諦めて告白を開始するだろう。

そしてその決断はすぐに下された。

「……ハルさん!前から言いたかったことがあります。お、俺はあなたのことが……」

アルドの鼓動が激しく高鳴る。ぎゅっと目を閉じて、耳に意識を集中させた。

しかし、次に届いた声は、意外な人物からだった。

「おい、リトマ」

(えっ?)

リトマよりも渋い、落ち着いた声色。

岩陰から僅かに顔を覗かすと、声の主はやはりアルドの予想通りデビットだった。

だが明らかに様子がおかしい。この状況でリトマに声を掛けること自体が異常なのだから当然と言えば当然だが。

「ふぇ?」

腑抜けたような声を発し、リトマは全身を固まらせていた。何事かと振り返ったハルはすぐさま口元に手を運んでいた。

「あ、あなたは……」

「!ハルさん、もしかしてこいつと知り合いなんですか⁉」

デビットを指差すリトマへと振り向き直すと、ハルは遠慮がちに首肯した。

「おい、どういうことだ!」

リトマは腕を払って鋭く叫び散らす。対するデビットの表情は至って変わらない。

「聞かれなかったからな」

「ッ――!ハルさん、デビットとはどういう関係なんですか⁉」

ハルの肩をぎっしりと掴んだリトマは、これでもかと不満を露にしている。

「それは……」

ハルは俯いて、決して目を合わせない。それは明らかな拒否だった。

「言いづらいよな。告白を振った、なんてことは」

「……え?」

「……」

「……え?」

黙って眺めていたアルドもつい、心の声が漏れてしまった。つまるところ3人は三角関係にあったと言うことなのか。

「おいおい、まじかよ……」

小さな笑い声が漏れた。余りの超展開にリトマは笑うしかなかったようだ。

「お前と俺が知り合ったのは偶然、なのか……?」

「いいや、わざとだよ」

何事も無いかのように、デビットは淡々と問いかけに答えて行く。

「どういうことだよ⁉ちゃんと説明しろよ!」

「俺は諦めたかったのさ。ハルさんの好きな人がどんな人間か知ることでな……」

デビットが余りにもあっさりと話すために、言葉が耳を通り抜けそうになる。

しかし先の発言の中には重大な情報が込められていた。

「ちょっと待て……ハルさんの好きな人?え、つまり……俺が?」

デビットの発言を真に受ければ、そう解釈される。

いきなりのカミングアウトにリトマは髪を掻きむしる。いつもの調子なら喜んでいるだろうが、流石のリトマも整理が追い付いていない様子。

そんなリトマをよそにデビットは尚も続ける。

「ハルさんに告白を断られた際、言われたのさ。好きな人がいるから、とな。そこで俺は相手がどんな奴か調べるためにハルさんの周辺を調べた。そして唯一、プライベートで接点のあるような男はお前1人だった」

確認を取るようにリトマがハルに顔を向ける。

「いや、その……」

相変わらず目線を逸らして頬を掻くハルにリトマは目を見開いた。

「これは照れ隠し!間違いない……」

リトマは小さくガッツポーズを作り頬を緩める。雰囲気をぶち壊すような気味の悪い笑みを浮かべているが、付き合っている姿でも想像しているのかもしれない。

しかし空想の世界をデビットの言葉が打ち砕く。

「だが、俺は認めない!」

「……それはお前には関係ないことだろ?告白の邪魔だからとっとと離れろよ」

両思いだと分かったためか、リトマの口調が執拗に荒くなる。しかしそんな威勢にもひるむことなく、デビットはさらに口を動かす。

「ハルさん、こいつは告白もまともに出来ないような甲斐性無しですよ!俺に泥棒の真似をして襲うふりをするよう頼んできたくらいです。かっこいい所を見せたいがために、ハルさんに怖い思いをさせるような卑怯な奴です!」

