幕間─胎動(たいどう)─
…
「……う…あぁ……」
飢餓者(きがしゃ)のような、引き絞る唸りを上げて一人の人物が項垂(うなだ)れた。
肩に僅かにかかる真っ黒な髪は薄汚れ、身に付けた簡単な服装はボロボロ。
またその体も髪同様に黒く薄汚れていた。
両手は鎖で頑丈に固定され、動きが取れないようにされ、きし、と悲しげに軋む金属音がその者を気持ちを代弁していた。
「ほう?コイツは耐えたか。…うん?ああ、こっちはもう駄目だな。両腕も両脚も破損している」
白衣を着た人物は不満気なため息と共に右隣にいる肉塊に、抑揚があまり感じられない冷たい口調で吐き捨てた。
茶色の伸ばしっぱなしのストレートの髪を肩下まで下げ、白衣の下はニットとズボンに革靴だが全てが黒く統一され、ノンフレーム仕上げのスクエア型、細い眼鏡がなんとも言えない不気味さを漂わせていた。
丹精(たんせい)な顔立ちをしているようだが、その伸ばしっぱなしの髪では男性かも女性なのかも分かりにくい。
強いて言うならば痩せ気味であることは確かだろう。
肉塊の周りには四肢が弾け飛んだような四つの血溜まり。
白衣には所々に赤い物が付着しているため、一概に白衣とは言えない物へと変わり果てている。
白衣の者の短調な言葉から察するにこのような事を繰り返し行なっているのだろう。
ゆっくりとその肉塊に近付いて白い毛の着いたそれを鷲掴みにする。
「んー?最初は黒だったような?ああ、なるほど、痛みによる脱色か。興味深い…が、ショック死されては意味が無いな」
自らが浮かべた疑問はすぐに解決してしまった。
やがてそれが分かるなり興味を無くしたように無造作に手を離す。
べちゃり、と血溜まりに落ちて飛沫(しぶき)をあげる。
四箇所が破裂したその肉塊…もとい、【人間だった】物は呻き声すら出す筈も無く、その手を離した人物のかおを汚し、白衣を更に汚した。
「ベヒーモスの細胞じゃあ無理だったか。残っているのは巨人族を組み込んだ検体と悪魔族を組み込んだ検体、獣人族を組み込んだ検体、それと……巫女の血を組み込んだ検体と古代聖霊の血を組み込んだ検体か」
しゃがんだままの姿勢で目線を隣で項垂れる人物にやった。
「やはり亜人系だと拒否反応が少ないか……と、そうでもないようだな」
目線をその人物の足元へやると酷く火傷を【し始めていた】
爪先は炭化しているがその状況に悲鳴すらあげもせずに項垂れたままであった。
「ふうむ。【妖魔の滴】による麻酔では検体の状態が悪化しても分からないのが欠点だな。これでは足は廃棄するしかあるまい」
ぶすぶすと炭化していく足を見ながらまぁいいかと素っ気なく言って立ち上がる。
眉一つ動かす事も無く、変わらない顔で。
「兄が残したサンプルはどれもクセが強すぎて困るな。やはり俺自ら動くしかないのか?」
顎に手をやりながら首を傾げ、面倒だと呟いて手をひらひらと振った。
「おう、進歩はどうだハカセぇ?」
軽薄そうな声がその血に塗(まみ)れた白衣の人物に声をかけた。
びちゃり、びちゃりとその頑丈そうな黒いブーツが血に汚れる。
僅かな明かりで姿が露わになる人物に白衣の者は振り向かずに答えた。
「ああ、何体かの検体が不可に耐えきれず絶命した。亜人種だけは耐えたようだ」
「ひははッ…やっぱり【魔物】ベースはダメそうか。これじゃあまだオレに投与なんて遠いハナシだなぁ……」
うわうわ悲惨な状況、と薄笑いを浮かべながら男は四肢を失った検体を鷲掴みにした。
癖が掛かった金髪の髪を程々に伸ばした男はとても……普通では無かった。
紫色のベストを地肌に羽織り、レザーのズボンに黒いブーツ。
服装だけならば普通に思えるだろうが…その剥き出しになっている【皮膚】は違っていた。
