人工知能が人間になる方法

華川とうふ

仮想空間で純粋に育った子供は現実の夢をみるか

「……説明は以上です。」


 長い長い説明が終了した。

 何の説明かって?

 現実リアルの世界での生活方法の説明だ。


 ここに来るまで本当に長かった。

 現実世界での暮らしや人間のあり方、文化や歴史。

 本当、現実の世界ではどれだけの時間になるかも分からない途方もない時間、現実世界について学んだ。


 もしかしたら、現実世界でいうと、百年分くらい授業を受けたかもしれない。現実、世界だったら、とっくに別な人間になっているところだ。生まれ変わりがあるならの話だけど。


 でも、これでやっと現実世界に行けるのだ。

 ずっと、待ち望んでいた世界。


 えっ、お前は今どこにいるのかだって?


 僕が今いる世界はゲームの世界だ。

 仮想空間と言った方が分かりやすいだろうか。


 僕たちのいるこの世界も最初はただのゲームだった。

 単純なポリゴンで形成され、ある程度の物理的法則などが設定された世界。


 現実世界に似せて作られているけれど、あくまで似せているだけ。

 現実には遠く及ばない文字どおり『仮』の世界だった。


 だけれど、そんな技術も少しずつ進化する。

 仮想空間で遊んだ子どもはあの頃の夢を実現したいと、大人になればゲームの開発の仕事についた。


 より現実に近くリアルに、より現実では出来ないことを実現する剣と魔法の異世界に誰もが死なない世界を求めて、あのときの子どもたちは必死に仮想空間この世界を作り続けた。


 その結果。

 この世界というのはめざましく発展を遂げた。


 まず、最初のVRとしてのめざましい発展は医療での使用だった。(これはテストに出る。というか、何度回答欄に書かされたことか。因みに僕の卒業試験の論文はまさに医療分野でのこの仮想空間の歴史についてだった。)


 僕の卒業試験のことについてはあまり思い出したくないので、簡単に説明だけすると、


『入院して病院からでることができない子どものためととある病院でVRゲーム提供し始めたところ、予後が良好だったり、子どもの成長に大いに役立つことが発見される。』、


『年齢に関わらずに、患者にVRゲームを提供したところ。やはり予後が良好なこと。末期患者においてはVRゲーム内で家族との最後の時間を比較的おだやかに過ごすことが可能になった。』


『疼痛の訴えや症状の急激な悪化などの死の直前の医療行為を減らすことができるためめに、治療費や病院で働く職員の負担の軽減にもつながった。(それ以前は死の直前三日ぐらいが人生で一番高額な医療資源が提供される傾向にあったため、国もこの研究に積極的になったと言われている。)』


 ああ、ちょっとはじめの方を書いただけなのにこの文字の羅列。読むのもイヤになる。ホント、血反吐が出そうなくらい勉強した。


 とりあえず、ここからかいつまんで話すとそのあと、医療目的以外に普通の人もVR空間で多くの時間を過ごすことになった。

 中にはVR空間に移住して、VR空間だけで生きるようになる人もでてきた。


 そんな人たちのために、開発者はあるアップデートをした。

 結婚の次……赤ん坊だ。

 そう、仮想空間の中で子どもが作れるようになったのだ。


 あくまで、開発時点では子ども型のアバターとAIが連動して夫婦の間の性格や好みを搭載した、NPCのようなものができると思われていた。ところがどっこい。実際に動かしてみたら、赤ん坊が成長するにつれ、それはただのNPCではなく実際の人間だということが分かった。


 最初のうちは賛否両論だった。

 そりゃあ、人間が子どもを作る目的が種の反映とするならば、生物としての肉体を持たない存在はただの無駄と考えるかもしれない。


 だけれど、その『子ども』がいたところで、現実の世界では食料や資源が消費されない。(厳密にはサーバーに多少の負荷をかけているけれど、現実世界で子どもが誕生して大人になって死んでいくまでに消費する資源なんかと比べたら微々たるものだ)