自身の計画が暴露されリトマは酷く顔をしかめた。

「ハルさん、そんなことは……」

何とか言い訳を考えようとしているが、慌てた素振りを見せている時点でアウトだ。

「……今だって後ろに隠れていますよ。そうですよね、アルドさん」

突如名前を呼ばれ、アルドの肩がピクリと震えた。

デビットはおそらく一足先にセレナ海岸へと足を運び、2人の様子を遠くから観察でもしていたのだろう。

小さく唾を飲み込んだアルドは岩場から出て行き、黒ずくめの体を晒した。

「デビットの言うことは本当だ」

この特徴的な服装を目にすれば、否が応でもデビットの発言に信憑性が増すことだ。

「……くそッ」

苦虫を噛み潰したような表情でリトマがアルドへと視線を向けていた。合図にも反応しなかったため相当な顰蹙を買っている事だろう。

「その声は……あの時の冒険者さん!」

「……アルド、お前も知り合いなのか⁉」

射貫くようなリトマの鋭い視線がアルドを貫く。すでにアルドへのヘイトが溜まっているせいか、怒りの感情が剥き出しだ。

「落ち着け!俺は手紙を渡しただけだ」

アルドは胸の前で両手をぶんぶんと振ってリトマの感情を押さえつける。

「……そう言えば、そうだったな」

今日あった出来事も忘れるほど、リトマは切羽詰まっているのだろう。

「これでこいつの本性が分かっただろ?」

冷たい声で言い放つデビット。

そんな彼のもとに耐えかねたリトマが一歩一歩近づいて行く。

「おいデビット、邪魔ばっかりしやがってよ……負け犬は大人しく引っ込んでろよ!」

ついに感情を爆発させたリトマはデビットに向かって右拳を振り上げた。

「ひッ――!」

ハルの短い悲鳴が上がった。

「デビット!やめろ!」

アルドの悲痛な叫びなど、今のリトマに届くはずも無い。ハルが見ていることもお構いなしにリトマは拳を繰り出す。

しかし感情に任せた攻撃は余りにも大ぶりで、避けることは容易だった。

そして――2,3の拳を躱したデビットは、がら空きになった左の脇腹にストレートを叩きこんだ。うめき声をあげ、リトマはその場でうずくまった。

「デビットもそこまでだ!」

これ以上殴り合いはさせまいと、アルドは無理やり二人の間に割って入る。デビットもそれ以上反撃する気は無かったのか、握りしめた拳をそっと降ろした。

「そしてお前は俺に負けるほどに弱い。こんな有り様でどうやってハルさんを守ることが出来る?」

アルドの背後で縮こまる小さな背中に注がれた言葉は、余りにも重い響きを保っていた。

「……それはお前もだろ!」

歯を食いしばって絞り出した本音。しかしデビットは揺るがない。

「ああ、それは俺も重々承知だった。だからこそ、きっぱりと諦めることが出来るような、強くて憧れるような男であることを祈っていたさ……」

諦めたかった。先ほどもデビットの口から発せられた言葉に、彼の思いが詰め込まれていた。

彼は本当にハルさんのことを思っているのだ。

たとえ彼女の隣に立っているのが自分でなくとも――

「しかしお前は、そんな理想とは正反対だったッ!」

デビットが初めて声を荒げた。下唇を噛んで僅かに俯くその姿は苦悩で満ち溢れていた。

「デビット、おまえ……」

いつも冷静なデビットが声を荒げたからこそ、リトマにも何か響いたのだろうか。

ぐったりと首をうなだれて、地面の砂利を握りしめる。

「クッ……俺……」

部分的にしか聞きとれないが、リトマの口から噛み殺した感情が漏れ出ていた。

「ハルさん分かったでしょう?目を覚ましてください!」

それはまさに渾身の叫びだった。デビットは全身を震わして、ただひたすらにハルだけを見つめる。

「いや、だからその……」

それでもハルは彼の思いを真正面に受けることはできなかった。口元が微かに震えているものの、それ以上の言葉は出て来ない。

「……そうですか。俺の言葉は届かないようですね」

そうして見せた表情には諦めが滲み出ていた。最後にぎゅっと目を閉じたデビットはそれ以上何も言うことなく、静かに背を向けてこの場を後にする。

「……デビット」

流石のアルドも声を掛けることは出来ず、ただじっと消えゆく背中を見つめるだけ。

――

辺りに静寂が戻った。微かに聞こえてくるのは揺らぐ風と波の音。雲の切れ目から差し込む夕日が辺りを赤く染め上げている。

美しいはずの空間。

しかしそこには、目に見えない重たい空気が充満していた。

「リトマ、お前はどうする」

あれからずっと、俯いたままの弱弱しい背中へとアルドは声を浴びせた。

デビットが思いをぶちまけた今、リトマが何を選択するのか。

「ああ……そう、だな」

リトマはまるでスローモーションごとく、ゆったりと体を起こして行く。

「アルド……色々と無茶ぶりして、すまなかったな」

殊勝な表情を浮かべたリトマの姿は何かが吹っ切れたように別人だった。

アルドはただ頷いてリトマに視線を送る。