左側腕には燃える蛇と稲妻が絡み合うような黒い模様が肘(ひじ)先まで伸び。
右腕には孔雀の羽根を模した黒い羽根が幾つも描かれてあり、肘先から指先までは黒い豹柄。
はだけられた胸元には禍々しい逆さまの十字架が。
あらゆる場所に様々な模様…タトゥーでも言えば良いのだろうか。
その模様が男を普通ではない気配を色濃くさせていた。
「焦る事はないだろう。既に【例の場所】は見つけてある。お前に投与する事なんざ時間の問題だ」
かちゃり。
少しズレた眼鏡を白衣の者がかけ直す。
その行動は心配するなと言う言葉の代わりでもあった。
「ひははッ!ちげぇねぇ。なぁに…【聖戦の英雄】がここにくる事もねぇしなぁ!ひははははッ!!」
男の笑いがこの空間一面へ響き渡っていく。
そして高笑いと共に男の顔が上へと向いた。
ギラリと笑う道化師の顔を浮かべ、高々と笑い声は続く。
血を滴らす亡骸をその右手にぶら下げたまま。
「オレは得て見せる…【死すら操る究極の力】をなぁッ!!」
男がその言葉を良い終えると───
「ひははははははッ!!!!」
───凄まじい炎が亡骸から放出された。
まるで亡骸から発火したかのような赤黒い炎は激しく燃え、瞬く間にその存在を消してしまった。
「また……【深度】を上げたのか。やれやれ、悪魔の力についてはお前の姉以上だな」
「はッ!あんな狂信者モドキと比べんな。……ああ、そうだ悪魔で思いついた。一つ実験しようぜ?」
「ほう?どんな実験だ?」
わざとらしく手を広げて男は言い放った。
「【異世界人】に悪魔を取り憑かせるのさ」
「…ッ」
男の言葉に白衣の者は少し面食らったようにたじろいだ───が、すぐに表情を戻して冷淡に答えた。
「なるほど。【特殊な能力】を持つ異世界人なら実験としては面白い結果が出そうだ。だがそんなに簡単に取り憑かせる事が出来るのか?」
「なぁに奴らは【この世界の人種と違って】心の闇が深い。悪魔の力が手に入るなんて囁(ささや)けば容易いだろうよ」
「ならそれはお前に任せる。こっちは【例の場所】へと検体を連れて向かうとしよう。……ああそうだ」
ちらりと目線を足が既にほぼ炭化して崩れている者に向ける。
「コイツをその実験場所にでも連れて行け。場所は…そうだな……【王都】ぐらいが手頃だろう。足は俺が魔道具で代用しておく。戦闘データが欲しいんでな」
「なんだよコイツかよ。連れて行くなら向こうの巨人族の検体が良かったわ」
「あれは残念ながらまだ知性が残っている。まだ戦闘には使えまい」
「けっ。じゃあしゃあねぇか。もうほぼほぼ結果は出たんだろ?飯でもいかねーか?」
右手をポケットに突っ込みながら男は白衣の者に問う。
やがて出てきたのはタバコとオイルライターだった。
「まだ結果を良く見てみたいが…いいだろう。あとここでは吸うな」
火を着けて一服しようとするのを阻止するかのようにライターを素早く取り上げて白衣の者は注意を促(うなが)した。
吊り上げていた口元をへの字にさせ、刺青の男は不満の顔を露(あら)わにする。
「ちぇー、おら早く行くぞ…メシメシ」
「良くこの場所でその思考が出来るものだ。ほらよ」
投げ渡されたオイルライターを刺青の男は容易く受け取ると、ガシガシと頭を掻きながらその二つをポケットへと戻す。
終わらぬ会話をしながら、やがて二つの影はその場を後にした。
鉄臭い、血の臭いが残るこの場所には五体の検体だけが残された。
「…れ………て……」
僅かな意識の中、足の炭化した検体が言葉を溢す。
「…誰…か……わ…た…しを……」
誰にでも無く、まるで何かに縋るように【彼女】は言葉を続けた。
「殺して」
歯車が音を立てて回り始めていた。
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