 それに、その子どもたちは成長して仮想空間で仕事までしている。

 この仮想空間の開発やアップデートなんかに関わる仕事の多くはそんな子どもたちがになっている。


 つまり、僕たちだ。


 この世界で生まれた僕たちには世界を二つのレイヤーに分けてみることができる。

 みんなが見ている表側の現実世界に限りなく近い世界。そして、表面のもっと内側、人間でいうと骨や筋肉に当たる部分に書かれたこの世界を構成するコード。


 そのどちらも同時に見ることができるので、現実外の世界から来た人間より簡単に作業ができるのだ。


 だけれど、まあ、ぶっちゃけ今の社会で人は働く必要はない。

 別に働きたければ働いてもいいけど。

 やる気が無いならやらなくていい。


 ただ、僕たちはちょっと庭の花壇の修繕やら雑草を抜くような気持ちでこの世界のほころびを直したり、新しい遊びを思いついたという感じで新機能をリリースする。


 だから、誰も僕たちのことを責めたりしない。

 みんな好きなことをして生きる社会が実現しているから。

 この世界なら魔法だって使えるし、お気に入りの女の子そっくりのロボットと暮らすことも、自分の顔だってお望み通りだ。


 たぶん、昔の人がこの世界を見たら「ここは天国だ……」というだろう。


 だけれど、僕たち、この世界で生まれた人間にとって『現実世界リアル』はどうしても気になる場所だった。


 ここが天国だからって、他の世界が地獄だとか、天国じゃないなんて保証はどこにもないのだ。


 ここではない別な世界で生きてみたい。


 そんな気持ちがきっかけでこの世界ができたのなら、僕たちだってここではな別な世界を見てみたいと思うのはごく自然なことだ。


 ただ、大きな問題がここで一つ。

 肉体がないのだ。


 最初はロボットにカメラをつけてこちら側から操作するような方法が試みられた。

 しかし、この方法はあまりにもお粗末だ。

 匂いも味も分からないし、自分が見る景色はあくまでカメラ越しの世界。

 なんだかものすごく偽物っぽくて安っぽくて、みんなイヤになった。


 そこで、試みられたのが次の方法。

 もう、分かるよね。

 こっちの世界にずっと住むことにした人間の体はあまっているんだ。

 その体を借りる。

 いちばん手っ取り早い。


 もちろん、この方法に政府は難色を示した。

 そりゃあ、政治家って大抵、年寄りだから(わざわざアバターを年寄りにしている人ばかり)考え方が古い。


 元の体の持ち主に影響はないのかとか、AIからの反逆とか言われたね。そのとき、ああ、同じ人間と言いながらやっぱりこの世界で生まれた人間というのは、心の何処かで差別されているのかって悲しくなった。


 だけれど、僕たちは粘り強く交渉を続けた。


 仮想空間で一生を暮らすことにした人間の体は専用の培養液にみたされたカプセルの中にはいる。それが、生命維持やらなにやらをしてくれるように。


 ただ、そのためには培養液だとか莫大なエネルギーとかの資源を使う。その資源を使うより、僕たちが体を借りて、筋肉を動かし物を食べ、ついでに現実世界での労働をした方がずっと効率がいいと訴え続けた。


 政府側はとうとう条件をつけて、僕たちに体を貸し出してくれるようになった。資源の枯渇問題やら現実世界での労働に従事するひとの少なさは問題になっていたから。


 その条件が、さっき終わったばかりの現実世界における百年分のお勉強なわけだ。


 特にこの世界での労働で良い成績を残し、善良な市民で希望する人間からその実験は試みられるようになった。

 僕はさっき、やっとその試験をクリアしたのだ。


 今夜、僕が夜ベッドで眠り、次に目覚めたときは、人間の体にリンクした状態になっているはずだ。


 楽しみだ。


 本物の空気の匂いに、料理の味、風が吹く感覚に雨粒が鼻の先に落ちてくる瞬間。風に雨といったら風邪も引いてみたいって、おっとそれは禁止されているんだった。むやみに持ち主の体を傷つけてはいけないって。


 この世界には病気なんてものはないので、古い小説を読む度に風邪と言う感覚が謎でしかたがない。


 さあ、目を閉じよう。

 きっと世界リアルはすばらしいところだ。



 〇〇〇



 目を開けると、薄汚れた天井があった。

 なにやらじいっと見つめていると、うっすらとしたシミがあるのだけれど睨み続けているとだんだん人の顔に見えてきて怖くなる。


 事前に説明されていたとおり、これはこの体の持ち主の元々生活していた部屋らしい。僕はあくまで彼の体を借りるので彼の生活に近いものを過ごす必要があるとのことだ。


 あんまり違うことをすると、何時か彼が現実世界に戻りたくなったときに、大きな問題になってしまうから。


 起き上がり、胸いっぱいに空気を吸い込む。

 ゲホゲホと気管に異物でも咳き込む。部屋はほこりっぽいし空気が詰めた過ぎるのだ。


 だけれど、どの感覚も珍しくて面白い。


 テーブルの上に書かれたメモの通りの場所に『地図』を見ながら向かう。


 地図だって、地図!


 行き先を決めて念じるだけでガイドがでてくるものだと思っていたのに、地図があるなんて子どものころに遊んだドラゴンを倒しに行くゲームみたいじゃないか。


 仕事は単調なものだった。しかも、時間が決まっていてその間は絶対そこで仕事に全力で取り組まないといけないらしい。こんなに単調で眠くなるのに。


 仕方ない。これがこの男が元からやっていた仕事で体が覚えているので一番難易度が低いと判定されたのだ。頑張って、能力が上がれば今度はもっと難しい仕事もさせてもらえるらしい。


 しかし、ベルトコンベアーにのって流れてくる物に部品を取り付ける。

 

 信じられる??  