僅かに頷き返したリトマは振り返り、立ち尽くしたままのハルへと歩み寄って行く。

「ハルさん――」

「あの――」

タイミングの悪いことに、両者が同時に口を開いてしまった。

「……」

「……」

お互い言い出すタイミングを失い、再び口を閉ざす。

「……仕方ないな」

仲介に入ろうとアルドが動いた、次の瞬間――

「うおーーー!!!」

突如木霊した大声にアルドははっと振り返った。

目を細めて見やると、野太い叫び声と共に砂埃が3人の下に近づいて来るではないか。

その先頭に立つのはあろうことか、先ほど別れたばかりのデビットだった。

「そんなに慌てて、一体どうしたんだ⁉」

真っ先にアルドが合流すると、デビットは息を切らしながらも背後を指さした。

「……追われている!」

誰に?とアルドが尋ねるよりも前に――

「また邪魔する気かよ!デビットォォ!」

駆け付けたリトマはすぐさまデビットの上体を起こし、胸倉を掴んで激しく揺らす。

「違う!魔物に追われているんだ!」

その言葉の直後、巻き上がった砂埃の中からモンスターの群れが姿を現した。

血で染まったかのような真紅な皮膚を纏い、左手に斧を掲げたヤクシャが2匹。

その背後には銀色に光る鱗を持ったエイヒが1匹続いていた。

そして何より3匹ともに目が血走っており、いつも以上に気性が荒いことが伺えた。

半泣き寸前になりながら、リトマは叫ぶ。

「なんでだよぉ!説明しろよ!」

リトマはもう一度デビットの体をぶんぶんと揺さぶる。

一瞬ためらう素振りを見せたデビットだったがリトマの威圧に押され、口を割った。

「少し気分が抑えられなくて、その辺に転がっていた石を蹴ってしまった。そうしたら鈍い音がして……な」

その小石が仲間の一匹にでも当たったに違いない。

そう考えれば魔物たちがいつも以上に怒った様子であることにも説明が付く。

デビットの口ぶりからして、わざとこの事態を引き起こした訳ではなさそうだ。それは彼の焦った様子からも察しが付く。

「でもよ……なんでこっちに逃げて来たんだよ!」

「モンスターから逃げるように走った先がこの場所だったのだ。すまない、お前たちを巻き込むつもりは無かったのだが……」

デビットは悔やむように唸った。それだけデビットも必死だったのだろう。

「と、とりあえず逃げましょう!私、良い逃げ道を知っていますから」

「「……ああ、そうだな」」

いつの間にか傍に立っていたハルが提言すると、リトマとデビットは反射的に頷き返していた。

しかし――

「……2人はハルの傍にいてやってくれ。あいつらは俺に任せろ」

ただ1人、アルドだけは魔物たちに背を向けるではなく、真正面に対峙した。

「アルドさん、危険です!」

「おい、アルド!1人で相手にできるような」

――

言い終わりを待つことなく、完全な静寂が辺りを覆いつくした。

「心配しなくても大丈夫だ」

静けさの中に、一粒の言葉がこぼれ落ちた。

しかしアルドの言葉が誰かの下に届くことは決して有り得ない。

なぜなら、アルドがオーガベインの鞘に触れると同時に発動した能力、アナザーフォースは時間を停止させる。

今この空間で動ける者はアルドただ1人。何人(なんぴと)も話すことはおろか動くこともできない。

それは目の前で銅像のように立ち尽くす魔物たちにも例外でない。

アルドが鞘を持つ手に力を込めた。

直後、周りの空気がアルドの体を中心に吸い込まれて行く。

「はっ!」

剣身が閃光――右足を踏み込み、振り上げた青白い斬撃は魔物の群れを足場ごとにぶった切った。

この能力を前にしては、断末魔さえ上げることは叶わない。

アルドがオーガベインを鞘に収めた瞬間、時計の針は再び動き出す。

――

「訳ないだr……へ?」

捲り上がった地面に、ぼたぼたと鈍い音を立てて倒れ込んで行く魔物の残骸。

瞬き1つで目の前の光景が異常なほどに移り変わった。そんな現実を目の前にしては驚かない方が無理という話だ。

「何があった……何も見えなかったぞ」

「す、すごい……」

後ろを振り向けば3人ともに口を開いて唖然としている事だろう。

「これでもう大丈夫――」

緩んだアルドの表情に三度(みたび)、緊張が走った。

振り返った視線の先、巨岩の背後で小さな影が動いたからだ。

「後ろ!」

アルドが鋭く叫ぶと同時に、エイヒが岩陰から飛び出していた。アルドの目に映ったシルエットとは、どうやらエイヒの背びれだったようだ。

エイヒが狙う獲物はアルドから最も離れた、つまり相手からして最も近くに立っているハルに違いない。

反射的に鞘を握ったアルドだったが、直後気付いた。

「しまった――ッ」

先ほどのようにアナザーフォースを使えば、エイヒがハルを襲うよりも前に時間を止めて、倒すことは可能だった。

しかしこの切り札は連続して使えない。つまり今のアルドでは間に合わない。

(くそっ)

