第58話 満天姫、動く(1)
丑三つ時。
草木も眠り、魑魅魍魎が出てくると言われる時間。
秋葉藩の屋敷の中を白い影がゆっくりと動いていく。
雪乃はこの時を待っていた。
白い影は広い庭へ降りると庭の木々の間へ入り、やがて蔵のある場所へとたどり着く。
白い影はその中の一つ。目立たない古びた蔵の扉の前で止まった。
袂から何かを取り出し、扉に取り付けられた大きな鉄製の南京錠に触れた。
それは小さな音を立てて外れた。
ギギギ……と思い扉が押し開けられる。
「そこまでです!」
雪乃は白い影の肩を叩いた。
満天姫である。
こんな夜中に一人で動き回り、自分が嫁に来る予定の家とはいえ、他人の蔵を勝手に開けるのは非礼極まりない。
(お手打ちになったらどうするのです!)
主人のこの謎の行動が理解できない雪乃。
しかし、満天姫はばれてしまったことに少しも驚いていない様子。
どちらかというと、これを待っていたような素振りである。
「雪乃か……」
「雪乃ではありません。勝手に蔵の扉を開けるのはよくないです」
以前、満天姫は秋葉藩に出入りの商人のことをアルトに調べさせていた。そしてついでに鍵の型を取り、合い鍵まで作らせようとしていたことがある。
これは何かとんでもないことが起きつつあると警戒していた雪乃であったが、その後、澄姫のことや月路の儀に参加している姫君が夫となる能登守よりも満天姫の方に好意を寄せている現状につい失念していた。
「ばれてしまっては仕方がない。しかし、雪乃。これを知ったらお前はもう逃げられぬぞよ。わらわと一蓮托生、。死ぬときは一緒となる」
恐ろしいことを満天姫は言った。雪乃としてはこの世界に転生し、のんきな江戸時代ライフを送りたいだけなのに、今、波乱の中でもがくことになっている。
すべて、この破天荒な姫のせいであるが、今から聞くことはそれが非常にヤバいことだと心の警戒音が鳴り響く。
しかし、ここまで来たら好奇心は抑えられない。雪乃は頷いた。
「こっちじゃ」
満天姫は雪乃の手を引っ張って蔵の中へと誘う。
そして手にしたろうそくの明かりで目にしたもの。
「えっ!」
雪乃は驚いた。
中には珍しい品物が山と積まれていたのだ。
「これは……」
「外国の品じゃ。中国やオランダではない」
クマの毛皮、見事な絵画、銃に鉄製の胸当て。そして洋風の調度品。ヨーロッパにあるような品ばかりである。
「外国の品物ですね……ご禁制の……」
雪乃はそう声を抑えて満天姫に確認をした。満天姫はゆっくりと頷いた。
江戸時代、日本は鎖国をしていた。
貿易は長崎の出島のみで行われ、中国とオランダのみに限られていた。
そして目の前にあるのはその二つの国ではない。
(ロシアやイギリス……フランスのものもある)
品物を観察すると付けられている紙切れに、アルファベットで綴られた文字は英語やロシア語、フランス語。
もちろん、雪乃はそれらの言葉に堪能ではないが、それらしき文字であることは認識できる。異世界転生したチート力のなせる業である。
「そうじゃ、全てご禁制の品。秋葉藩は海上で密かに外国と密貿易をしているのじゃ」
「密貿易?」
雪乃は考えた。
貿易は金になる。
何しろ、外国との取引は限られている。それをこっそり行い、利益を得ていたとしたら……・
あの伊勢屋の手代、源蔵がこっそりと禁制の品を売り払うことに力を貸していたら。いろんなことのつじつまが合う。
これは大スキャンダルである。ばれたら秋葉藩は取り潰し間違いなしである。
「このことを能登守様は知っておられのでしょうか?」
雪乃はそう聞いてみた。それによってはこの事態を解消する手立てが見つかるかも知れない。
「知らぬじゃろう。恐らく、伊勢屋の主人も知らぬまい。これは御隠居と伊勢屋手代の源蔵とで行われていることじゃ」
満天姫はそう断言した。恐らく、アルトを使ってここまで調べたのであろう。
しかし、これは危険だ。藩が取り潰されるスキャンダルを他藩の人間が知ったとなると消される可能性がある。
「姫様は知っていたのですか?」
「……あれは十年前じゃ」
「そんなところから始まるのですか?」
雪乃はそう突っ込んだが、満天姫は無視する。
満天姫は当時九歳。この屋敷の隣にある赤坂藩の別邸で出家した祖母のところで暮らしていた。