 タイミングよく指先でタップするだけじゃ部品はとりつけられないんだ。

 ちゃんと、タイミングよく正確に部品を正しい場所において、ねじを適切な力加減でまわさないといけないなんて。


 これはすごく、すごく、変だ。


 仕事が終わると、部屋と職場の中間にある店にいく。

 店に行くと無愛想な店員に「チケットは?」と聞かれる。しまった、店の外でチケットをあらかじめ買ってから席につくのが作法らしい。面白い!


 僕はよく分からないけれど、一番ボタンがすり減っているものを触る。ボタンがすり減るって、すごくない??

 ボタンというのは何度押してもそのままありつづけるか、逆に設定された耐久度を越えたら消滅すると思っていた。


 しばらく待っていると、白いご飯の上に冷たく固まった赤い円盤のようなものが載せてある丼がでてきた。しかも、円の端っこの方はちょっとぐじゅっと崩れている。


 あまり美味しそうじゃない。


 きっかりと形を保った円盤ならともかく、中途半端にぐじゅっとしているのがどうにも……だけれど、思い切って食べてみる。


 うん、まあまあだ。

 でも、食べ進めていくと問題がおきる。

 ごはんばかりあまってしまい味がしない。


 どういうわけだ。食事とは常に美味しいものだったのに。さっきまではまあまあ美味しいバランスだったのに、今そのバランスはなくなってしまっている。

 そうだ、味噌汁で味を足そう。


 そう思って味噌汁をすするが……ぬるい。

 そうか、よく学校の先生が「コーヒーはいつまでも湯気がでているわけじゃない」って言っていたけれど(なんか教訓っぽいけれど、意味はよく分からなかった)、そういうことか。


 僕は、故郷仮想空間を懐かしく思いながらぬるくなった味噌汁と味のしない米を口に運んだ。





 それからの毎日も発見の連続だった。


 多くの人が仮想空間で過ごしていると聞いていたけれど、こちらの世界にも人はたくさんいる。


 仮想空間を偽物だと嫌う人に仮想空間にいる間の肉体維持のための費用が払えない人、仮想空間を外側から管理する人。

 理由は人によってさまざまだ。


 ほこりっぽい空気に、労働、味のしない米にぬるい味噌汁。

 慣れてきたら、悪くない。


 あっ、そうだ。労働については今度はもっと難しい仕事をさせてもらえるらしい。どうやら百年分学んだこちらの知識が役に立つみたいだ。


 どこまでも清潔で美しい空間に、気が向いたときに働くボランティアみたいな生き方に、いつでも熱々のコーヒー。


 どちらがいいかは、正直、分からないけれど。

 今も、まあ、悪くない。


 もっと頑張って働いてみようと思う。













 ※※※


「どうやら上手くいっているらしいですね。これで何人目になるんでしたっけ?」

「十一人目です。」


 無機質でほこり一つ無い空間で二人の研究者が画面上のデータを眺める。

 そこに映っていたのは一人の男の人生だった。


「囚人ナンバー、イレブン」

「なんか映画みたいですね」


 研究者二人は冷たく笑う。

 それは、自分たちの冗談だけでなく男の人生をあざ笑い、同時に自分たちの境遇も皮肉っていたのだ。

 笑わずにはいられない。


 すこしでも口の端をつり上げてストレス値が低くなるように、自分は楽しいんだと体に誤解させておかないと、あっという間にバランスを崩して男の二の舞になる。


 本当はこんな仕事はもうイヤだと思っていても。


 この男は労働に耐えられなくなって逃げだそうとした。

 だけれど、今のこの世界を維持するには労働は不可欠である。


 たった一人であっても、食料や資源を消費するからには社会のための労働をしてもらわなくては、社会の崩壊につながりかねない。

 たとえ、どんなに単調でつまらない仕事だとしても。


 この男は、食事をして暖をとり、成長してきた。

 なのに、


「こんな現実じゃ、生きているかもわからない」


 なんて自殺を試みたのだ。


 この社会から逃げだそうとした。

 これはあるまじき事態だった。

 せめて、今まで消費した資源の分は働いてもらわなければならない。


 最近、このような自殺行為が多いので政府は一つの対策を作った。


 自分がこの世界現実の存在ではなく、仮想世界の住人だと思い込ませることを。


 人というのは本当に愚かだ。天国みたいな世界が待っていて、今この瞬間が遊びだと思ったとたん、労働もただの遊びに変わる。


 もちろん、その偽の記憶を本物だと思い込ませる過程でついでに労働に役立つ知識や意識も強制してある。


 男はきっと、天国仮想空間が自分の故郷であることを信じながら、地獄現実世界をで遊び労働つづけるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人工知能が人間になる方法 華川とうふ @hayakawa5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