内心で酷く後悔したアルドだったが、すぐに気持ちを切り替えて足を踏み出そうとした。

丁度、その時だった――

アルドの足が地面へと着地するよりも前に、1つの足音がアルドの耳まで届いた。

すぐさま顔を上げたアルドの視界には、地を駆ける青髪の少年が映っていた。

「……リトマ!!!」

反射的にアルドは彼の名を叫んでいた。

エイヒはまさにハルに噛みつこうと大きな顎を精一杯に開いていた。口内は血が溜まったように赤黒く染まっている。噛まれたらひとたまりも無いだろう。

「おらぁ!!!」

それでもリトマは決して臆することなくエイヒへと突進――

体を丸めて地面を蹴り上げたリトマのタックルがエイヒの顎に炸裂した。

「グギャッ――!」

酷いうめき声をあげて、エイヒは態勢を崩してよろけた。

対するリトマも反動で吹き飛ばされ、盛大にしりもちを付く形となった。

エイヒは気を取り戻すと怒り狂ったように震え散らし、リトマへと鋭い眼光を向けた。

無防備なリトマは目を瞑り、せめてもとばかりに顔の前で腕をクロスした。

「クッソ!」

歯を食いしばりダメージを覚悟したリトマだったが――

「――あん?」

数秒経っても攻撃が飛んでこない。

恐る恐る片目を開けたリトマの目の前ではエイヒが口を開けたまま、ぐぐもった声を吐き出していた。

「ガッ、ガア……アッ!」

そして奇妙なことに自身の顎を地面へと叩きつけている。

「ガッ、ガッ……」

そんなことを繰り返してはヒレをぴくぴくとはためかす。

しかし1ケ所だけ、大きく開けた口だけはどうしても動く気配が無い。

どうやらリトマのタックルの影響で顎が外れて口が閉まらないようだ。これでは自慢の噛み付く攻撃は繰り出せまい。

「……」

不意にリトマとエイヒの視線が重なった。

「……ガッ!」

最後、苦し紛れに喉から声を吐き出したエイヒは倒れるリトマを置いて、ゆらゆらと水辺に姿を消した。

「た、助かったのか?」

リトマはもう一度辺りを見渡して魔物が近くに居ないことを確認し終えると、へなへなと地面に両手を付いた。

「リトマ、大丈夫か⁉」

アルドを含め、後ろで見ていた3人はすぐさまリトマの下へと駆け付ける。

「ケガしてないですか⁉」

腰を下ろして声を掛けるハルにリトマは小さく手を挙げた。

「ああ、少し肩を痛めたくらいだ。これくらいどうってことないよ」

ハルに気を付かせまいとリトマは小さく笑った。

その言葉を聞いてほっと一息付いたハルだったが、すぐさま表情を険しくした。

「どうして私なんかのために……」

「だって、それは……ハルさんが好きだから、傷つくところは見たくないっていうか……」

正式な形では無かったものの、リトマは自身の気持ちをハルへと伝えた。

不意の告白にハルは顔を赤らめて、恥ずかしそうに背を向けた。

彼女の反応を見つめたリトマは頬を掻いて地面へと視線を落とした。

「リトマ……」

「……なんだよデビット」

リトマが顔を上げると、目の前では屈んだデビットが手を差し出していた。逡巡の後、その手のひらをがっしりと掴み返すと、デビットがリトマの体を引っ張り上げる。

「俺は間違っていたようだ。俺はあの時動けなかった、だがお前は動いた。これが全て……」

「いや、お前に活を入れられたからこそ、俺は咄嗟に動けたんだと思う。お前のおかげだよ」

照れくささそうにお互いが見つめ合うと2人の顔には自然と笑みがこぼれていた。

「今のお前なら、ハルさんとも上手くやって行けるだろうよ……」

デビットは耳元でそう呟くと、リトマの背中をドンと押した。

リトマも覚悟を決めるように頬を両手で叩いた。

「……ハ、ハルさん!」