剣術を学ぶためにちょくちょくこの屋敷の庭で秋之介。今の能登守と一緒に稽古をしていた。
歳も近いこともあり、剣術の稽古の後に一緒に遊ぶことがあったのだ。
その時に秋葉藩の蔵に入る遊びをしていた。
あの秋葉藩の家宝である屏風絵もこの時に見たのだ。
「この秘密の蔵にも入った。異国の品物だったので大層驚いてのう。時の経つのも忘れて見ておったのじゃ。そうしたら、当時、この屋敷に仕えていたお振という女中がわらわたちを捜しに来て、この禁制品を見てしまったのじゃ」
「……そのお振さんという方はどうなったのですか?」
雪乃は悪い予感がした。
満天姫がなぜこの蔵を調べようとしたのか。よくよく考えれば、秋葉藩が不正な貿易をしていようが、そんなことは満天姫には関係がない。
危険を冒してまで確かめようとするのは、きっと、このお振という女性が関係あるのだと思ったのだ。
「お振はわらわたちを見つけたが、同時に禁制の品も見てしまった。そして運が悪いことにその現場を当時の当主。現ご隠居に見られてしまったのじゃ」
「それじゃ……」
「わらわたちを捜しに来ただけじゃとお振は申し開きをした。それが通れば、もしかしたら見逃されたかもしれぬ。なのに、あの男が……」
あの男とは能登守。どうして満天姫が能登守を嫌っているのか、これで合点が言った。
「あの男は自分が叱られたくないばかりに、お振がここに連れてきたと嘘を言ったのじゃ」
「ひ、ひどい!」
雪乃はそれがお振にとって死刑宣告と同じ意味があると理解した。
秋葉藩にとって、この密貿易はお取り潰しになる大スキャンダルである。
部外者に知られては絶対にいけないことである。
お振りは秋葉藩の藩士の娘であったが、不幸なことに父親が最近、召し抱えられた者であった。
前に仕えていた藩主は当時の大目付役だったために、これは間者だと決めつけられた。
秋葉藩の御曹司である秋之助と赤坂藩の姫君である満天姫は、まだ子どもで訳が分からないと見過ごされたが、聡い満天姫はこれが人の命に係わることだと子ども心に理解したのだ。
「その時はわらわも小さかったから分からなかった。お振はわらわたちの面倒をよく見てくれた優しい女子であった……」
満天姫はこの月路の儀でこの屋敷に来てから、当時の使用人からお振がどうなったかの情報を集めた。
他藩のことなので、満天姫としてはそれまで調べようがなかったのだ。当時も見たことを話しても誰も取り上げてくれなかった。
「お振とその父親及び、家族は謀反の疑いありとされて斬られたそうじゃ」
「……」
雪乃は言葉が出ない。
そして満天姫がなぜ能登守を蛇蝎のごとく嫌うか分かった。
子どもの頃とは言え、自分可愛さの態度が無実の家来の命を犠牲にしたのだ。それを能登守自身は全く気にかけていない。
他藩の満天姫でさえ、気になって大人に相談したのにだ。
(あの人、イケメンだけど、家来には優しくないところがあるし。そういう薄情なところが満天姫が毛嫌いするのだろう)
雪乃もあまり能登守は好きになれない。ゲームで攻略していた時は夢中だったが、それはゲーム内だから。実際に客観視すると見てくれは良くても何となく鼻につく。
例えるなら、デート中に嫌な態度が目について交際を考えてしまうようなもの。
食事をする店の店員に横柄な態度を取ったり、車で前の車を煽ったりして幻滅するようなことだ。
満天姫はその事実をこの屋敷に来てから調べていたのだ。祐筆として傍に仕えながら、全く気が付かなかった。
「これだけの大藩じゃ。いろいろと事情があるのじゃろう。だが、あのお振の事件をきっかけに秋葉藩がこのような不正をしていないなら、まだ許せよう。そうならば、お振も浮かばれたと思うのじゃ。しかし……」
密貿易はどんどん拡大している。この蔵の品を見れば間違いがない。
「どうするのですか、姫様。幕府に訴え出るのですか?」
雪乃はそう聞いた。
正義感の強い満天姫が、この不正を知り、そして過去に犠牲になった者の結末を知ったのなら、幕府に訴えることは間違いがない。
「まだ伊勢屋の方も調べて、動かくぬ証拠を掴んでからじゃ……」
そう満天姫は言ったが、外の気配を感じて急に押し黙った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます