第55話 満天姫、新次郎を改心させる
そして勝負は当然のごとく、満天姫が勝利する。
出た目は「シニの丁」。
4と2が出て親分はショックで死んだ目になる。
「まだじゃ。次の勝負も倍賭けじゃ。弱ったところをとことんむしるべし!」
魂が抜けたようになった親分とは対照的に満天姫はイケイケ状態である。
「姫様」
「おい、お前……」
雪乃と新次郎が止める。
さすがにこれはまずい。賭場に殺気が満ちる。
この満天姫の空気を読まない、そして死人に鞭打つかのようなような非道発言。
元々、非道な行いを平然と行う賭場の連中には、はらわたが煮えくり返る発言だ。
明らかな挑発に親分の老人が生き返る。
顔を真っ赤にして叫んだ。
「く、くそ、者ども出あえ!」
賭場の人間や、雇われている浪人が刀を抜いて賭場に入って来る。賭場にいた客たちは恐怖でパニックになる。
右往左往して何とかこの場から逃げようと混乱する。
「アルト!」
そう満天姫が言うと、畳が舞い上がった。
中からアルトが飛び出してくる。
手には満天姫の愛刀『紅椿』が握られている。
そして床下には猿轡をされた男が一人転がっている。
「これは……」
新次郎の言葉に満天姫は答える。
「これがこの賭場の真の顔じゃ」
満天姫は紅椿を抜く。
相手は用心棒役の浪人五人。短刀を抜いた賭場の三下十人ほどだ。
「さあ、新次郎殿。悪人退治と行こうではないか!」
「あ、ああ……」
新次郎も刀を抜く。
「お主、言っておくが本当に斬るのではないぞ。すべて峰打ちで気絶させい」
「え?」
満天姫は紅椿をくるりと返す。刃のない方で戦うのだ。
「お主も剣術を習っておろう。武士たるものこういう時に真価を発揮するものじゃ」
(満天姫様……相変わらずかっこいいわ)
この混乱状況での冷静な物言い。雪乃も思わず惚れそうになる頼もしさだ。
「アルトは雪乃を守れ」
「御意」
人質に取られそうな雪乃をアルトに任せると満天姫は紅椿を振るって、悪漢どものところへ飛び込んだ。
室内での刀での斬り合いは、難しい。
刀の長さが部屋のサイズに合わず、壁や襖に刃先がひかかってしまうからだ。
だが、満天姫はなぜか慣れていた。
柄を短く持ち、小さく振って障害物をかわす。
短刀で刺しに来る三下は足で引っかけ、手刀でしとめる。
「紅椿」自身が若干、通常の打ち刀よりも短く作られているのもよかった。次々と襲ってくる浪人や三下を倒す。
新次郎がやっと一人の三下を気絶させている間に満天姫は浪人三人を倒し、三下七人を転がしていた。
その勢いは止まらず、残ったものも恐怖で足が進まない。
そのうち、外が騒がしくなった。
「お、親分……奉行所から役人どもが……」
この騒ぎで近所の者が通報したのであろうか、提灯を揺らして同心や岡っ引きがこちらに向かっている。
「ば、ばかな……」
「姫様、逃げましょう。奉行所の役人に捕まったら、私たちも申し開きできません」
しかし雪乃の心配は無用であった。
どうやら、満天姫はこの状況を自ら作り出したようであったからだ。
「アルト、逃げる。案内せい」
「御意」
あらかじめ、逃走ルートを確保していたようだ。新次郎を連れてこの場から逃げ出した。
*
賭場のある商家の裏口から迷路のような通りを抜け、満天姫と新次郎と雪乃はアルトの先導で逃げ切った。
今は離れたところから、賭場の捕り物の様子を見ている。
奉行所からやって来た一団は、次々と捕縛している。あの親分も捕らえられている。
「……これであの賭場は取り潰されるな」
何だかほっとした様子の新次郎であるが、先ほど勝った分は置いてきてしまったために、結局百十両以上の損をしたままだ。
雪乃のせっかく儲けた賭け金は紙札にしてあるから、損をしたのと一緒である。ため息しか出ない。
「これで分かったじゃろう。ああいうところは、最初から客側が負けるように仕組まれているのじゃ」
満天姫は説明する。
賭場側の不正は中盆による誘導と客に化けた賭場側の人間の存在。
壷振りが出す結果が分かるから、客が負ける側になるように仕向けることはさほど難しくはない。
さっさと勝つ方にサクラの人間が賭けてしまえば負けるほうに一般の客が集中することになる。
それを露骨にやらずに大勝負毎に行えば、賭場側はぼろ儲けである。
「さらに……」
床下にサイコロの目を変えるための人員が配置されていた。壷振りの技は完ぺきではない。稀にしくじることもある。
そういう時には床したから針を差し込み、サイコロを動かして目を変える不正もしていたのだ。
満天姫はそれを看破し、アルトを派遣してサイコロの目を変えさせていたのだ。
最後の大勝負はアルトが満天姫が勝つようにサイコロを変えていた結果だ。
「そういうことか……」
新次郎は不正の仕組みを教えられ、自分がとんだカモだったことを悟った。いいように騙され、金を取られていたのだ。
「満天姫様、まさかお奉行所の人たちは姫が呼んだのですか?」
ここへ来て、雪乃は気が付いた。こんないいタイミングで奉行所が乗り込んでくるわけがない。
満天姫が賭場側と斬り合いになった時に合図を送るので、それを見たら突入するように伝えてあったことがわかった。
「これに懲りて、もう賭け事はするな。妹も心配しておったぞ」
「妹……澄を知っているのか?」
満天姫の言葉に新次郎は反応した。妹は秋葉藩の藩邸で行儀見習い中である。その妹と知り合いということは……。
「新次郎殿、お控えください。このお方は赤坂藩三万石、矢部和泉守様のご息女、満天姫様であられる」
雪乃はおごそかにそう言った。
きょとんとした顔の新次郎。しかし、やがて我に返った。
「こ、これはご無礼仕った」
慌てて平伏する。
大名のお姫様。しかも赤坂藩と言えば、将軍家の信任厚い譜代であるし、今は妹の澄姫と同じく秋葉藩に行儀見習い中。正室候補の筆頭である。
「よい。これ以上、妹君を泣かせるな」
そう満天姫は新次郎に言葉をかけた。
「そちの剣、なかなか見事であった。これからはさらに腕を磨き、上様に忠義を尽くすがよい。旗本とはそのためにあるものじゃ」
「……ああ、満天姫様。おっしゃる通りでございます。この新次郎、今、目が覚めました」
「うむ。期待しておる」
そう言うと満天姫はスタスタと歩き始めた。秋葉藩の屋敷へ帰るのである。
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