緊張が戻って来たのか、リトマは顔を紅潮させ唇をパクパクと震えさせている。

「……はい」

背を向けたままのハルがようやく振り返り、リトマを直視する。

「もう一度、言います!俺は――」

「待って!」

リトマの言葉を遮るように両手を広げたハルがこれまでになく声を張り上げた。

「少しだけ、待ってください……」

目を瞑ったまま胸に手を当てたハルはすうっと大きく息を吸った。2度3度、何かを確認するように頷いた後、瞼をゆっくりと開ける。

そうして彼女の口から飛び出した言葉は、余りにも予想外なものだった。

「嘘付いて、すみませんでした!」

手のひらを前に組んでハルは深々と頭を下げた。

「えっ、え?」

いきなりの謝罪に困惑を隠せないリトマは忙しなく体を揺らしている。

「ハル、嘘というのはどういうことだ?」

アルドも今の状況が飲み込めないため、たまらずハルへと質問を投げかける。

「はい……実はデビットさんに言った言葉は嘘なのです」

そう言ってハルは後ろに控えていたデビットに目をやった。

いきなり名前を呼ばれたデビットは驚きながらも、腕を組んで思考を巡らす。

「俺に言ったこと?……まさか!」

「はい、好きな人がいると言ったあの言葉は嘘です……」

ということはつまり――

「……え、それって、えっ⁉」

流石のリトマもその言葉の意味を理解したようだ。顔から血の気がスーッと引いて行く。

「ならどうして好きな人がいるなんて嘘を……」

デビットも未だに信じられないような様子で、ハルへと突っかかる。

「あの時はいきなりの事で、気が動転していて……何か言わないと、そう思って……」

ハルからしてみれば、当たり障りのない断り文句のつもりだったのだろう。

しかしその言葉をデビットが深堀してしまったために、このような事態にまで発展してしまったという訳か。

「そんな……、そんなぁ……」

虚ろな瞳でリトマは空を見上げながら、肩を上下に揺らす。

ハルが自分の事を好いているとデビットから伝えられたにも関わらず、それは間違いだと告げられた。

期待していた分、その落胆は激しいものに違いない。

「すみません。何度も言おうと思ったのですが……」

本当に申し訳なさそうな表情を浮かべて、ハルはお辞儀を繰り返す。

「リトマ、そう気を落とすなよ。まだこれからいくらでもチャンスはあるさ」

アルドはリトマの肩をポンポンと叩き、励ましの声を掛けた。

「俺も期待させるようなことを言って悪かった……」

居心地悪そうにデビットも言葉を漏らす。

せっかくデビットもリトマの男らしさを認めていたと言うのに、何とも最悪な流れだ。

「……」

リトマを含め男共が諦めかけていた、その時――

「でも、今は違います!」

ハルは両手を握りしめて顔を突き出していた。

「……えっ?」

上を向いていたリトマの顔がゆっくりと元の位置へと戻って行く。

「今は好きな人が、います……ッ」

指先をもじもじと触りながらも、ハルは確かに言い切った。今は好きな人が存在すると。

「それって、もしかして……」

目の色を変えリトマがハルへと歩み寄って行く。

「良かったな、リトマ……」

彼女の好きな相手が自分ではないと確信しているためか、デビットは腕を組んだままただじっとリトマの背中を見据えていた。

「私がピンチの時に助けに来てくれる……まるで白馬に乗った王子様のような――」

目を瞑ったまま、ハルはそこで一呼吸を置いて胸に手を当てた。

「アルドさん、あなたです!」

――

その瞬間、すべてのものが固まった。

因みに、アナザーフォースなど断じて起きていない。

「……ん?」

