これが、恐怖
…
【死】を見た事があるだろうか?
無い、と答えるならばそれは嘘だろう。
俺たちは認知していないだけで死とは密接な関係にある。
食事などが良い例だ。後は歩行によって摘まれる命などだ。
自然界ではそれは顕著(けんちょ)だ。
生きる為に食い、生き残る為に食う。
弱肉強食、それが自然の摂理だ。
人間は賢く、強い。だから害などないと分かっている小さな【死】が身近にあっても気にも留めていないだろう。
しかし、人間は死を恐れる。
それは死が恐ろしいモノだと知っているからだ。
だが……その【死】と同じ程に恐れるモノがある。
それは───【未知】だ。
「……はぁ…ッ…はぁ…ッ…!」
息が詰まる。こんなにも澄んだ世界の〝空気〟の中、重油のようにへばり付くこの付近の〝空気〟が俺の息を阻害していた。
「申し訳ありません、ボス。久しぶりに手応えのある戦闘だったもので呼び出しに気付きませんでした。お許し下さい」
執事のように腕を折りながら丁寧に頭を下げるアブドル。
この空間の中、顔色一つ変えずに彼はそれを行った。
よく良くボスの方を見てみるとぼこぼこに顔を腫らしながら顔を青白くさせたまま俯く、クズ野郎ことジャンの姿が見えた。
キツく、がっちりと縛っておいた筈だがボスに解かれたのだろう。
「お前がそれ程までにか。……良い、許そう。クライアントは私が何とかする。〝当て〟が出来た」
底冷えするような、不気味な多重の声がやけに鮮明に聞こえた。
そこまで大きい声量では無かったがやけに良く聞こえた事に疑問は感じなかった。
全身が、脳が、本能が。〝聞き逃したら死ぬ〟と感じていたからだ。
「〝当て〟……ですか?」
「ああ。ひとまず行くぞ───丁度良い。〝撹乱(かくらん)〟は頂いた〝コイツ〟に任せるとしよう」
ボスと呼ばれた、深海のように真っ青なローブから伸びた人物の右手が虚空へと───翳される。
再び───次元が歪む。唸る。軋む。
次元からずるりと這(は)い出て来たかのようにその生き物は雄叫びを上げた。
──────ゥウウルアアア……ッ──────!!
耳をつんざくような咆哮(ほうこう)。
象のような巨体をした獅子───いや、獅子では無いが俺は知っている。コイツは───!
「マンティコア───なるほど、了解致しました。…すまないな、カナタよ。生きて会えたらまた会おう」
「さらばだ。〝弱き者〟よ。恐怖と共に己の無力さを嘆くが良い」
───ゥルアアアアアアアッ!!
マンティコアの咆哮が全身を叩く。
ふと気付けばアブドル達は消えていた。
「…ッ…はぁ…ッ…はぁ…っ!!」
寒気がする、こんなにも晴れているというのに。
動悸が収まらない、もうあの空気は無いというのに。
身体が、動かない、もう───〝あの人物〟は居ないというのに。
『さらばだ。〝弱き者〟よ。恐怖と共に己の無力さを嘆くが良い』
ふと、頭にその不気味な多重の声が響くような気がした。
そうか、これが───〝恐怖〟なのだと。
「兄ちゃんッ!!逃げろぉ!!」
「ふにゅにゅにゅ!!!」
ルギくんとシラタマが叫ぶ声が聞こえる。
分かってるさ、このままだと…ヤバイのは。
「…ッ…はぁ…動け…ッ…動けよ…俺……ッ!!」
意思はある。でも動けない、動かない。
迫り来るマンティコアの馬鹿でかい口。鋭い牙。
このままなら喰われる───その刹那だった。
───何ビビってやがるボケナス。さっさと正気に戻りやがれ。
俺の側に〝風〟が駆けつけた。
───ッアアア!!
空を蹴り、加速を増した獣人の蹴りがマンティコアの鼻っ柱に打ち当たる。
蹴り飛ばしたその怪物の身体を足場に空中で翻った、狼の獣人こと、〝隻眼の牙狼族の男〟が目の前に降り立った。
「息を深く吸え、呼吸を整えろ。恐怖に負けてんじゃねぇぞカナタ」
「…すぅ……はぁ……ああ、助かったぜ……ヴィレット」
「ああ、それで良い。薬は持ってんだろ、早く行け。コイツは───我がやる」
助言で落ち着いた俺を尻目にヴィレットは跳んだ。
起き上がりつつあるマンティコア目掛けて。
───ッアアアアアアッ!!!
「うるせぇぞニャン公が」
ヴィレット独自の技、〝空脚〟による加速、それによって遥かに威力の増された拳がマンティコアの身体へと突き刺さる。
何度も───何度も───様々な角度から。
「…あいつ、強くなってんな。今のうちに───」
重々しい拳打の音を放って俺は鬼人族の爺さんの元へ向かう。
あの調子ならヴィレットは問題無いだろう。
全く…不甲斐ないな。
「爺さん、薬だ。大丈夫か?」
地面に伏したままだった老人の身体を起こしながら薬を手渡す。
老人といっても俺と同じぐらいの背丈で筋肉ムッキムキだが。
「…ぐ…すまんな。…んぐ……」
手にした薬を飲み、一息付いて老人は訪ねた。
「ありがとうよ若いの。奴らはどうなった」
「あの化け物を置いて消えたようです」
マンティコアと戦うヴィレットを指差して俺はそう答えた。
なるほどな、と一言零して老人は口を開く。
「レトならマンティコア程度問題無いな。…ぬぅ、まだ薬の効きが悪いか。…ぬんッ!」
立ち上がりに違和感を感じた老人が両手を胸元で合わせ、己に喝を入れるように短く叫んだ。
老人の身体の至る所に血管が浮かび、筋肉の筋が見えた。
「…うむ。これでよし」
「あの、何を?」
「これは儂が編み出した身体操作でな。心拍数を上げ、て身体機能を上げる……さっきの薬を吸収して全身に行き渡らせた。本来は戦闘に使うもんじゃがな」
なるほど、血流の速度を上げて薬の作用を高めたのか。
常人なら血管破裂して死ぬ奴だな、流石は鬼人族。
────────────
カナタ
「いつもの空気美味しい」
ルギ
「兄ちゃん大丈夫か…?」
シラタマ
「にゅ…?」
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