第51話 満点姫、鉄火場へ行く

「満天姫様、あのようなことを引き受けてどうするおつもりですか?」


 澄姫が帰ってから雪乃はそう満天姫を問い詰める。

 満天姫はこの秋葉藩の正室候補として、この屋敷に来ている。

 月路の儀が行われる1年間、三十五万石の大藩の奥方にふさわしいかいろいろと試されるのだ。

 それなのに他の候補者の手助けばかりして、みんなと仲良くなっている。


(いや、仲良しどころかもう香姫と燈子姫は友達のレベルを超えているわ!)


 さらに最後の候補者である澄姫まで、助けると全員、満天姫が落とすというとんでもない結果になる。


(あわあわ……。私の見立てによると燈子姫の好感度は95%、香姫が90%でお栄さんが90%……澄姫で65%というところか)


 能登守の嫁候補をことごとく落としたら、お手打ちになってしまうかもしれない。


「決まっておる。その賭場とやらに乗り込み、澄姫の兄上とやらの目を覚まさせてやるだけじゃ」

「……そうなるとは思っていましたが、外に出るだけでなく、賭場などに一国の姫君が行くなどとありえません!」


 満天姫が賭場に行くとなると、雪乃も付いて行くことになる。正直、賭場などというダークサイドの場所などに行くのは怖い。


「アルト、澄姫の兄が出入りしている賭場の場所を調べておくのじゃ」

「御意」


 いつものごとく、床下で待機している甲賀の忍び。

 彼に任せておけば、夜までには分かるであろう。


「満天姫様、私は反対です。そんなところに乗り込んだら、秋葉藩の恥。満天姫様のご実家、赤坂藩の恥にもなります」


「幕府の旗本の家を助けるのじゃ。恥にはならぬ」

「ですが、どうやって助けるのですか。澄姫の兄上を強引に連れ戻したところで、目が覚めるとは思いませぬ」

「……わらわに考えがある」


 ロクでもない考えだと雪乃は確信している。だから反対したが、この傍若無人な主君の考えを変えることはできなかった。


 夜の帳が降りた。

 雪乃と満天姫は手拭いで顔を隠し、地味目の小袖姿で賭場に来ている。

 アルトが昼の間に調べ上げた賭場である。

 それは街中の古い商家の中。今は商いをやめた空き家であった。


「なんだ、姉ちゃんたち。初顔だな」


 門番の男はそう言って満天姫と雪乃を舐り回すように見た。それを冷たく見下す満天姫。

 この賭場で女性客はほとんどいない。だが、全くいないわけでもない。男性客に連れられて来るものもいるし、それをきっかけに来る者もいる。

 賭け事の魅力に嵌るのは、男も女も関係ない。

 初顔とは言ってもこの秘密の場所を知っており、中に入る合言葉まで知っている。きっと常連客の馴染みの女であろうと門番の男は中に通した。


「ひ、姫様……怖いです……入ってはいけない世界です」


 雪乃はそう小声で満天姫に話す。そうしないと怖くて一歩も歩けない。

 それでも堂々と歩く満天姫の後姿に勇気が与えられて雪乃は賭場に進む。

 薄暗い二十畳ほどの畳部屋が蠟燭の光で浮かび上がる。真ん中に白い布が引かれたところで丁半博打が行われている。

 客は十人ほど。そして一見して武士だと思われる若い青年が座っている。目の前には掛札が積まれている。どうやら今から勝負を始めるところだ。

 満天姫はさりげなく、その若者の隣に座る。仕方がないので雪乃も座った。

 若者は一瞬だけ、満天姫の顔を見る。この賭場では場違いな気品は隠せない。

 思わず凝視したが、今日、ここへ来たことをあたらめて思い出したのか、サイコロを振る壺に目を移した。


(彼が澄姫のお兄さん、新次郎……)


 雪乃も分かっていた。アルトの報告によると新次郎は父親と大喧嘩し、軍資金として小判三十枚を持ち出した。

 これを七日以内に十倍にして返すと啖呵を切り、そうでければ出ていくと叫んだ。

 後藤の殿様も「それができねば、勘当じゃ!」と叫び、もはや後戻りできない状況に追い込まれている。

 小判三十枚の軍資金はこの賭場ではかなりのものだ。周りの客はせいぜい、二朱金や丁銀を元手にほそぼそと賭けている。

 新次郎は前回までに百両もの金をこの賭場で失っている。いわば、超お得意様なのだ。


(カモね……)


 雪乃はそう思わざるを得ない。

 賭場の人間のどこなくほくそ笑む顔。明らかに新次郎を馬鹿にしている。


「それでは入ります」


 壺振りをするのは、ふんどし一丁で上半身はだかの男。目のやり場に困ると雪乃は思ったが、これは不正防止のため。

 何も着ていないから、さいころをすり替えるような不正はできない。

 壺振り役はもう一人いるらしく、それは女性。こちらはさすがに裸ではない。それでも上半身は晒しを巻いて胸をかくし、下半身は腰巻一つ。

 非常にセクシーな様相だが、これは不正防止と男客へのサービスだろう。サービスというか、集中力を奪い、冷静な判断をさせない賭場側の工夫だろう。

 少し勝ち、これでやめようとする客に女が「もう少し頑張りましょうよ」と引き留め、マイナスに沈めてから笑顔で送り出すようなことをしている。

 しばらくはかけ事の様子を見ていた満天姫と雪乃は、観察することで大体のことが分かった。


(見る限り、不正は行われていなさそうね……)


 サイコロ博打は奇数と偶数を当てるものだ。当たる確率は二分の一。実に単純なゲームだ。

 こういう駆けの場合、資金が多くあれば勝つ確率が高くなる。よくやるのが一枚賭け、負けたら倍にしていく方法。

 そして浮いたところで止めれば、そうそう負けるものではない。

 しかし、新次郎は前回までに百両もの金を失っている。いくら資金をもっていようが、賭場の資金の方が多いから、最後は客の方が飛ぶのだろう。

 それに懲りていない新次郎。今回も三十両もの金をもってきている。


「姫様、どうするのですか?」


 雪乃はこそっと先ほどから観察に徹している満天姫に聞いてみる。もちろん、小声だ。姫様なんて言葉が賭場の人間にばれたら大変なことになる。


「そろそろ、わらわも賭けようぞ」

「えええ!」


 一体、何を考えているのか分からない。

 新次郎の傍に座ったのは、彼を説得するのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


「お主、これはどう遊ぶのじゃ……」


 そう新次郎に頬かむりした顔を向けた。


「あ、あんた武家の娘かよ……」


 小さな声ではあるが、武家の言葉に新次郎は驚いたようだ。

 武家でしかも良家の若い娘が、変装をしているとはいえ、こんな場所にいること自体がありえない。


(武家の娘どころか、大名の姫君ですけどね……)


 そんなことを言ったら、この旗本のバカ息子は腰を抜かすだろうと雪乃は思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る