最初に声を発したのは当の本人、アルドだった。

「ですから私が好きな方は……アルドさんです、と」

もう一度、ハルは躊躇いがちになりながらも思いを口にした。

「リトマじゃないのか……?」

恐る恐るアルドが口にすると、ハルはどうしてと言わんばかりに首を傾げた。

「アルドさんに決まっているじゃないですか!2度も私を魔物から守っていただきました」

アルドは心の中で先ほどハルが口にしていた言葉を反芻した。

ピンチの時に助けてくれる、まるで王子様のような――

「うッ……」

王子様の部分は置くとして、ピンチの時に助けたと言う点はリトマ同様、アルドにも当てはまる事実だ。

「こうして再び会うことが出来ました。これは正(まさ)しく運命に違いありません!」

ハルは手を組んだままうっとりとした表情を浮かべる。

「えっ、そう言われても……」

ハルから離れるようにアルドが後ずさると背中が何かにぶつかった。

「うおっ、すまん。……デビット?」

デビットの全身はプルプルと震えており、鬼の形相でアルドを見ていた。

「アルドさん、これはどういうことですか……ここはリトマと結ばれる展開でしょう!どうして邪魔するんですか⁉」

「……いや、ちょっと落ち着け」

どうやらデビットは味方になってくれないようだ。アルドからすればとばっちりも良い所だが、デビットの心情を鑑みれば強く言い返せない。

しかしアルドが最も恐れるべき相手は彼では無かった。

「――ッ」

不意に肩を掴まれた。瞬間、アルドの背筋が凍ったようにピンと張った。

とてもじゃないが、アルドはその場で振り返ることが出来なかった。

「……なぁ、アルド。これはどういう事だ?頭の悪い俺に説明してくれよ」

「そ、それは……」

何とか出来ないかとアルドが考えを巡らしていると、肩を掴む力が次第に強まって行く。

「お、落ち着け。リトマも一旦冷静に、な?」

自身の肩に乗った手のひらを軽くタップするものの、離して貰える気配は全くない。

「お二人とも、アルドさんが困っていますよ」

「……分かりました」「……ちっ」

ハルが助け舟を出してくれたおかげで何とか二人は敵意を収めてくれた。

「それで、その……返事は……」

それでも依然として修羅場には変わり無い訳で――

リトマとデビットが食い入るようにアルドへと視線を送る。

ごくりと小さく唾を飲み込んでから、アルドは乾いた唇を動かした。

「……すまない、ハルの気持ちには答えられない」

「……はぁ?」「なッ――」

アルドはこれから先も旅を続けていかなければならない。そのために断る以外の選択肢を持ち合わせていなかった。

「そうですか……」

アルドの言葉を受け取ったハルは静かに俯いた。

「……分かっていました。あれほどの力を備えたアルドさんのことです。きっと何か、果たすべき役目が御有りなのでしょう」

そう呟いてハルはにこやかな笑顔を見せる。

それでも体は正直だ。胸の前で握りしめた右手が微かに震えていた。

だからこそ、アルドはさらに付け足した。

「……だが、何か困ったことがあればいつでも呼んでくれ。できるだけ力になる」

その言葉に嘘、偽りは無かった。

「!……はいっ!」

最後に力強く返事をしたハルが見せた笑顔は夕日に照らされ、一段と輝いていた。

これで終わりかとアルドが肩の力を抜き、息を付こうとした瞬間――

「……さ、させねえぞ!」

やはり彼、リトマが黙って終わる訳など無かった。

「ハルさん、俺強くなりますから……だからこんな奴に頼らないで、俺を頼って下さい!」

強引にハルの手を握ったリトマが懇願するように頭を下げる。

いつの間にかアルドはリトマの中で「こんな奴」に格下げされているようだ。

