第49話 香姫、豹変す

 雪乃の試みは満天姫によって成功した。

 もちろん、やり方は雪乃が思っていたものではなかったが。

 香姫が実際にアニサキスを吐きだしたことは偶然である。奇跡と言ってもよかった。

 藩医は寄生虫を確認すると、香姫の苦しみの原因はこれだと能登守に説明した。

 藩医のいう通り、香姫の激しい胃の痛みは治まり、今は酒に酔って気持ちよさそうに寝ている。


「秋之助、これで疑いは晴れたじゃろう。雪乃と三女中を座敷牢から出すよう命じてくれ」


 そう満天姫に言われ、しぶしぶ能登守は家来に指示する。

 坊ちゃん気質であるが、優秀な青年である能登守は感情を制御できるのであろう。

 毒殺でないと分かれば疑いを解く賢さはあった。


(助かった~)


 満天姫の暴走によって、結果的に救われたとはいえ、事の詳細を聞いた雪乃は背筋が寒くなった。


「あ、あの……満天姫様。香姫様の寝所に乗り込んで、古酒くーすーの酒壺を口に突っ込んで無理やり飲ませたと聞きますが……本当ですか?」


 座敷牢から解放された雪乃は、その日は自室で休んだが翌日、同じように座敷牢から解放された三女中から事の様子を聞いたのだ。

 そしてその後の一日間。屋敷中の女中たちから事の成り行きを聞き、聞くたびに顔が青くなった。


「無理やりではない」


 満天姫は表情も変えずにそういうので、(ああ、そうですか……)と思わず流しそうになった。


「いやいや、姫様。意識がない人の口に酒瓶を突っ込んで飲ませることを無理やりと言うのです」


 雪乃はさらに追及する。


「香姫様のお腹を殴って嘔吐させたというのは?」

「ああ、それは事実じゃ。吐かせろと言ったのは雪乃ではないか?」

「言いましたよ、言いましたけど……ああ~っ。どこの世界に病人の腹を殴って嘔吐させる人がいますか。私は背中をさすったり、のどに指を入れて嘔吐させたりすることを想定していました!」


 雪乃はそう言ったが満天姫はぶすっとした表情をした。明らかに不満顔である。


「ならば、そう説明するがよかろう」

「まさか、姫様自身で酒を飲ませたり、吐かせたりするとは想定していませんでした」


 深窓の姫君なら、香姫の侍女たちに命じてそれらのことをさせたであろう。だが、よく考えればそんなことを満天姫がするわけがない。

 良くも悪くも、この姫様は直線的なのだ。


(問題は……香姫様よね。いくら病気を治してもらったとはいえ、乱暴狼藉の上に毒殺ではなくて食あたりだったと分かっては、立場がないわ……)


 普通に考えれば怒りのぶつけどころは、満天姫になる。

 香姫の侍女たちはみんなおびえており、雪乃が尋ねると恐怖してべらべらと昨日のことを話したくらいだ。


(お手打ちエンドは回避したけど……これじゃ、次々とフラグが立つわ~)


 雪乃としては頭が痛い。藩主一族の香姫に決定的に嫌われては、いつ同じような事件を意図的に仕掛けられて処罰されるか分からないからだ。


「雪乃様……香姫様が満天姫様にお会いしたいと言ってきておりますが」


 そう侍女筆頭のお松が雪乃に告げてきた。

 先ほど、香姫付きの侍女が訪問したいと申し出たそうだ。


(来た、来た……)


 もう反撃来たのかと雪乃は思ったが、事件が二日前だったから、香姫は体調が戻ってからすぐに訪問したいと言ってきたのだ。


(何だろう……。悪だくみをするには準備期間が足りないような気もしますが)


 古酒を飲まされた香姫は、翌日は激しい二日酔い。体調が戻るまでその後一日を要した。今朝、起きると体調がよくなったため、すぐに満天姫に会うと言ったらしい。


 表向きは「お礼」であったが、状況からすると満天姫と喧嘩しにやってくることは明白であった。


「香姫様のおなりです……」


 やがて香姫が十人もの侍女を従え、満天姫の部屋にやってきた。


「入れ!」


 いつもの素っ気ない満天姫の返事。襖が開くときれいに着飾った香姫が立っている。


(その目は怒りに燃えて……あれ?)


 雪乃は違和感を覚えた。

 香姫の目は確かに爛々と燃えているが、それは怒りではない。


(は、は、ハートですか!)

「満天様~っ」


 香姫が駆け寄ると満天姫の手を取った。


「な、なんじゃ?」


 少したじろぐ満天姫。さすがの満天姫も香姫の行動は予想の斜め上であったらしい。


「香の病気を治してくださり、感謝しています。それに……あの……あのような激しい……」(ぽっ)


 言葉を濁す香姫。頬が赤くなっている。


(な、なんですか……これは……まさか……)


 香姫は満天姫の手を両手で握り、そしてしだれ柳のように体を預けている。まるで甘えに来た猫のようだ。


「あ、あの……満天様をお姉さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 とろんとした目でそう香姫が言った。満天姫の頭上に?文字が浮かんでいる。


「お姉さまだと?」

「はい。満天様は香のお姉さまです。大好きですわ、お姉さま」

「わらわはお主の姉ではないぞ」

「いいえ、お姉さまです。満天様はいずれ、お兄様とご結婚なさいます。そうなれば名実ともに香のお姉さまです」


 そういってすりすりと体を摺り寄せている。

 これには香姫の侍女も驚いて固まっている。

 恐らく、思いつめたような眼で満天姫のところへ行くと言ったときには、自分たちの主君が討ち入りに行くのだと思ったくらいだ。

 それがこのベタベタ。

 香姫は勘違いしていた。意識もうろうとした中、颯爽と現れた満天姫の姿が間違って刷り込まれたようだ。


(こ、これは……ヤバいのではないでしょうか?)


 香姫が散々、満天姫に甘え帰ると、今度は燈子姫が現れた。これまたベタベタとおしゃべりとお菓子を食べる。


 その後はお栄までやって来た。

 三人とも仲良く、友達になったと言えなくはないが、香姫は明らかに友達の一線を越えているし、奥手の燈子姫も香姫に対抗するかのように満天姫に過剰なスキンシップを求める。

 さすがにお栄は身分違いを考えてか、満天姫に触れてはこないがそれでも隣に座って、甲斐甲斐しく、満天姫の世話を焼く。

 能登守の嫁候補として招集された三人が、能登守を差し置いて満天姫を優先するのはよくない。


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