「え……その、気持ちはありがたいです。けれど……」

最後まで言い切らなかったものの、ハルの思いはリトマに十分という程伝わった。

「……」

より良い返事が聞けなかったことに釈然としない様子のリトマ。

掴んだ手を放すと今度はアルドの傍までやってき来て、これでもかと顔を近づける。

「おい、お前!どう責任取ってくれるんだ⁉」

小声で捲し立てるリトマにアルドは一歩後退。

アルドが口を開こうとするが、リトマはさらに畳みかける。

「それになんだ!以前にもハルさんを助けたなんて聞いてねぇぞ!」

「手紙を渡した時に、ちょっとな……」

あの時は騒がれることを嫌って隠していたが、それがかえって逆効果となってしまった。

「合図にも反応しなかったよな?」

「それは……リトマだって悪かったと――」

「反応しなかったよな⁉」

今のリトマには何を言っても無駄だろう。

「どうしてお前みたいなぱっとしない奴が……」

敵意剥き出しの視線がアルドに向けられる。それもそのはず、リトマにとって今やアルドは恋敵なのだ。

「そ、そう気を落とすなよ……リトマだっていつか――」

「お前にだけは言われたくねぇよ!」

励ましの気持ちで言葉を掛けたつもりだったが、火に油を注いだだけだった。

「アルドさん、中途半端に期待させるなんて、相手に失礼ですよ」

デビットもアルドのことを完全に敵視しているようだ。

「いや、その……」

アルドが口ごもっていると――

「お二人とも、アルドさんをいじめないで下さい!」

又もやハルが助け舟を出してくれた。しかし、今度のリトマは一味違う。

「これは俺達男同士の問題です!ハルさんは黙ってて下さい!」

あろうことかリトマがハルに言い返したのだ。ハルも予想外だったのか、怯えたように視線を逸らした。

「その通りです」

デビットもすぐさま追随する。

アルドという恋敵を前に、2人の男は一致団結していた。

(万事休すか……)

アルドが唇を噛みしめた、その時――

「あっ!」

隣に居たハルがリトマ達の後方を指さして鋭く叫んだ。

「なんだ⁉」

ついさっき魔物が現れたこともあり、リトマとデビットはほぼ反射的に後ろを振り返る。

しかしアルドは困惑していた。

(何かいたのか……⁉)

アルドはハルと同じ方向を向いていた。しかし特筆すべきようなモノは視界に入らなかったのだ。

「ハル、何が――」

当の本人に尋ねてみようとしたその時――不意に手首を掴まれた。

その感触へと目を落とすと同時に、アルドの耳元にふわりと言葉が流れ込む。

「走ります」

次の瞬間、ハルはアルドを引っ張る形で駆け出していた。

(――ちょっ!)

躓きそうになりながらも、アルドは無我夢中で脚を動かした。

「な、何もいないじゃないですか。ハルさんの気のせい……待ちやがれ~!」

当然、二人にはすぐさま気付かれる訳で、背後から足音が迫って来る。

「任せてください、逃げるのは得意ですから」

ハルは不敵に口元を緩めると、アルドを握る手の力を一層強めた。

「ああ……」

今日は色々とありすぎた。これ以上深く考えることはやめて、アルドは大人しくハルに付いて行くことを決めた。

そして――

リトマが放った叫び声は、遠く離れたミグランス城にまで届いたと言う。

「この、恋泥棒が~~!!!」

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泥棒アルド かっぱかめ @iekknh3-5-4

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